「花のように、生きる」平井 正修 | ひめぴょんのブログ

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岩国在住です。ここでの生活の中での楽しみをご紹介できたらと思っています。せっかくなので、行こうと計画中のイベント情報などもupすることにしてみました。

「花のように、生きる」平井 正修(Hirai Shoshu)、幻冬舎、2014年発行

禅寺の住職をされている方の本。文章が読みやすくすっと入ってきます。類似書をたくさん読んでいますが、同じだから読まないのではなく、同じようでいて違うことが書かれていますので、あえて重ねて読むようにしています。読むときによって、響く言葉も違いますし、新たな発見もあります。私自身変化していっていることを感じます。以下は文中引用とミニ感想です。

花はただ咲いている。世のため人のためと語っている人は結局自分のことで頭がいっぱい。功徳があると思ってやることには意味がない。我欲や執着がないところに尊さ・意味・意義がある。

生きることが生きる目的。→最近自死を選択する人が増えた気がしますが、目的がなくとも、絶望感しかなくても、とにかく生きるということを選択して欲しいものです。

人は何もしないで、「咲く」ということはない。

そもそも、苦しいこと、思い通りにならないことばかりあるのが世の中。

修行にゴールはないが、ひとつ登ると見える風景が変わる。→それは実感します。何事につけ何かゴールがあってそこで終わるわけではない。ただ、前進する度に違うものが見えてきます。

大事にも小事にも全力を注ぐ。

自我を超え、正邪というものさしを捨てて、ものごとを見ることが正しく見るということ。

相手を変えるのではなく、自分が変わりなさい。→これは、かなりいろいろな人が言っています。ついつい、怒っているばかりいる人を見ると、その人を変えたい思いにとらわれてしまいます。

一心に掃除する。

「自尊心」は自身も他人も尊いと思える心。

禅でもっとも重んじるのは実践。まず、動く。やる気が出てから取り組むのではなく、なにか目の前にあるひとつのことに集中する。そこに心を込めると、心が動き始める。

しゃべらない美学。間の美しさ。間は言葉では尽くせない表現で満たされている。→ついつい言葉で埋めようとしてしまいます。ちょっと意識してみたいと思います。

心にも嗅覚がある。→心から匂い立つ高潔の香りがする人になりたいものです。

人の評価に一喜一憂しない。失敗にも果実は実る。自分の内に実は結ばれている。成功にも失敗にも善悪はない。

プライドは他人に対して振りかざすものではない。自分を律するもの。

「上司への不満」が自分のためになる日がくる。→以前の上司はかなり個性的な方で、いろいろな思いが私の中にもあり、葛藤がありました。が、それも今では自分の糧になっていると思えるようになりました。

自分に合う仕事があるわけではない。その人自身が仕事を楽しむこと。

どんな選択肢も選んでいるのは自分。アドバイスがあったとしても、結局選んでいるのは自分。結果から逃げない覚悟を持って腹を括ることが肝要。→選択基準としては、何が正しいか・大切かという観点ではなく、直感や楽しそうという観点もアリだと思っています。

しっかり心配りをしたら、心配はなくなる。

時間は平等。どう使うか。

何でもないことを丁寧にするかどうかが、目標達成を支えている。

花は散って「実」になる。→過去の栄華・称賛に執着せず、捨てた後に「実」が結ばれ、前に進める。達成感も呪縛にならぬよう、その場限りにする。妬み・恨み・憎しみなどの気持ちも「まかせて、手放す」。思ってはいけないと考えることは、とらわれることになる。

「即今、当処、自己」一瞬一瞬を大切に。手を抜かない瞬間を積み重ねる。

「無一物中、無尽蔵」空にしておかないと、器は響かない。心も空にしておく。執着を手放す。