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過去何回か「今の状況は戦時下に似ていると言われている」ということを話題にしました。
敗戦が濃厚になってきた76年前の今頃も、政府は「本土決戦だ」などと言っていたみたいです。
今も何の根拠もないのに、バカの一つ覚えのように「コロナに打ち勝ったオリンピックだ」などと言っています。
オリンピックのために負け戦をしているようにしか見えません。
しつこいようですが、個人的に私はオリンピック・パラリンピックを開催してほしいと思っています。
でもそれは「今」「このような形」でではないんです。
何年先になっても構いません。
誰もが「オリンピック・パラリンピック良かったね」という形で開催してほしいんです。
รัฐบาลพลีประชาชนเพื่อการแข่งขันกีฬาโอลิมปิก
تضحي الحكومة بالشعب للألعاب الاولمبية.
Le gouvernement sacrifie le peuple pour les Jeux olympiques.
「犠牲にする」という表現です。
本当は「日本政府」「日本国民」なのですが、「日本」は省略しています。
またオリンピック・パラリンピックとすると長くなるので、オリンピックのみにしています。
タイ語は「เสียสละ」という単語が一般的みたいです。
「เสียสละ」は「เสีย」(失くす)と「สละ」(放棄する)に分けられます。
ところが例文であげた「พลี」という単語を見つけ、「(神仏に)供物を捧げる」などの意味もあり、「เสียสละ」と同じ使い方もしていたので、こちらの単語を例にあげました。
アラビア語の「ضحى」(辞書に載っている形)は、「犠牲にする」の他に「生贄にする」「供物などを捧げる」という意味があります。
「明るくなる」という言葉から派生した語なのですが、「供物や生贄などを捧げることによって、明るくしてもらう」というところから来たのかなと、個人的には思っています。
犠牲にするものを前置詞の「ب」を後ろに置きます。「ب」は後ろの単語に続けて書かれます。英語の「with」に近い意味なのですが、個人的にはより密着性が強いイメージがあります。
フランス語の「sacrifier」(不定形=英語の原形)は、同じく「犠牲にする」の他に「生贄にする」「供物などを捧げる」という意味があります。
接頭辞の分類には載っていませんが、「sacr」が頭にくる単語は「聖なる」「神聖な」という意味がある単語で結構見かけます。
「ประชาชน」「شعب」「peuple」は「国民」「民衆」です。アラビア語やフランス語は「国民」という集合名詞として扱うので単数形です。
「เพื่อ」「ل」「pour」はそれぞれ「~のために」(英語の「for」)です。
アラビア語の「ل」は次の単語に続けて書かれます。また次の単語が定冠詞の「ال」で始まる場合、「ال」の「ا」が脱落します。
まさに国民を「生贄」にしてのオリンピック。
国民を供物として誰に捧げるのでしょうか。
IOC会長にでしょうか。
別にオリンピックが失敗しようと、オリンピックのせいで日本のコロナが悪化しようと、IOCは痛くも痒くもありません。
それともオリンピックに多額の資金を出しているアメリカの企業にでしょうか。
あるいは日本のD社やP社にでしょうか。
The government sacrifices the people for the Olympic Games.