20年前、阪神淡路大震災があって、
炎の中で焼かれている人をTVで見ながら御飯を食べなければならなかった。
20年前、地下鉄サリン事件があって、
サリンガスで苦しんでいる人を見ながら 御飯を食べなければならなかった。
20年前、妊娠がわかって、
1ヶ月間 毎日毎日お昼御飯の後に 義父から働かないことのイヤミを言われ続けたことを誰にも言えず、
1ヶ月後 流産した。
出産すると1ヶ月は子宮を休める為に、安静にして過ごすと聞いた私は、
流産して1ヶ月間、初代うーたんと 義父母の白い目を浴びながら、自宅で静養した。
まだバブルが弾けていなかった当時、自動車業界の底辺にいた工場は忙しく、
義父からは相変わらず毎日イヤミを言われ続けていた。
1ヶ月経ち、「もう 良いでしょ」と うーたんに言われて、家業の鉄工場に復帰することになった。
私は毎日死ぬことしか考えていなかった。
復帰する朝、出勤する車の中で聞いた曲。
どうやったら『合法的』に死ねるのか?そんなことを考えながら運転していた時だった。
この曲を聞けたお陰で、死ぬことなく 生き続けることができた気がする。
運転しながら 泣いた。
そうか。
生きていても 良いのか。
そう思わせてくれた 一曲です。