テーマをボイストレーニング研究にしようか、音楽鑑賞にしようか迷った。

 

話している内容は悪くないんだけど、ボイストレーニングダンベルと結びつけるのはちょっと違うかな?と思った動画。

 

本当に歌カラオケが上手くなりたい人向けの動画。ただし、具体的なトレーニングダンベルとかではありません。

「よく聴く」ことが大事なクラシック好きに向けた動画かな?

 

いきなり自分語りして、健全な発声や音楽を音楽としてやるために発信しているらしい。

 

DM?

カラオケで何点取れて、何々を意識して歌っているんだけど、どうしてもここのしゃくり右上矢印とかが取れない。どうしてもここの音程音符が当たっていない。

あるいは、歌カラオケの練習をしているけど、譜面のここができない。

あー従来型ボイストレーニングダンベルあるあるですよねー

ほら、クラシックでも従来型ボイストレーニングダンベルでもそうなんだけど、そういうのって楽譜を重要視するじゃないですか。

だからどうしても楽譜通りにできないと、どうしたらいいの?みたいな質問することになるんだよねー

 

カラオケがガチで上手くなりたければ、ざっくりと、資格視覚情報に頼らない。

あーたしかになーびっくり

実際のライブって視覚情報に頼ってないよね。なんだったら、カラオケとかと違って、歌詞すら見ないというか。

ガチ勢だとそういうこともたしかに大切かもしれない。

ただ、夏夫みたいに歌カラオケがあまり上手じゃない人が同じようにやってしまうと、歌カラオケが上手くなるためには歌詞を暗記することだ。とか目標が変わって、余計歌カラオケが下手になりそう。

どちらかというと、歌カラオケで悩んでいる人向けというよりは、基本的なことを一通りできるようになって、某髭とかに挑戦しているような人向けかな。

ピッチは多少悪くても音程音符取れるようになっている。高音もある程度は出せる。リズムドラムもズレない。これらが無意識でできる。そのレベルになってから、じゃあ感情乗せようか。みたいな状態の人向けですね。

当然、視覚情報に頼ってしまうと感情とか乗せられないし、乗せられたとしても、作ったような不自然な感じになってしまう。じゃあそれだったら、視覚情報に頼らずに自分の感覚を信じて感情とか乗せようよ。という話ですね。

 

音楽を音楽音符として聴くことが大事。これがめちゃくちゃ難しい。

なぜなら、上に書いたように、ある程度歌カラオケのレベルが上がらないとそうやって聴けないんですね。聴けたとしても、思うように表現できなくて、何か違うな?ってなる。

で、その違うところを自分で埋めようとして、ドツボにハマっていき、歌カラオケで悩んでしまう。

当ブログ始めるずっと前、もう20代ぐらいの頃の夏夫がそれでした。

今は40過ぎのオッサンですが、そんな夏夫にも20代の頃がありましたよ。(Dr.H風に)

 

譜面やカラオケの採点バーは長いこと使ったり、一定以上の歌のレベルの人が使ったりすると、良くない状態になりがち

大事なことなので、大きい文字にしました。

でもクラシックだとずっと譜面使うんだよねーなんだったら、プロでも譜面見ながら歌っているよね。

 

使っていいのは歌カラオケの超超初心者。いやー夏夫は違うと思います。というのも、夏夫ぐらいのレベルでもフレーズ勘違いするとかあるからね。

昨日の話とつながってくるけど、シンコペーションになっていたりとか、間に低い音音符が入っているのを無視したりとかね。

 

音程音符がそもそも1コも取れない。いやいや、逆にそんな状態で譜面やカラオケの採点バーを使うと、取れないの連続でイライラムカムカするだけですよ。

音程音符が1コも取れない状態であれば、やることは譜面やカラオケの採点バーを見ることではありません。音程音符の取り方を身につける必要があります。BEAMとかね。

 

音程音符通りに声をコントロールするには?それがなかなかできないから歌カラオケで悩むんじゃないですかね?

 

譜面とか歌い方解説というのは、誰かの結果

歌い方解説はともかく、譜面は違うのでは?

