長くなってしまった今朝の続きです。
#そして編集後記も熱い😅
こんばんは。
夏海のお部屋の夏海です。
この記事は、こちらの記事の続きの
👇
今朝投稿した記事の続きとなります。
過去記事にも書いたように、
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https://ameblo.jp/natsumi-no-oheya/entry-12443508745.html
規則正しく飲むことを選択するのか
飲まないことに心身を慣らす道を選択するのかですが、
私は面倒臭がりややので、毎回計って水溶液にして飲むと言う手間が掛かるやり方をしていたならば、面倒臭過ぎて途中で投げ出していたように思います。
投げ出す方向は2つ。
面倒臭いから、いっそ飲むのを辞めるか
面倒臭いから、いっそ断薬を諦めるか
私は「ここまで頑張ったのに」と、その努力を惜しいと思うタイプなので、
(だから『捨てる』と言う思い切りがなかなか出来ない)
きっと途中で飲むのを辞めるのだろうなと想像します。
が、地道に頑張っておられる方々はとても勉強家で、濃度の計算もきちんとしておられるので、私のように「ええい!面倒臭い!」と、『面倒臭い』が勝つことはないのではと思います。
でも、だからと言って、『面倒臭い』作業が日常の中に必ずある生活は無くならない。
毎回精神薬を飲む度に怒りは新たに湧いて来ても不思議ではないように思います。
「こんな面倒臭いことをしなければならないのは、こんなに離脱症状に苦しめられるのは、○○のせいだ」
断薬時には恐怖と戦わねばなりません。
離脱症状に対する不安や恐怖
離脱症状がどれくらい続くのか分からない不安
『精神薬を減薬している』と言う不安
これで合っているのか?と言う不安
辞めてしまって本当に大丈夫なのだろうか?と言う不安
その不安や恐怖が強い怒りに変わり、
強い怒りのせいで筋肉を硬直させてしまっているのではないでしょうか?
リラックスすることによって、肉体は一番パフォーマンスが良い状態を作り出すことができます。
でも、それが出来ない状況を、怒りの感情により作り出せない状況になってしまっているのでは?と。
離脱症状を強めているもの、離脱症状がなかなか離れていかないものの正体が、実は『恐怖』や『怒り』の感情なのだとすれば?
【編集後記】
この本を初めて見て、私は初めて内海医師を知りました。
そしてFacebookで発言していることを知りました。
最初はよく投稿を拝見していたのですが、『ぐーみん』と言う言葉が『愚民(愚かな人)』を意味していると知って目が覚め、冷めた目で投稿を読むようになると、そこにコメントしている腰巾着がとても目に入るようになりました。
当時は百歩譲れなかったので、『ぐーみん』と精神薬を飲んでいる患者さんをひとまとめにして罵倒する内海医師も嫌でしたが、何よりも嫌だったのは、精神薬を飲んでいる人に何一つ貢献していない癖に一緒になって罵倒する腰巾着の存在でした。
自分が上の立場に立ちたい。
自分は物知りだと吹聴したい。
自己顕示欲の固まりのかまってちゃんがこぞって、他人の投稿に他人の褌を履いて他人を罵倒している顔を想像して、精神衛生に悪いので投稿を見るのを辞めました。
YouTubeを見ていると、飲み食いしながら片手間で喋っている投稿ばかりで不愉快でしたが、
内海医師は本当に忙しく、飲み食いしている時間を使って質問を受付けて答えている様子を、ただ動画に撮られているだけなのだなと、
内海医師が伝えたいと言うよりも、
内海医師の言葉を伝えたいと願う人がいて、作成され投稿されているのだなと言うことに気付きました。
「自分の話を聞きたい人は、まずは本を読んでから直接会いに来なさい」と言う内海医師のスタンスは昔から一貫して変わってないのだなぁと。
会ったことがないので何とも言えないのですが、私の中にあった拒絶のバリアが少しゆるんだように思います。
(ところで最近思うのですが、私は腰巾着が心底嫌いなんだなぁと😓)