ルーチン・イン・ザ・ロックダウン 好きなこと・嬉しいこと 10th day
すごい!10日目だ!我ながらよく続いてる!
で、今日は、大好きな"色"のお話。
お付き合いください。
ナイーブアートを描いていて、一番よくつかう色がプルシアンブルー。
深い深い海の色。
このブルー、なぜプルシアンと呼ばれるのかご存知ですか?
あ。私、色の名前のこと、あれこれ考えるのが好きなもので。
いろいろ調べてみると、1700年代初頭にドイツで発明された顔料、だからだそうです。
青色顔料は、1704年ドイツのベルリンにおいてディースバッハによって発見された。そのため、顔料の発見地ドイツの旧王国名・州名プロイセンに由来してプルシアンブルーと呼ばれるのが一般的である。
ふむふむ。ちなみにプルシアというのはプロイセンの英語読み。
また、「ベルリンの青」という意味を込めてベルリンブルーと呼ばれることも多い。
わあ。ベルリンブルーっていう呼び名もなんだか素敵な響き。
で、このヨハン・ヤコブ・ディースバッハという人は、染料を作る錬金術師で、いつものように赤色を調合するはずだったのが失敗して、たまたま青色になっちゃったんだそうな!
なんでも、赤い色を作るのに使っていた原料に、豚だか牛だかの血が混じっていたらしく、その血の中に含まれていた鉄分が良かったんですね。
失敗は成功の元ですね!
なので、「鉄のブルー」いう意味で、アイロンブルーとも呼ばれるそうな。
う〜ん、でもこれは、あまりロマンチックな呼び名じゃないわ…。
さらに、ほぼ同じ時期にフランスのパリで、ミロリによってまったく同じ顔料の製法が発見されていた。これにより、発見地の名前を取ってパリスブルーあるいはパリブルーと呼ばれることもある。
パリスブルー?ステキ!この呼び名は悪くないかも〜。
でも、残念ながら一般的に誰もこう呼ばないから、軍配はベルリンに上がったな。
さらに(まだある!)日本名では基本、紺青っていうんですけど、ベロ藍とも呼ばれている、かの葛飾北斎や歌川広重が愛した青!というお話は長くなるのでまた次回〜
でもところで、このプロイセンってどんな国だったっけ?
Wikipediaから簡単に抜粋してみましたので、ご興味のある方はどうぞ。
プロイセン王国は、現在のドイツ北部からポーランド西部にかけてを領土とし、首都はベルリンにあった。
はいはい。この辺はわかってます。
プロイセンの語源となったプルーセンはドイツ騎士団に征服され、1224年にドイツ騎士団国が作られ、1525年にプロイセン公国となる。
君主フリードリヒ・ヴィルヘルムがオランダ総督との姻戚関係によって威勢を増し、1701年にプロイセン王国となった。
王国は北ドイツ連邦の盟主となるまで軍事国家として成長し続け、普仏戦争に勝利したのちプロイセンを盟主とするドイツ帝国が誕生する。
なるほど。が、しかし…
第一次世界大戦における敗戦→崩壊にともないプロイセン王国はプロイセン州となり、西プロイセンはポーランドに割譲され、本来のプロイセンは「東プロイセン」となる。
1934年にナチス・ドイツは州の機能を停止。
第二次世界大戦、ドイツの敗北後、プロイセンはドイツ軍国主義の元凶扱いされ、連合国はプロイセンの抹殺を取り決めた。
この地に残っていたドイツ人はドイツ西部に追放、領土はポーランドとロシア(カリーニングラード州)に分割され、地上から完全に消滅することとなる。
ああ、なんだか悲しい話よね。って、歴史上の国々の消滅はどれも無情だけど。
でも現在、こうやって、色の名前の中に残っているっていうその不思議…