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元の旦那さんに

リトルの目のことを話したのは

いつだったか‥

 

はっきりは思い出せない

 

でも

 

僕の遺伝ですね

 

と書かれたメールの返信の一文が

今も脳裏にしっかり残っているので

 

恐らくメールで伝えたのだろうと思う

 

 

病院から帰っていてもたっても居られず

 

だったのか

 

それともまた何日も元の旦那さんが

帰宅しなかったから

 

なのか

 

そこは思い出せないのだけれど

 

 

元の旦那さんは視力がとても悪かった

でもそれはリトルとは種類の違うもので

遺伝ではないとはっきり言えた

 

だからメールを見てすぐに

否定してあげなくちゃと返信をしたのです

 

 

こういうのに間が空くと色々と勘繰る‥

当時既にそういう人間関係に

なってしまっていたので

 

急いで返信を送った記憶だけは

しっかりと残っています

 

 

そんなことはないよ

リトルのは遠視と乱視だから

遺伝とかそういうことは考えないで

 

 

 

 

次の受診は前記事で先生が言っていた

「眼鏡合わせ」の日

 

瞳をひらく薬を使っていた前回は

眼鏡を作る為の検査は出来ませんでしたから

 

数日明けて実際に作るメガネの度数を調べて

処方箋を作ってもらいます


 

診断を受けてから一週間後の

眼鏡合わせの日

 

 

今日またリトルの目の病院へ行ってきます

 

あの朝は元の旦那さんが自宅に居て‥

そう伝えると自分も一緒に行こうか

 

 

予約してるけど多分‥思ってるよりずっと

時間がかかるから‥

今日は処方箋をもらうたけだし大丈夫

 

 

そうかわかった経過は教えて

元の旦那さんは言い 私は病院へ

 

 

ああいう時・・本当??嬉しい‥!!

という妻だったら私はもう少し

愛されたのかなと振り返ると思う

 

 

でもあの時は‥

そこに気持ちがないことを

感じきってしまっていたから‥

 

 

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リトルがつかまり立ちをしだした頃‥

 

夕飯の後に自分用に日本茶を入れ

食卓のリトルが届かない位置に湯のみを置いて

洗い物をしてた時のこと‥

 

 

いつの間にかリトルは

更に奥まで届くようになっていて

 

めいっぱい背伸びをして湯のみを倒し

食卓の高さにあった顔面に

淹れたばかりのお茶をかぶってしまった

 

 

顔を真っ赤にしてギャン泣きする横で

急いで病院を調べると

 

私の住む街ではたとえ子供でも

外科的なことは小児救急ではなく

大人と同じ外科の夜間救急へ行くようになっていた

 

運悪くその日は自宅から随分遠い病院が

当番院になっていたけど

 急いで子供たちを連れて向かうことにして

 

旦那さんの会社からの方が病院は近いからと思い

私は途中で元の旦那さんに電話をした

 

 

わかった自分も行くからと言った

元の旦那さんだっだけど

 

病院に到着したのは

電話をしてから2時間程経ち

 

診察も終わって駐車場で子供たちを

車に乗せている時だった

 

ずっとギャン泣きだったリトルと

私が肩から斜めに掛けたバッグに

ギッチリつかまったハナを抱えて私もクタクタだった

 

幸いリトルはヤケドにはならず

元の旦那さんは子供たちと少し話をして‥

自宅へ帰宅するかと思ったら

また職場へと戻って行った

 

本当に忙しかったのか

そもそも仕事だったのか

 

それはもうわからない

 

あの時はまだ「事実」に気付きながら

問い詰めていない私

 

 

それから約1年後

リトルが2歳になって私は再び仕事を始め

朝の身支度をしていた時‥

 

転んでテーブルの角に

眉の上をガッツリ打ち付けたリトル

 

パックリ開いた傷口からドクドクと血が止まらず

これまた大急ぎで整形へ

 

この日の朝も元の旦那さんは不在で

更に一週間後の抜糸が終わるまで

ついに帰宅しなかった

 

だからこの時のケガのことを

彼は今も知らないままだ

 

この時はもう「事実」を知っていた私

 

忙しさにまぶすようにして別の場所へ行く

元の旦那さんの行動を

信じよう信じようとしていた頃

 

 

 

そんな暮らしの中で

子供たちのことに手を貸してほしいとは

思えなくなっていた

 

 

期待は悲しい思いをするだけ

 

子供を心配する気持ちは

元の旦那さんにもあったろうと思うけれど

じゃあなぜキチンと帰宅をしないの?という思い

 

帰宅が苦痛なのは

帰ればこんな私がいるからだろうという思い

 

その両方が苦しかった

 

 

 

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眼鏡を作るための検査は

予想した通り鬼の長さで

都度何分も待たされた

 

ようやく問診まで漕ぎつけると

処方箋を渡しながら先生は仰った

 

これを持って認定眼鏡士のいるお店で

メガネを作って下さいね

 

 

私は現在も裸眼なので

「認定眼鏡士」は初めて聞くワードでした

 

記憶しなくちゃと復唱していると

 

私が固有のお店のことを言っては

いけなのだけれどね

 

と言いながら

 

〇〇メガネさんが

小児の眼鏡に力をいれていますょ

 

全員が眼鏡認定士の資格を持っていて

あちこちに店舗があるので安心だし

よかったら当たってみたら?

 

と教えてくれました

 

 

メガネを作り

それを毎日かけて過ごす

 

3歳になったばかりのリトルには

負担のあることでした

 

とにかく朝起きてから夜お布団に入るまで

お昼寝とお風呂の時以外は

外さずにず――っとつけること

 

私たちに課されたのはこんな難題でした

 

 

 

 

 

 

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ナツ