まあ、ライブとかで譜面通り歌わないというのもありますが、基本の譜面は存在するよね?

そんなこと言ったら、音楽音符自体、誰かの結果になるのでは?

数学の公式を解くみたいなこと、やってますが。

 

レポートをレポートとして、取扱説明書のようにやっていると、上手くいかない。それはありますね。

だからしらスタは当てにならないし、歌カラオケが上手くならないんですよ。

 

こっち(視覚情報)に集中しているから、脳がタスクをこなすとか、音楽音符の感性じゃなくなっている。え?ボイストレーニングダンベルってそんなものじゃないの?ボイストレーニングダンベルに音楽音符の感性的な要素、ありますか?

 

音楽音符を聴いて、雰囲気とかメロディとかを聴く力がシャットアウトされ、音楽音符を自分の頭で考えてしまう。

そうだねーボイストレーニングダンベル長いことやっていると、どうしてもそうなりがちだよね。

でもボイストレーニングダンベルとか全て忘れて、音楽音符聴いて、好きな音楽音符ができて、じゃあその好きな音楽音符はどういうところが良いの?と聞かれて説明するってなったときに、雰囲気とかメロディとか、あとは声とか、歌詞とか、そういうところに注目するよね?

で、そういうところを表現できないからボイストレーニングダンベル始めよう。ってならない?

夏夫は音痴克服がきっかけだったけど、それだって音程音符合わないから雰囲気とか全然違って嫌だったからとも言い換えられる。

 

まず自分でのアナライズが大事。アナライズって何だ!?

自分で分析する。いやいや、音楽音符は頭で考えない方がいいって言ったの、誰!?

どっちなの!?考えた方がいいの?考えない方がいいの?

音楽音符から学ぶつもりで聴いて、自分なりに練習する。

いやいや、ボイストレーニングダンベルってお金札束かかりますから、誰でも音楽音符から学ぶつもりで聴いて自分なりに練習しているんじゃないの?

で、それで練習して上手くいかないからボイストレーナーを頼っているんじゃないの?違うの?

 

結果、分からなかったから、解説を参考にして、自分の歌カラオケに取り入れる。

でもね。他人のレポートって言っているように、なかなか自分の歌カラオケに取り入れるのも難しいですよ。だって、自分の答えじゃなくて、他人の答えだから。とある前提があって、その前提を満たした状態での答えだからね。となると、その前提から学ぶことになるので、結局は自分の歌い方から変えることになる。

だから、参考にしたってすぐに上手くなったり、分からなかったところが解決したりするわけではないんですね。

 

結構歌えるようになってネックになっているのが、ずっとカラオケで練習していて、だいたいの曲をパッと聞いたらなんとなく歌えるんだけども、1曲も歌詞を覚えていない。

あー夏夫思い当たりますね。

歌詞を覚えていないのもそうなんだけど、1題目番と2題目番を間違えるとかね。

その自戒も込めて、当ブログのタイトルを「にだいめも歌いましょう」にしました。「にだいめ」は歌カラオケの2番のことです。

ここにいっぱいおすすめ曲の記事書きましたが、それらの曲で歌詞どのぐらい覚えているかというと、たぶん1割程度かなと思います。糸とかカブトムシとか最近出てきた曲は割と覚えているかな?

カラオケだと歌詞が出るから、わざわざ覚える必要ないというのも関係しているかもしれませんね。

やっぱりカラオケよりアカペラで歌うカラオケ機会を増やした方がいいのかな…?

 

1曲も解説無しには歌えない。いや、むしろ解説ある方が歌いにくいよ。

アプリとかでリズムドラム付いているやつがある。

それらに頼りすぎちゃうとただのゲームになる。そうだね。頼り「すぎちゃう」とね。

じゃあどうしたらいいか。夏夫的にはどんな歌なのかを改めて確認してみると良いかと思います。

ドラマやアニメの主題歌だったら、そのドラマやアニメを見るのもアリです。それで、どんな場面で使われているのかを把握すれば、自然と歌カラオケもその場面に合ったものになるかと。

 

