金澤泰子講演会「ダウン症の娘と共に生きて」 | ひめぴょんのブログ

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岩国在住です。ここでの生活の中での楽しみをご紹介できたらと思っています。せっかくなので、行こうと計画中のイベント情報などもupすることにしてみました。

金澤翔子さんのお母さまの講演会では「自分のものさしで考えない」ということが最終的に私の中に残りました。この言葉自体を使ったわけではないのですが、それがいろんな苦しみから自分を逃す方法でもあるなと思いました。

もうじき39歳を迎える翔子さんは泰子さんが42歳の時の初めての子。ダウン症と生後12日で知らされ絶望を感じる。世間体もあり、知的障害があることはかわいそうという思い込みで悲しみの底に落ちていた。小学校は普通級で入学。なにをやってもビリだったけれど、先生からは「翔子ちゃんがいるからみんなが優しくなれる」など彼女がいることによる良い点を伝えられる。4年生は普通級では対応困難と学校からいわれ、電車で行かないといけない障害者クラスのある学校への転校を余儀なくされる。そこから8ヶ月家に引きこもって般若心経を翔子ちゃんに書くことを教える。高校は養護学校(総合支援学校)高等部に行き、卒後進路として作業所に決まりかけていたが、手違えで行けなくなる。それを機に翔子さんが14歳のときに亡くなった父親の言葉に導かれるように20歳で個展を開くために作品を作る生活をする。その個展がきっかけで書家としての道を歩む。

見た人が感涙を流す理由はなんだろうと考えた時、技術ではなく、純粋な魂が生み出すものが心を揺さぶるのだろうと考察する。試験を受けたことがないので競争の場に立つこともなく、きょうだいがいないため比較されることもなく、過去も記憶できないし、未来を考えることもできないので「いま」だけに生きている。そういう環境で生きてきたからこそ、負の言葉を吐かず、いつも笑顔で、皆に喜んでもらいたいという気持ちで純粋な心で書を書く。地球の中で繋がれるような友達はいないけれど、天と繋がっていてお月様や星と話をしている と。

建仁寺にある俵屋宗達の風神雷神図屛風と同じ構図でまるで俵屋宗達が乗り移ったかのような翔子さんの『風神雷神』の書は建仁寺に並べて置かれていることも今まで感じた奇跡のような出来事のひとつというおはなしもありました。

この子は自分のことを可哀想だとは思っていないということに気づいた時、母親としての苦悩が和らいだような事を話されていましたが、その気持ちが分かる気がしました。それを私なりに表現すると「自分のものさしで考えない」になります。

「闇に落ちた時にも活路はある」「生きてさえいれば。闇と光は両方必ず存在する。絶望だけということはない」「誰もが生きていて大丈夫な存在」心に残った言葉です。

末っ子ちゃんは知的障害があり、総合支援学校に通っています。だからこそ興味を持って聴講に行きました。心に小さな光をもらった気がしました。