河合範安への鑑定・レッスンのお申し込みは
nogihina46fs9@gmail.com
と言うメールアドレスによろしくお願い致します



一部の方位学の疑問点
全員同じ吉方位・凶方位の疑問
勝利した軍の兵士にも死者は出る

ロシアのウクライナ侵攻は2022年2月24日であり、年運が壬寅に切り替わった直後だったので、申の方角の南西が歳破になり、南西が歳破の凶方位だった。
年盤凶方位である。
ロシアから見て、ウクライナは南西にある。
歳破は凶方位であり、いろいろな事が破れる方位で、事実、ロシア軍は苦戦することになった。



しかも、月盤でも、南西は月破と暗剣殺がついており、2022年2月のロシアからウクライナはより大大凶方位であることを示していた。
2022年2月は、十干と十二支も同盤廻座で良くない。



また、1941年6月22日にナチスドイツがソ連に攻め込んだ(バルバロッサ作戦)方位は、月盤では東が五黄殺だった。

ドイツから見て、ソ連は東や北東を示す。



2度の朝鮮出兵の事例も見てみる。
1592年5月24日からの文禄の役では、西に五黄殺、北西に歳破が来ていた。

1597年3月1日からの慶長の役では、西に暗剣殺が来ており、酉年だったので太歳である。

太歳は吉方位でも凶方位でも効果を強くするから、暗剣殺と太歳では凶方位が強くなってしまう。
日本から見て、朝鮮は西や北西である。

ちなみに日本軍の中では島津勢や小西勢や加藤勢の活躍が目立った。
島津勢と言えば、島津勢5千人で明軍20万人を打ち破った泗川の戦いや、朝鮮の救国の英雄である李舜臣を討ち取った露梁海戦があまりに有名で世界史に轟いている。
島津は鹿児島県が本拠地であり、加藤清正や小西行長らは熊本県が本拠地であり、朝鮮半島はギリギリ北や壬ノ方に近いから方災をあまり受けなかったのである。
北西寄りの北は壬ノ方であり、歳徳神の加護を最も享受出来る。
加藤や小西の軍勢は、壬辰年開始の文禄の役では、壬年で歳徳神の方位だった北に向かって快進撃を果たした。
丁酉年開始の慶長の役でも、歳徳神は壬で北になるから、島津勢は活躍したのである。

様々な年単位の戦争を見ると、年盤と月盤が重要となっているが、年盤や月盤で凶方位に攻め込んだ国の軍隊は、苦戦しているようである。



歳徳神のような大吉神の方位を取った軍からも死者は出る。
徳川家康は1600年に関ヶ原の戦いに勝利した。
1600年は庚子年であり、歳徳神は庚で、西は庚の歳徳の方位で大吉方位であった。
歳徳神の方位である西に向かって攻め込んだ東軍が勝利したのが、関ヶ原の戦いであった。

ちなみに徳川家康は、1590年の小田原→江戸への移動も1600年の江戸→関ヶ原への移動も月盤に廻座の亥が来ていた。
つまり、1590年庚寅年の申月には北東への移動なので、1600年庚子年の酉月には西への移動なので、北東や西には亥が来ていた。

徳川家康
命式
時日月年
壬壬甲癸
寅寅寅卯

家康の命式は、方位で亥が来ると、卯亥の半三合と亥寅の合で大開運する命式であった。
とは言え、東軍の兵士にも戦死者はいる。



さて、奇門遁甲の占い師の中には、諸葛亮孔明が奇門遁甲を利用して勝利していたから、奇門遁甲が良いと言う方がおられる。
九星気学は奇門遁甲の理論の一部を劣化コピーしたものに過ぎないから当たらないと主張している方もおられる。
しかし、奇門遁甲は流派が多く、どれが正しいのか見当がつかない。

