「言葉」における気遣い | 生ききるッ

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今って『宇宙的』に時代の大転換期
これからは「人生思い通り」

みんな早く氣付いて幸せになぁれ♪


…と言いつつ
内容は全部自分日記ヾ(≧▽≦)ノ

ブログを書いていると自分がよく見えてくる…
気がしている。

書いた後に
自分の言ってることが辻褄が合わないゾと気付いてしまう、
批判めいたこと、実は自分のこじれた感情の現れだとか。
気になって気になってどうにかなりそうな気になり、
匿名であるということに救われる。

本当に滅入っていた時は
Facebookの投稿はもちろん、匿名のブログも全部削除した。
人目が異常に気になって怖くて怖くてたまらなくて。
少しは強く?図々しく?なってきたことにも気付く。

未熟な自分を自覚しながら
ある意味子どものよう...
未熟な表現の仕方を
何とか上手く成熟させようとしている。
その表現の試行錯誤が、
内面の整理が私にとってのブログというものなのかなと。

最近ブログで「50代」と指す時、
実は私の中には特定の人物が浮かんでいることに
何となく気付いていた。

ある集団の中を1つの大きな木と考えると
その方は木のてっぺん。
上に上にと勢い良く伸びて行こうとする。
対して私は根っこの部分。
横に下にしっかりと繋がって拡がりたい気持ちが強くて。

おそらくどちらも必要でケンカすることでもなく。
単に方向性の違い。
ただ…意見として発言しているが
水を差すようで核心には触れていない。
それがもどかしい表現になり、
ちゃんと伝わってないのがよく分かり、それも不満。
どこまで言えばいいのか?
どんな言い方をすればうまく伝えられるのか?
それはそれは非常に悩んでいて。
私はその集団に加わって今後もやっていけるのか?
私にとっての不登校支援って何だろう…
悩む元になっていて。

ブログで関係ないことを書いていながら
どうしてもそこが出て来ていることに気付く。
しっかりと向き合わないといけないな~
なんてことを感じています。


「ニッポンのジレンマ」
朝から観ています。
何度観ても新しい納得があり、探求したいことが出て来る。
やっぱり色々な刺激があり面白い番組です。


途中、
「『相手のことを刺激してマイナスになるような言葉』を使わない。」
という言葉が出て来ました。

「ひょっとしたら相手に逆効果を与える言葉ってあるんですよ。」

「例えば典型は『啓蒙主義』
自分が分かってるからこそ、
お前達は門を開けと。
分かってないだろうから俺について来い。
これは教育という名で行われがちなことなんだけど、
そうすると逆に相手を頑なにする可能性がある。

そういうところをまず相当センシティブになる発言をする
ってだけでも多分状況を悪くしないという方法としてはあると思う。」

先崎彰容さん(日本思想史研究者)は仰ってました。



で、昨日のブログの話で
今の若者はヘンなプライドとかこだわりとか、
整理されていない感情のこじれが少ないのもあるし、
言葉にも気を付けるようになってきていて
討論の際に無用な争いが起きないってこともあるのかな
なんてことを感じました。


それと同時に現時点での自分の大きな課題。
考え方の違う人に自分が感じる、
ある意味での『警告』を
ケンカすることなく話し合いに持って行けるか。

…マイナスになるような言葉を使わないよう、
ヘンな刺激をすることなく素直に伝えるには…

私が無理せず不登校支援に関われる範囲を拡げるために
どうしても伝えておきたい。
どんな言葉を使えばどこまで言っていいか。
それを慎重に考えておかなければ…
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