毎度のことながらすっかり間があきました

リトルの目とその治療が

一番大変だった頃のお話し

 

すっかり忘れた方はコチラ

 

最初からはコチラ

 

 

 

その年の年末年始は酷いものでした

 

おばやおじと会って話した時も
自身の離婚の意向は伏せたために
今の生活について叱責を受けた元の旦那さん
 
 
私から今年は帰省しませんと
連絡を受けた義母からも
 
孫に会えない寂しさも手伝ってか
元の旦那さんに連絡があって
夫婦仲についてあれこれ言われたようだった
 
このままだと離婚されちゃうよ!
 
義母はそう言ったと後で聞きました
 
あの頃元の旦那さんの方の親戚には
私の方が愛想を尽かして
離婚を切り出すのではと思われていた
 
一方で私の身内は
私たちがこんなことになっているのを
母以外誰も知らなかった
 
 
 
周りから色々と言われて
元の旦那さんは年末に渋々帰宅をしました
 
でもそれは
 
親や親戚や友人に怪しまれている今は
おとなしくしていないと
 
部屋や女の人の存在を隠したまま
離婚してしまおうという計画が
ダメになってしまうから
 
 
それと当時お付き合いをしていた人は
独身の地方出身者だったので
 
年末年始は帰省をして
どのみち元の旦那さんは暇だったのでしょう
 
ただそれだけだった
 
その頃年末は元の旦那さんのお付き合いで
必ず御節を注文しなくてはならなかった
 
でもその年はそれもなく
 
買わなくて良かったのかと聞くと
買ったけど職場の人にあげたと答えた
 
義母や叔母から言われなければ
自宅に帰るつもりがなかったことも
そこから垣間見えた
 
 
周りから言われて
イヤイヤ帰る自宅だから当然だけど
その態度は酷い物だった
 
 
後にわかることですが‥
 
当時の本人には子供に対して
酷い態度を取ったという自覚が無かったこと
 
自分がこういうふうなのは私のせいだと‥
自分の蒔いた種とはいえ
妻は優しくない 自分は愛されていない
と明確に思っていたこと
 
これらがとても‥
 
私はこういう人を夫として敬い
尊敬してきたということや
 
夫がこんな風になってしまったこと
自分がこうしてしまったことが
どうしようもなく悲しかった
 
 

休みの間 元の旦那さんは
一日2回コンビニへ行くと言っては家を出て
数十分で戻るを繰り返した
 
電話でもしてるんだろうな‥
相手の人と約束してたんだろうな
 
私にはわかっても子供たちはそうもいかず
ハナが一緒に行きたいと言うこともあったけど
 
いや、すぐ帰って来るから
 
と連れていくことはしなかった
 
当時近隣のショッピングセンターでは
その頃リトルが好きだった戦隊ショーが
定期的に行われていた
 
当時は元旦も営業をしていて
前からの約束でお正月には子供たちを
このショーに連れていくことになっていた
 
お父しゃんも明日一緒に行って?
 
大みそかの夜にハナが言ったものの
 
お父さんは‥いいかな
 
と元の旦那さんは一人自宅に残った
 
3人で向かったショーには
保育園のお友達も沢山来ていた
 
家族で連れ立って訪れ
お父さんに肩車をしてもらって
高いところからショーを見る姿を見て
 
一緒には来てくれなかった自分の父を
ハナやリトルはどう思っていたんだろう
 
 
 
1月2日の夕方
 
仕事行くわ
ちょっと暫く帰れないかも
 
言い残して元の旦那さんは
夕飯を食べずに自宅を出た
 
いや「自宅」に戻ったと言うべきか
 
 
 
さて行くわという時
3人で玄関まで見送りに出た
 
ドアがしまってリビングに戻り‥
車が出ていく音を耳の端で聞きながら
ハナを抱きしめると
 
ハナは堰を切った様に泣き出した
 
お父しゃん何にもしてくれなかった
一緒に〇〇見に行ってくれなかった‥!
 
一人でコンビニは行くのに!
何にも買わないのに!!
何回もコンビニばっかり行っでだ!!
 
最後は鼻を垂らして嗚咽しながらの訴え
 
あの時のハナの洞察力を
末恐ろしいとさえ思うと共に
 
1カ月以上会っていなかった父親に
唯一一緒に出掛けてと頼んだけれど
断られたハナの気持ちを思うと
 
今も申し訳ない気持ちがこみ上げる
 
元の旦那さんは子供たちというよりも
私と連れ立って歩くことが
もう嫌だったのだと思うから
 
 
あの頃はもう笑えなくなっていた私
能面のような顔でお正月の料理をつくり
 
せめて「お父さん」から渡してもらおうと
準備した子供たちに渡すお年玉さえ
 
元の旦那さんに手渡すことが出来ず
デスクに置いておいたのだった
 
そんな様子の私と
子供たちを連れて出かけたいハズがない
 
 
もう少しだから‥ごめんハナ‥!
 