あーそういう意味ではメトロノームでリズムドラム取る方法はあまり良くないのかもしれませんね。

ポップスの強弱が取れなくなるばかりか、メトロノームが無いとリズムドラムが取れなくなるようになるというか。

本当は曲をよく聴いてリズムドラムを合わせるものなのに、メトロノームに音音符を合わせるゲームになっている。

 

音楽的な感性でちゃんと音を聴いている、流れを意識している感覚とは違う。

音程音符バーもただの把握ならいいけど、ここの音音符は高いからと喉で高さを作ると無意識な喉声につながっていく。

喉声はもろいゆうさんに否定されているけど、無理矢理音程音符バーに合わせました。みたいな歌い方すると良くないってやつか。

例えば、全体的にピッチが低いから、音程音符バーの少し高めを狙って発声しよう。みたいなね。

で、その癖つけて、音楽聴くときに勝手に少し高めの曲にすり替えたり、表現入れてもぎこちなくなったりするとかね。

それだったら、BEAMを固定して無意識的にピッチが合うようになったらいいよね?というのがBEAMトレーニングダンベルか。だからポップス専用のトレーニングダンベルなんですね。

実際、BEAMトレーニングダンベルでは、音程基準ではなく、BEAM基準って言ってますからね。BEAMを固定した結果、音程音符が勝手に合うわけですから、はじめから音程音符を合わせようとしません

 

目に見えていると喉で高さを作る。だからこそ、喉で音程音符を取ろうとしない方法が必要なんですね。

これが無意識な喉声につながっていく。はい。セールストーク。

 

高い音にいくときに、無意識に喉でコントロールしている感覚が無いか?とかね。

精神的な面もあるかもしれません。高いって分かっているからこそ、緊張しちゃうとかね。

 

喉閉めが無意識に蓄積している。いやいや、喉閉めは蓄積するものじゃないでしょう。

 

あるとき突然、あれ?前よりちょっと歌いにくい、この曲前は違和感なかったのに、最近すぐ息切れしちゃう、歌っていたら苦しい、高音の出が悪いとかになることがある。

いやーどうだろ。視覚情報に頼りすぎが原因でこうなることはあまり無さそうな気がします。

どちらかというと、その視覚情報を参考にし始めたときに起きそうです。どうしても自分の歌い方と違うものを参考にするものだから、その違いによってこれらの不調が出るものかと。例えば、ブレスの位置をキメキメにするだけで、今までのブレスの位置と違うから、そこで息切れするとかね。

あとは夏夫も経験した原因不明の喉の不調とかね。

緋月ゆいさん(久しぶりだなこの名前)も言っていたけど、風邪引いているのに歌えることがあるとかね。

誤解しないでほしいのが、歌い「やすい」ではなく、歌える「こともある」というものです。

逆に何ら調子が悪いわけでもないのに、なぜか歌いにくいとかね。視覚情報に関しては特に変えていないので、その影響でもなさそう。

あとは上にも書いたように、精神的な影響も大きいかと思います。

 

歌い方解説や譜面を使ってもいいけど、使い方が大事。

作っている人はそんなことを気にしていない。あーそんなものなんだ。だからなんか適当感あるんだ。(譜面に関しては精巧に作られているものもありますが)

スケールだの、鼻腔共鳴だの、フェイクだのを狙って入れようという作り方はしていない。あー解説じゃなくて作曲の方ね。たしかにそうでしょうねー

Dr.Hだって、クリエイティブな作業って言っていたっけ。

もっと書くと、そういうのを狙っていないからこそ、歌カラオケの練習もしていないのでは?

 

あーこの人も曲作る側なのか。

これだけ書いておいてアレなんだが、曲を作ることと歌カラオケが上手くなることは別物なんじゃないかと。だから、曲を作る人の話を聞いても歌カラオケは上手くならないんじゃないかな?

どちらかというと、曲を作る側はクリエイティブに作っておいて、歌を入れることに関しては、練習なしで自分の思うままに歌っているんじゃないかな。等身大のありのままの自分を表現するというか。それでCD化するときに編集とか加えてきれいな歌にするとかね。

で、夏夫とか歌えない側の人間はその歌を歌えるようになるために、ボイストレーニングダンベルとかやって歌カラオケを上手くなろうと必死になっているんだよね。

でも本人は歌カラオケの練習をしていない。でも夏夫とかは歌カラオケの練習をしている。そこにギャップが生まれるのかな?