奇門遁甲を利用して諸葛亮孔明が戦争に勝利したことが、本当か嘘かは分からない。
しかし、百歩譲って本当だとしても、孔明の行軍に従って討ち死にした兵士も数多くいるのである。
勝利した軍にも多くの戦死者がいる。

そう考えると、やはり全員が全ての面で、共通の吉方位・凶方位と言うのは有り得ない。
確かに歳徳神とか五黄殺とかの強力な吉神や凶神も存在するが、それらの要素を加味しても、個人毎の吉凶方位が存在するようである。

奇門遁甲の流派の中には、全員同じ吉方位、全員同じ凶方位とする流派もあるが、戦争で同じ軍勢の兵士達が同じ方位を行軍してきても、戦死する兵士と生き残る兵士に別れること等を現実的に考えると、あまり現実的ではないように思われる。



論より証拠
事例の重要性

方位学では、理論の主張ばかりがあまりに氾濫していて、事例の検証が驚く程少ない。
事例の検証も、『方位効果が強く現れる転居に言及しているものは数少なく』、『方位効果に確実性がない旅行ばかり』である。
そもそも、方位効果は基本的には日々の寝る場所から生じるのだから、転居事例が重要である。
ここでは、個人の命式の十二支が方位にとって重要な事例を挙げてみる。



岡田有希子の事例

岡田有希子
命式
時日月年
戊戊戊丁
午午申未

岡田有希子は1983年8月25日に愛知県名古屋市から東京に上京し、転居した。
1983年は癸亥年であり、8月25日は庚申月である。
癸亥→甲子(北西)→乙丑(西)→丙寅(北東)→丁卯(南)→戊辰(北)→己巳(南西)→庚午(東)
故に、年盤の東には庚午が廻座していた。

庚申→辛酉(北西)→壬戌(西)→癸亥(北東)→甲子(南)→乙丑(北)→丙寅(南西)→丁卯(東)
故に、年盤の東には丁卯が廻座していた。

岡田有希子の命式を見ると、午と卯は明らかに良くない。
何故なら、午は既に命式に二つあるから、そこに午が廻座で来ると、地支本命殺や午午の自刑になってしまう。
午と卯は害の関係である。
そもそも東自体が卯の定位だから、命式に午を二つ持つ岡田有希子にとって、元々良くない方位である。
卯は東が定位だから、廻座の卯が来て、凶意を強めてしまう。
更には、午が二つあるから、反対の十二支の子も見るが、子は卯と刑の関係で良くない。

岡田有希子が自殺したのは、転居から3年近く経った1986年4月8日だが、年盤・月盤の作用を受ける時期であった。
ちなみに、五黄殺・暗剣殺・歳破・月破のいずれの凶殺も受けてはいない(だからか、既存の九星気学ではこの事例は言及されていない)。



しかし、十二支的に見れば、良くない事例である。


芥川龍之介の事例

芥川龍之介
命式
時日月年
甲壬壬壬
辰辰寅辰

芥川龍之介は自殺直前の1927年4月2日に神奈川の鵠沼から東京の田端に転居している。
自殺したのは1927年7月24日であり、2ヶ月くらいすると転居の方位効果が現れると言われている。



北東と北の境であるが、若干北東寄りだと思われる。
転居は丁卯年の癸卯年であり、十二支は同盤月である。
北東は年盤も月盤も午が廻座し、北は年盤も月盤も申が廻座していた。
午午は自刑である。
北東は丑と寅が定位だが、北寄りだと丑の効力が強まると考えられる。
丑と辰は害の関係で良くないし、辰が三つもあるので効果は3倍に倍加してしまう。
1927年の年盤は北に暗剣殺が廻座していたが、代表的な凶殺はこれくらいである。
やはり、丑と辰の害の関係が良くなかったと思われる。



ケネディ大統領の事例

ジョン・F・ケネディ
命式
時日月年
丙辛乙丁
申未巳巳

ジョン・F・ケネディの転居の期間や動向自体はよく分からない。
しかし、暗殺直前の方位は重要な事例だ。
ジョン・F・ケネディは、暗殺直前に首都ワシントンから南西のダラスに移動した。


