PORTA LATINA
あっという間に2月になってしまいましたが(汗)、本日はラティーナ門です。
この門を通るラティーナ街道は、アッピア街道と同じくナポリ方面に向かって伸びています。
でもこっちの方が古いんだそう。
アッピア街道は軍事目的として、ひたすら真っ直ぐ、一刻も早く軍隊が目的地に着くように整えたけど、ラティーナ街道は、地形に沿って山あり谷あり。
なので、アッピア街道ができてからは、こちらはマイナーな道になってしまったのだそう。
ま、そりゃそうでしょ。真っ直ぐな方が楽だもん。
でもとにかく、この門、なんだか素朴でとっても気に入りました〜。
周りの住宅街もいい感じ。
ん?門の向こうに何やら気になる建物が…
門を潜ってみると、奥にはとってもいい感じのラティーナ街道が続いていました。
で、この建物は、十字架があるのだから、教会?礼拝堂?
入り口の上にある紋章は誰だっけ?
ま、とりあえずスケッチ!(壁のいたずら書きは、もちろん省きます)
はい、帰ってから調べて、名前も入れました。
教会の名前は、サン・ジョバンニ・イン・オレオ教会、というか、礼拝堂。
ん?オレオ?美味しそうな名前〜って思ったら、実は恐ろしい話が!
サン・ジョバンニとは、キリストの弟子で福音書の黙示録を書いた聖ヨハネのことです。
そして伝承によると、なんとこの場所で、煮えたぎった油の中に浸されるという迫害にあったそうです。それでも火傷ひとつ負わなかったという奇跡の人。
そうか、だからオレオ(oleo)=オリオ(olio)=オイルなわけね。
油の中の聖ヨハネのための礼拝堂!
この場所には最初、中世の頃に建てられた礼拝堂があったようですが、16世紀初頭、教皇ユリウス2世時代に再建され、もしかしたら設計はブラマンテとか、ジュリアーノ・ダ・サンガッロとか?
はっきりとはわかっていないようですが、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の建築主任になったブラマンテだったらすごいよね。
でも彼は忙しくて、それどころじゃなかったかも!
上部のヤシの木とユリの花の切り妻部分や、薔薇の花をモチーフにした球は、パオルッチ枢機卿の一族のための礼拝堂として、1657年にボッローミニが修復した時のもの。
この頃はもうバロックだから、ちょっとゴテっとしてるのね。
入り口の上の紋章は、その当時の教皇アレッサンドロ7世の出身であるキージ家のもの。
薔薇モチーフの球のオリジナルは、すぐ近くにある、サン・ジョバンニ・ア・ポルタ・ラティーナ教会にあるらしいので、もう少し暖かくなったら、このラティーナ街道をお散歩しながら行ってみよう!
本日もお付き合い、ありがとうございました
おまけの写真
オスティアをお散歩してたら、歩道にこんな標識見つけました。
犬の落とし物は、ちゃんと拾ってね!ってことですね