おそうじオバチャン~憂歌団 | edihの昭和音楽よもやま話

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75年10月頃からラジオ「オールナイトニッポン」でよく耳にした"憂歌団"

デビュー・シングルは「おそうじオバチャン」

 

アコスティックで軽快なブギのリズムに乗せ、コミカルな詩はクラスで話題になった。

"憂歌団"は大阪を拠点としたブルース・バンド。ハスキーで独特のムードのヴォーカルとギターの"木村充揮"氏とリード・ギターの"内田勘太郎"氏のコンビには、再びアコギに憧れることとなった。アコギでのカントリー・ブルースといったスタイルは、私とって体験したことのないジャンルで衝撃的であった。

この歌は、掃除婦に対する差別の詩として放送禁止となり、ラジオでは1stアルバム「憂歌団」のオープニング・ナンバーの
「嫌んなった」や「ドツボ節」をよく耳にしたものだ。



"憂歌団"は88年まで活動をするが、有名なとこでは、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の第4部のOP、ED曲を担当した。声のトーンから"熊倉一雄"さんと思ってた人も多いかも?

歌謡曲のカバーをブルース調にアレンジするのも定評があり、「君といつまでも」や「ファンキー・モンキー・ベイビー」などを歌ったカバー・アルバム「知ってるかい!?」も出している。

"上田正樹とサウス・トゥ・サウス"や"ソー・バッド・レビュー"などブルース・バンドがあった大阪で独特のスタイルで活動を続けた"憂歌団"も大阪ならではのバンドであった。