等身大のありのままの自分も違うから、曲作る側の人に歌習っても歌カラオケは上手くならないよね。

 

さてさて、表現が出てきましたね。この記事でも繰り返し出てきています。

やっぱりそうなんですよ。結局は音楽音符も表現なんですよ。

作る側はその表現で作っているし、ボイストレーニングダンベル受けてない人で歌いたい人はその表現を真似しようとするんですよ。

で、その表現が上手くいかないからボイストレーニングダンベル受けるんですよ。だから、ここは別に行き違いがあるものじゃないんですよ。

 

じゃあなんで行き違いがあるように思えるのかというと、それらの表現1つ1つが難しく、習得するのに時間時計がかかるからじゃないかな?って思うんですよ。

つまり、毎日の練習に精いっぱいになって、目的が見えなくなっているとかね。

Dr.Hが言っていた、歌いにくい身体と歌いやすい身体の違いみたいなものですよ。

大本は上手く表現したい。という目的だったのが、いつの間にか何々という技術を身につけたい。に変わり、その技術が使えないのは練習が足りないからだ。ということで、練習に精いっぱいになって…

だからこそ、「基本的なことを一通りできるようになってから」と書きました。そうでないと表現できないから。歌カラオケの世界を表現できないということは、結局歌カラオケは上手くないことになるよね?

 

考えているものはシンプルで高尚なものじゃない。そうですよねー

でもボイストレーナーが専門用語使ってあたかも高尚なもののようにしているよね。

 

作り手とかプレイヤーが意識していることとそれを歌う人達の感じ方が分断されている。そうでしょうね。上に書いた通りです。作り手とかプレイヤーにとってはシンプルで簡単な表現であっても、歌う側にとっては難しいですからね!

便利がゆえ。うーん。インターネットとかの発達で色んな人と触れ合うことができるという意味では便利がゆえだけど、作り手やプレイヤーと歌う側のズレという意味では違うかな?

 

カラオケを練習するときに譜面付けたり採点付けたりすることはある意味丁寧なのかもしれない。丁寧でしょうね。でもそこまでする必要無いってやつかな?

で、その真面目さはどこから来るかというと、日本人の特徴である「間違ったらいけない」という意識。

絶対違うムキー

いや、もうボイストレーニングダンベル受けている時点で間違える前提じゃん。

あーこんなこと書くと当ブログ見ているBEAMトレーナーさん達が落ち込むかな?(というか見てるのか?)

ボイストレーニングダンベルにしろ、BEAMトレーニングダンベルにしろ、夏夫は間違える前提なんですよ。間違ってもいいから、とにかくやらなきゃって思いが強いんですよ。だって、間違ってもやらなきゃ進めないからね。

もちろん、ワザと間違えるとか、そういうのとは別です。本気です。本気でやって、それでもなお間違えるわけです。

で、間違っているところを改善していき、自分のやりたい表現を手に入れていくって感じですね。

というか、ボイトレ教室ってそのためにあるんじゃないの?違うの?

 

譜面はともかく、採点も「間違ったらいけない」という感覚でつけていません。どちらかというと、今日どのぐらい音程音符合うかなー?最高音届くかなー?というその日の調子を見るためにつけている感じです。

むしろ採点で間違えずに歌えたら、それこそ奇跡ですし、めちゃくちゃ自信がつくことでしょう。でもそれを目指しているわけではありません。

 

不快な音を聞かさないという、聴いている人への配慮

それも大事だと思うよ。

だって、それやらないと、誰も歌カラオケ聴かなくなるよ。

ここで音程音符外したらダサい。あーこれはありますね。

というのも、音程音符外したら世界観ガラッと変わってしまうじゃないですか。それが嫌なんですよね。

世界観あまり変わらない程度の音程音符の外し方であれば、いいんだけど、そうじゃなかったらダサいなと思うことはありますね。

間違ったらいけないとまでいかないけど、どんな風に伝わったか心配になることはあります。会話みたいなものというか。

会話だって間違ったらいけないということはないけど、変な伝わり方して傷つけるつもりがないのに傷つけてしまったら嫌じゃないですか。そういうのが怖いかなって。

 

この丁寧の方向性と音楽的に練習をやるという丁寧の方向性は違う。

音楽的に練習をやるというのは何だ?

