坐禅会 @ 永興寺 | ひめぴょんのブログ

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岩国在住です。ここでの生活の中での楽しみをご紹介できたらと思っています。せっかくなので、行こうと計画中のイベント情報などもupすることにしてみました。

上司から「行動力に脱帽」という言葉をいただきましたが、単に忘れっぽくなったこともあり、より拍車がかかって、忘れてしまう前にと気づいたらすぐ行動しているだけ。何かやっていないと落ち着かない性分なので、そういう点でもただ座るという坐禅の時間は無理にでも何もしない時間を作れるので良いです。

今回の坐禅会は常連さんお一人と私と初めての方の三人。初めての方は、枯山水庭園に興味があり、来たときに掲示板に坐禅会もやっていると書かれていて、坐禅にも興味がありあちこち行っているので来たというお話。そういうご縁もあるのですね。

睡眠をたっぷりとっていたからか、今回はいつになく短く感じられました。そして、自分の手がどのようになっているかという感覚が消失していました。自分自身も自然物のひとつであり、我という感覚がなくなる という感じがしました。この現象については高度の集中レベルになるとそんな感じになることがあるのだそう。

坐禅会の後のお話は臘八大摂心(ろうはつおおぜっしん。最も厳しい修業期間)について。お釈迦様は菩提樹の下で7日間の坐禅の後12月8日に悟りを開いたとされることにちなんで坐禅三昧の一週間を過ごすのだそう。その具体的内容についてのお話をいただきました。そして、その後座談会的な感じで質問にお答えいただく形で話が膨らんでいきます。そういうお話を伺う機会はないですから、一般社会との違いにおどろくようなこともあります。尊敬の気持ちさえあれば、相手を信頼さえできれば、外目にはハラスメントのような言動であっても別の受け止め方になる。それは、人間関係の上で大事なポイントのように思いました。そして、折れたり欠けたりした警策はどうするのかと思って質問しましたら、いろんな使用用途で使い切るのだそう。禅寺の精神を感じるエピソードでした。別の見方で見て生かし切る。人も生きている限り、生き切るようにしたい。

坐禅会は仕事がなく、格別他の用事もなく、行ける条件さえ整っていれば、とにかく行って、継続するようにしています。何か目標があるわけでもなく、何か得られたというものが具体的にあるわけでもない。それでも、継続している中で何か体得できたと後から感じられるのではないかと思っています。