「国家戦略特区は、投資、特に外資を呼び込むと言っているが、今の日本を外資が投資先に選ぶ理由(メリット)がわからない」と言われた。

なるほど、「今の日本に投資」、と言われれば、日本だって投資先を探しているくらいだから、そう思うのも無理はない。

しかし、今の日本のままではなく、投資したい日本に変えるのが、国家戦略特区。
投資先に選ばれるため、「規制緩和」をする。

たとえば、東京都が、国家戦略特区で行う、開発における規制緩和はこうだ。

(1)【錬金術の再開発】

①都心の一等地で②容積率をアップさせ③再開発という手法を使い④減税、利子補給といった優遇措置を講じる。



3月28日に公表された知事の追加提案をみると、開発プロジェクトの区域は、新宿、渋谷、六本木・虎ノ門、大丸有、品川。

「東京都発グローバル・イノベーション特区について」



国家戦略特区のひとつ前の総合特区制度(アジアヘッドクオーター特区)で行ってきた再開発エリアは今回の開発プロジェクトの区域と重なる。

(東京都アジアヘッドクオーター特区HPより)



再開発は、容積率を上げることで生みだされた「価値=保留床」などで、建物建設費をまかない、税金で周辺環境のための道路や広場などの施設整備を行うもの。


大田区で行った再開発では、ざっくり1/2が公費負担。建物建設費とほぼ同額を道路や駅前広場の整備に使っている。

国家戦略特区で容積率をアップして建設費を捻出し、周辺環境は税金で整備し、事業で生まれる税金は大幅減免されるうえ、事業資金調達のための利子補給まである。
しかも、都心の一等地という、ただでさえ優良な区域なのだから、事業が成功しないはずが無い。

再開発しても、売れない、テナントが入らないといったプロジェクも少なくないが、これなら、投資をしたら必ず収益が見込めるだろう。


(2)【新規市場(公益法人分野)への株式会社参入】

規制緩和により、新規市場を開放しようとしている。
いずれも、官直営、あるいは、学校法人、社会福祉法人、医療法人など公益法人が主に担ってきた分野だ。

教育、医療、福祉といった分野は、収益目的や競争による経営効率化になじまないことから、「非営利法人」が担ってきた。

非営利法人という利益を「分配」してはならないしくみで担われてきた、これらの分野を、株式会社に開放しようとしている。

さすがに、株式会社では、国民に抵抗感が生まれるだろうと言うことか、「非営利ホールディングカンパニー」などという「受け皿」を作り、実質株式会社が担うことを可能にするといった方法も法制化しようとしている。

公立学校、認可保育園、障害者施設、特別養護老人ホーム、病院などは、公務員や正規職員の配置を一定割合義務付けられた形で担われてきている。

仮に、こうした分野が「非営利ホールディングカンパニー」含め株式会社に開放されれば、売上は、確保されているわけだから多くの株式会社が参入を目指すだろう。

経営は合理化されるかもしれないが、これら労働集約型産業で、主に配当にまわされるのは、職員の人件費という構図だろう。

(3)【官から民(株式会社)への権限移譲:コンセッションという公共施設運営権の株式会社への付与】

これまで、公共施設管理は、管理に必要な金額を最終的には行政が決め、その金額で事業者に委託する形をとってきた。

これを民が運営権を長期的に持って運営する「コンセッション方式」に変えようとしている。

コンセッション方式になれば、上下水道、道路、公共建物などについて、一定水準の質の確保に必要な費用を事業者が「決めて」徴収できるようになる。

運営権を得た事業者は、長期・安定的に収益を確保できることになる。


【投資の利益はどこから生まれる】

国家戦略特区の規制緩和により、日本が投資先になれるのは、投資利益が出るように「規制緩和」するからだということがお分かりいただけると思う。

しかし、その利益が、どこから生みだされ、誰が負担しているのかといえば、私たちの税金(開発に伴う道路整備等)や賃金(正規⇒非正規)や利用料(水道・道路:税金も)だ。

株式会社の目的は利益の最大化だ。

コンプライアンス(法令順守)、CSR(企業の社会的責任)、公益法人などの考え方は、利益の最大化という経済活動を放置すれば、社会に悪影響を及ぼす恐れがあるから生まれてきている。

そもそも、株式会社は公の分野にはなじまないといった考えもあるだろう。

あるいは、公務員に任せてもサービスは良くないし、非効率的だから株式会社の良い点を積極的に活用しようという考えもあるだろう。

しかし、フリーハンドで株式会社に任せて良いと言う考えは、それほど多くないのではないか。

ちょっと考えても、(1)~(3)には、

(1)再開発においては、多額の税金投入と優遇策による地権者等への利益供与の妥当性をどう確保するか。
   公共性、公益性はどこに、どういったかたちで担保されているのか。
   
(2)教育や福祉といった営利や経済競争になじまない、しかも労働集約型の分野を民に担わせる時の考え方。
   福祉の担い手の給与が単なるコストとして扱われ、経費削減の対象にならないか。
   株式会社が教育や医療や福祉のサービスの受け手を単なる消費者として見れば、施策本来の目的が見失われる。そこをどう担保するか。

(3)人口や財政規模に合わせ、縮小しなければならない公共施設やサービスと、成長や利益最大化が命題の株式会社の経営とが、両立するか。
  誰がどうチェックするか。チェック可能か。
    
といった課題が浮かぶ。
そして、これらを確保することは、決して容易なことではない。

【公のシステムを担う「民」が民の良さを発揮できない3つの理由】

民の良さは、競争下における質と価格などのサービス向上にある。

しかし、(2)や(3)は、いったん担ってしまったら、
①競争も無く、売上も確保される。
②上下水道のように、他の選択肢が無い。
③保育園や特別養護老人ホームのように、サービスの絶対量が少ないため、売り手市場。

など、いずれも、民の良さを発揮できる状況にない。だから、公が担って来たとも言える。
東電が役所体質だと言われているのも、①~③によるところが大きいのではないか。

民営化・民間委託は、サービス向上とコスト削減のためと言われ続けてきたが、とうとう、国家戦略特区という経済政策になってしまった。

サービス向上とコスト削減という「修飾語」の影に隠されてきた「本音」の問題点に、今、私たちは正面から向き合わなければならない時をむかえている。