 

シンガーソングライターになるつもりの練習が必要。どんな練習だ?

音楽音符をパッと聞いたときに良い音楽だね。とかフィールで捉えるもの。

他人のライブを見るときって受動的。そうかな?

夏夫が行くライブの特性かもしれないが、積極的に手拍子拍手とか声出しして盛り上げている印象。

あーでもクラシックとかだとそんなことしないよね?あれ?でもクラシックだったらライブというよりは演奏会って言うよね?あれれ?

 

音楽音符から学ぶとか、音楽音符を何も考えずに感じるとか、そういう感性が奪われつつあるような気がする。そうなのかー

それはたぶん、ボイストレーニングダンベル中毒ですね。歌カラオケが上手くなりたいがためにボイストレーニングダンベルをやり過ぎて、そういう感性が分からなくなっているのかな?と思います。

それでも、音楽を好きになるとかいう根底にあるのは、そういう感性なんじゃないかなと思いますね。なぜその曲好きなんですか?というと、ボイストレーニングダンベル受けてない人は技術的な回答をしませんよね。もう本当に何も考えずに音楽を聴いているだけですからね。

中には音楽音符の中身関係なく、楽しかった思い出があって、その場所で鳴っていた曲だから。という回答もありそうです。そうなると、技術的なものでも、この人が言っているような感性でもなくなりますが。

 

人を引き付けるような歌や楽曲にもつながるが、音楽的な感性って譜面とか、誰かの結果にはない。

あーこれに関してはDr.Hも同意見でしょうね。だからこそ個性が重要なんですよ。

ただ、夏夫的には音楽的な感性はたしかにボイストレーニングダンベルとか、楽譜とか、そういうものでは得られないとは思いますが、それだけでは人を引き付けるような歌カラオケにはならないかなと。

やっぱりその音楽音符の世界観を表現できるようになるために、技術的・体質的な部分も必要なのではないかと。

かといって、専門用語に囚われすぎて、それができるようにならなきゃ!と考えるのも違うかなとは思うんですよ。

目的はその世界観を表現することであって、専門用語や技術にこだわることじゃないんですよね。それらにこだわらなくても、世界観を表現できればそれでいいんじゃないかと考えております。でもそれが難しいんだよなー

 

先に解説や譜面を見るのではなく、自分で分析しようとする。

あーやっぱりそういう能動的な部分が大事なんですね。夏夫もそう思います。そうしないと自分のものにならないからね。

なんだか学校の勉強の予習に似てますね。

ということは、カラオケの採点バーはテスト的に使えば効果的…なのかな?

 

すごい受動的。そうかな?

色々聴いてみようというのは能動的だとは思うけどね。

受動的というのは、与えられたものしかやらない。とかだと思う。受動的だとライブに行かないよ。

 

動画を見ている人は音楽が好き。

いや、音楽が好きだからこそ、そういう感性を大切にしているんじゃないかな?少なくとも、夏夫はそうだけどね。

こんな風に歌えたらいいな。あーたくさんありますね。

案外ボイトレ教室選びをするときなんか、そういうのを比較することはありますよね?先生とか生徒が歌うのを聴いて、こういう風に歌いたい。ってね。

 

その気持ちというのは、他人が関与していない。いや、しているよ。

あ、でも、ボイストレーナーが関与していないという意味ではそうか。ただ、全く他人が関与していないというわけじゃないけどね。

 

自分の練習も自分のためにやっている。

自分のためではあるけど、ゆくゆくは歌カラオケを聴いてくださる他人のためでもありますよ。

歌の世界観にどっぷりハマらせたいですね。

 

丁寧な練習の方向性が大事。

いや、音楽聴くことは練習って言わないから

要は個性を潰すなってことでしょう?