南西
年盤 己酉
月盤 己巳 五黄殺
日盤 甲戌 暗剣殺

年盤は酉で吉神(未申酉の三支並び、巳酉半三合)なのだが、2日間程度の行動では力を発揮しない。

一方、巳は命式の年月の巳と地支本命殺である。
巳申の合は良いのだが、やはり年月の地支本命殺の凶が大きい。
更には、月盤の巳には代表的な凶殺の五黄殺までついてきていた。

それだけではなく、南西は未と申の定位であり、命式に未と申を元々持つケネディにとっては、この点でも地支本命殺である。

しかし、移動等の事故や事件は日盤を見る。
転居は年盤・月盤重視だが、短期の旅行や移動は日盤・時盤を重視する。
そもそも、出発が21日、暗殺されたのが翌日22日だから、日盤の効果が出る。

ケネディの日盤は、暗剣殺であり、暗剣殺は外や他人からの災難である。
暗殺も暗剣殺の象意である。
更には、廻座している戌はケネディの命式の未と刑の関係で良くない。
ケネディの事例は、日盤の悪さを月盤が助長した事例と言える。

ケネディ最期の地であるテキサス州ダラスはアメリカの南西部にあり、ワシントンから見て南西の果てにある。



アメリカは東か北東か?
プリーズ・フリーズ銃撃事件について

服部剛丈さんは1992年8月1日に日本を出発し、渡米して留学した。
そして、1992年10月17日に銃撃されて、命を失った。

服部剛丈
命式
時日月年
 壬丁乙
 申亥卯

北東
年盤 乙亥 暗剣殺 歳破
月盤 庚戌 月破


年盤を見ると、外や他人からの災難を示す暗剣殺があり、歳破もついている。
月盤も月破がついている。
芥川龍之介の事例同様、転居から2ヶ月半くらいで最悪の自体になっていることが共通している。
十二支では亥亥の自刑、申亥の破があり、北東は丑と寅の定位だから、丑戌の刑もある。
服部剛丈さんの事例からすると、アメリカは北東の方位の可能性が高そうである。



伊良部秀輝の事例

伊良部秀輝
命式
時日月年
 庚戊己
 辰辰酉

1996年の渡米時
伊良部秀輝は1996年12月5日に強行に渡米し、13日に帰国した。

北東
年盤 己卯
月盤 壬寅 暗剣殺

北東の定位は丑と寅、年盤・月盤で卯と寅が来て、命式の辰も加わり、丑寅卯辰の4支並びと東方合木局が成立していた。
大吉である。
これにより、以降のアメリカでのメジャー生活でも活躍していくこととなる。
しかし、年盤で卯酉の冲や月盤で暗剣殺もあり、トラブルも抱えることにもなった。



2002年12月7日に日本で阪神タイガースと契約
おそらく帰国は11月節
北西
年盤 癸未
月盤 壬子 歳徳神

歳徳神や子辰半三合、酉戌亥子の4支並びは大吉。
しかし、子酉の害、辰戌の冲等は良くない。



2005年の渡米
北東
年盤 戊子
月盤 壬午 ?

子丑寅の3支並びと子丑の合、子辰の半三合は良い。
しかし、子酉の害、丑辰の害は良くない。
そして、3月節の渡米で正しいとすると、年盤と月盤の対冲月(2005年は乙酉年、3月節は己卯で天戦地冲で良くない)である。
北東方位も、廻座する十干十二支が戊子と壬午と天戦地冲になっている。
こういう時期の転居は、よほど十干十二支が良くないと難しい。
事実、伊良部秀輝はこの転居の後、様々な悲惨な事が起こり、自殺に至ったのである。



今後は、吉方位を取った後に運命が劇的に好転した有名人達の事例も解説する。