リトルの目が一番大変だった頃の色んなお話し

 

元の旦那さんと私のやり取りを

電話越しに聞いていたクマからガッチに連絡が行ったのは

クリスマス直後のことでした

 

 

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最初からはコチラ↓

 

 

当時クマとガッチは違う市に住んでいたので

年末飲まん?とかいうやり取りから

そう言えばナツと会ったぞとガッチが話題にすると

 

え?いつ!?アイツ大丈夫だった?

 

え、何が??

 

そこで電話の一部始終を聞いたガッチは

やはり我慢ならないと元の旦那さんと接触した

 

私がこのいきさつを聞いたのは

もう随分後‥離婚が成立してからのことで

 

年内に2人で会うことになった

ガッチがその日時を報せてくれた時は

クマから色々聞いているとは思わなかった

 

 

それでもとにかく私たち夫婦のことは

特に何もしないで欲しいと思っていたけど

 

それを今ガッチに言うのは得策じゃないと

私からは何も言わなかった

 

だけど元の旦那さんは

 

自分は探りを入れられているのか ―?

という探りを私に入れてきた

 

ガッチから会いたいって言われたんだけど?

これ、なに?

 

クリスマスに3人で居るのを知って

自宅に呼んでくれて子供たちに楽しい時間を

持たせてくれたことを報せ

 

お礼言ってね、奥さん妊娠中に

お料理作って無理してくれたと思うから

 

言うと元の旦那さんは

それ以上 強いことを言えなくなり

 

だから私の方から

 

夫婦のことは

あなたが心配するようなことは

何も話してないよ

 

仕事がとても忙しくてなかなか家には

帰って来られないと言ってあるから

 

と伝えた

 

ホッとした様子に私は別の意味でホッとして

電話を切った

こんな化かし合いも早く終わりにしたい‥

 

 

ガッチからは元の旦那さんと会った後に

もう一度電話を貰った

 

 

あんな可愛い子らいるんだから

ちゃんと家に帰れって言っといたから

 

オレ勝手にさ 

女でも居るんかって聞いちゃったんだけどさ

そんなの居ないって言ってたぞ

オマエそれ心配してんだろ?

 

そっか‥

なんか‥ごめんね

 

頑張れよ

でもオマエ一人で頑張るなって!

 

ウチも子供生まれたら色々教えて欲しいし

また遊びに来いな

 

ガッチありがとね‥先生のこと大事にね

赤ちゃん元気に生まれてくること願ってるね

 

そんな話をして電話を切った

 


ガッチと話したのはこれが最後

 

ガッチと先生の間にはその後数年で

2人の女の子が誕生した

 

2人目が生まれてすぐに東北に転勤となり

引っ越した直後に震災に遭って‥

 

そのくらいまでは

年賀状のやり取りだけは続いていた

 

でも申し訳ないと思いながら

震災の年に私は様々な事情で引っ越しをして

 

その年末からは古い友人には年賀状を出さない

という形で多くの人と連絡を絶ちました

 

最期の電話からは間もなく13年‥でしょうか

もうキチンとはわからないくらい時間が流れました

 

 

 

そんなの居ない‥か

 

元の旦那さんはあくまで

お付き合いしている人のことは他人に言わない

私もそれを知っていることを他人には言わない

 

でも人からみてこの状況は明らかに

そうであるのだなと恥ずかしく思った

 

 

おばさんにしろガッチにしろ

私が夫婦関係を相談して

刺客として送り込んでいると思ったのか

 

元の旦那さんはガッチと会った後

更に強い態度で接するようになりました

 

 

ガッチからこんなこと言われたけど

何言ったの?

 

という怒りに満ちたメールを寄越し

 

何も言ってない

夫婦の状態は一切話してない

離婚したいと言われていることも言ってない

 

こう返しても

 

こういうことがあっても俺は

もやはやり直すつもりはないから

 

そろそろ答えは出ただろう

早々に結論を出してほしい

 

 

 

何通かメールを受け取って

‥もうこれに応じて

別れると言ってしまいたかった

 

 

でもまだ準備が整っていない‥

なにがどうして滞っているのかを伝えようと

 

ここで初めてリトルの目の治療が

うまく進んでいないことと

 

毎日のように眼鏡屋さんへ

通っている話をした

 

 

おばさんから呼び出された後には

その報告を受けた義母からも

電話があって叱られたようだし

 

長く会っていなかった友人からも責められて

イライラしていたんだろう

 

いつまで待てばいいんですか

 

目を隠して生活すればよくなるなら

そうすれば話は早いし

 

保育園がそれに応じないのは

問題なんじゃないか

 

なぜキチンと交渉しないのか

 

 

などと離婚を急かすメールが

矢継ぎ早に届いた

 

あの頃私はハナのチックに悩んでいたし

私の進め方が悪いと言われるのが辛く

ますます自信を失った

 

 

 

こんな中でも眼鏡屋さん通いだけは

粛々と続けていて

 

まもなく主治医の先生と約束した

2か月が経とうとしていた

 

年が明けたら定期検診の予定

そこで内斜視が進んでいたら‥

 

その先をどうしたらいいか答えが出ないまま

目の前の治療を頑張ることしか

あの時の私には出来ず

 

毎日毎日子供たちに負担をかけ続けた
 

 

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ナツ