そんな風に心の中で思い
長い時間ハナを抱きしめていた
 
 
子供たちが「父親」に会ったのは
この日が最後になりました
 
残念ながらハナにはこの時の記憶が
最後のそして唯一と言ってもいい 父の記憶
リトルに於いてはほぼ記憶さえ残っていません
 
4歳と3歳でしたから‥無理もありません
 
 
 
 
翌日の1月4日にリトルの目の定期検査があった
 
2か月間毎日のように眼鏡調整をして
とにかくレンズと目の焦点が合った状態で
メガネを掛け続ける
 
という日々の結果と成果が出る日だった
 
 
もしもこれでも右目の視力が出て来なければ
先に発達している左目を
黒く覆って生活するということになる
 
でもそれは保育園から
出来れば避けて欲しいと言われていた
 
もしダメだった時のことを
本当は考えなくてはならなかったけど
 
あの時の私は
そこまでの準備は出来ていなくて‥
目の前のことをこなして
良い結果が出ることを願うしかなかった
 
 
検査日時を予約した頃は
もしかしたらこの検査結果だけは
元の旦那さんも一緒に聞きに行くと
言うかもしれないから‥と
 
一般的にはまだお正月休みの最中である
新年早々に予約を入れた
 
 
でも予約から診察までの間に
沢山のことがあってとてもそんな状態ではなく
いつも通りハナも連れて3人で病院へ向かった
 
 
ひと通りの検査が終わり
呼ばれた診察室
 
検査の際に使う目薬により
ひと際眩しさを感じる患者に配慮して
 
暗幕が張られた薄暗い診察ブースの中で
リトルと向かい合った先生は
 
リトルの両手を持ち
椅子に掛けたまま腰を丸めて
リトルの目の高さまで視線を下げると一言
 
よぉぉく頑張ったねぇ リトちゃん!
 
一度 安堵する私の顔を見てから
再びリトルに視線を戻し
 
前よりもこっち(右)の目が見えるようになってる
毎日メガネ頑張ったんだねぇ 偉い!ね!!
 
リトルのテレた表情・・ハナの笑顔・・
溢れた涙と背中をさする看護師さんの手
 
あの時の安堵した気持ちを思い出すと
今でも極まるものがこみ上げます
 
 
 
先生は私に向き直り
 
右目の視力がほんの少しですが向上して
今は斜視の傾向も出ていません
良かったですね 頑張りました お母さんも
 
と優しい口調で仰り
 
まだ安心はできないけど
片目を隠すという治療はやめて
しばらくこの方法で続けてみましょう
 
来月もう一度診て‥次の経過も良ければ
また1か月ごとに戻しましょう
 
と説明して下さった
 
 
先生のおっしゃる「この方法」とは
 
メガネの焦点と黒目の中心が合った状態で
毎日お風呂と寝る時以外はメガネを掛け続ける
メガネが曲がったらすぐに専門のところで
直してもらう
 
という この2か月してきたことを
もっと視力が出て来るまで
この先も継続していくということだ
 
 
とにかく頑張るしかない
 
夜遅くまでやっているメガネ屋さんが
近くにあるのだし仕事を終えてからも向かえる
 
保育園のヤンチャ坊主たちにも話して
メガネをいじられることは少し減ってきた
 
周りの子も助けてくれるようになって
前よりは曲がってしまう頻度も低い
 
とにかく とにかく頑張ろうと決意を新たにした
 
 
そして思った
 
 
これで離婚の話が進められる
 
 
もしもこの検査結果が悪ければ
離婚はもう少し待ってもらおうと思っていた
 
子供たちへの心の負担が大きすぎる
せめて片目を隠す治療が終わるまでは‥
などと頼むつもりでいた
 
今までの治療を継続することも
子供たちには負担があるけど
そこは頑張るしかない
 
わ た し が
 
頑張るしかない
 
 
 
 
 
3が日が過ぎて一週間
成人式と重なる3連休の中日に
私は元の旦那さんが借りている部屋を訪ねた
 
 
何度もタイミングを計って
窓の明かりを確認し続けた部屋
 
その日はそこに元の旦那さんと交際中の女性が
一緒に滞在していると確認出来たから
 
 
2人が一緒に居るところをこの目で確認すれば
同時に2人もこの事実を認めるしかない
そうすれば離婚の話は前に進める
 
いや そうでなければ進めることはしないと
長い逡巡の末にあの頃は覚悟が固まっていた
 
離婚はもう回避できないししたくない
子供たちの為に耐えるのはもう意味がない
寧ろ子供たちの為にもう別れなくては
 
お正月の元の旦那さんの動向を見て
その思いを強くしていた私は
 
予告なしに部屋のチャイムを押し
部屋の中の2人と向き合って
長い時間話をした
 
 
この辺りのことはまたの機会に
 
 
そしてやっと離婚へと話が進みだした
 

 
 
 
 
ナツ