(予約投稿の日時を間違えてしまい毎日投稿が途絶えてもーた😅)
こちらの記事の続きです
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私が投稿した記事をコメント付きでシェア(共有)して下さった方へのお返事を書こうとして、書いては消し書いては消しして、未だ返さずにいる、
その理由は、センシティブな案件だからで、それは『育ち(生まれ育った環境)』の違いから来る思考方向の違いがあるからで、
コメント付きでシェアして下さった方の主旨は、田舎特有の『見守り』のせいで、人の目を気にしてしまい生きづらさを抱え、地元を離れて都会に出て行ってしまうのではないかと、そんな内容でした。
ところで、人はそれぞれ置かれた環境で育ちますが、
どこで育っても『人の目』を気にして自分らしく振る舞えないとの悩みを抱える人はいて、田舎だから多い、都会は少ないと言う訳ではないと私は思っています。
ただ、都会は人数が多いので、その地域を出て行っても人数的な痛手はなく、出て行くことに干渉(感傷も)ないのかなと思います。
見送る側の周囲が、実家を出て行くことに対して『そこ』までの思い入れがなく、地域に繋ぎ止めておこうと、その為にどうすれば良いのか?などと自治体ぐるみで悩んだりしないのは、住んでいる人数が多いからで。
『個人的なこと』はほとんど目立たない、単純にそれだけのような気がします。
だから、大人の目が届かない故に深い悩みに発展して、逃げ場所がないと『逃げ場所』をこの世ではないところに求めてしまうのではと、その確率が都会の方が高いのではと考えたりします。
【編集後記】
人は自分が経験した範囲内でしか考えることができません。
『想定』と言う言葉がありますが、想像できる範囲は経験したことによって決まるんですよね。
どちらが良い悪いと言うことでもなく、知識や経験の差がある、その思考の下地になっているものが違うのが自分以外の他人と言うことです。
私には、同じ場所同じ顔ぶれの人の中で暮らすことは安心感に繋がるのではと思い、故郷や実家と呼べる場所がない私にとっては羨ましいと思うのですが、それこそ『逃げ場がない』状況に陥りやすいだろうなと思いはします。
でも、同じ顔ぶれの中で暮らすことは、『平常』と少し変わった様子を見つけて貰いやすい環境だと思うのです。
そして『平常』をずっと共にして来た、声を掛けられやすい環境の中で見守られて育つことは、リスクよりも恩恵を受ける場面の方が多いのではないかなと。
(あまりに当たり前過ぎて、それが『恩恵』だとは気が付かないレベルのものだろうけど、それを受けられなかった私には羨ましいと思う)
私や10歳年下の夫の子供時代は、周囲の大人にも躾を受けていて、普通に怒られていた時代でしたが、そんな沢山の大人が関わってくれていた時代に対して今はどうなんでしょうね。