2005年7月6日に突発性難聴と診断された僕は、何よりも気持ちが参ってしまった。

 

医師によると「発症してから7日以内に適切な処置を受けると、完治する可能性は7割である」らしい。ちょっと待てよ、3割は完治しないってことか。イチローがヒットを打つ確率で完治しないってことか。それ、すごく高い確率じゃないか。

 

毎日点滴を受けた。肉体労働もライブもキャンセルした。耳鳴り。2005年の7月の手帳には耳鳴りと点滴、しか書いてない。

 

左耳にはずっと耳栓をする生活。気持ちが落ちてしまった僕は、CDも全部売ってしまった。ロックを聴く気になれなかったんだ。アコースティックギターの鉄弦の音が耳障りに感じるようになった。

 

安いガットギターを買ってきて、ジョアン・ジルベルトのコードを徹底的にコピーしたよ。彼のギターの、テンションコードの不可思議な世界に身を委ね、静かで内省的な音楽に没頭することで、自分を紛らせていたんだね。転んでもタダでは起きない、とも言うね(笑)このとき得たコードの感覚はのちにものすごく自分の実になっているもの。

 

耳栓をしながらだけど、ライブは再開した。8月13日に友部正人さんとタテタカコさんとの共演ライブもあった。友部さん素敵だったよ。打ち上げでずっと僕ら初期のストーンズについて語り合った。

 

夏から秋にかけて、静かに過ごすことを心がけた。耳鳴りは辛かったけど、世の中にはもっと大変な病気の方もたくさんいるんだ、自分なんてマシな方だ、と考えるようにつとめた。コンペ提出もゆっくり再開したんだ。

 

厳密にいうと、今も耳鳴りは治っていない。それはそれとして、付き合ってゆくよ。辛い夜は、早く寝ちまうことだよ(笑)

 

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10月11日に作家事務所から電話があった。ゴールデンウィークに作った「Everyday」が国民的男性ユニット、まあSMAPなんだけど(笑)のシングルの最終候補に入っているとのことだった。いつも冷静な担当女史が興奮していた。「すごい!コンペって本当にちゃんと聴いてくれてるんですね!」

 

いやいやあなたがそれを言っちゃいけないでしょうが(笑)

 

もちろん僕は分かっていたよ。達観していた。そんなもの決まりっこないって。案の定、その後連絡はなかった。だけどね、これほど大きな自信になったことはない。僕のソングライティングは伸びてる。上手くなってる。

 

そしてこれが一番大切なことなんだけど、僕は誰かにおもねて曲を書いているわけではなかった。自分の心に正直に丁寧に作った曲が、少しずつ認められてきている実感があった。

 

そして12月に僕は37歳になった。手帳によるとその日に「Lovin' You」というタイトルの曲が出来ている。のちのAKB48の「BINGO!」の原型だ。もしこの日、この歌を作っていなければ、僕はこうして、君に語りかけることもなかっただろう。人生とはまるで映画だ。本当に不思議なものだよね。

 

 

 

 

 

 

 

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