2005年。この年から「ほぼ日手帳」に毎日のログをつけるようになったんだ。だからこの年以降のことは、正確に君に伝えられるよ。

 

年明けから僕は、ギターを抱えて、尾道や福山に歌いに行ってる。お客なんていないのに、図々しく「聴いてください!」と押しかけてるよ(笑)我ながら随分図太い神経をしていたね。この年の前半はライブをたくさんやっているね。

 

楽曲コンペも相変わらず落ちまくる。ハードな現場での肉体労働。3歳になる娘の愛しい笑顔。そして、自宅でウクレレを教えていた。多い時には10人ほどの生徒が居たんだよ。これはすごく助かったし、今でも生徒のみんなとは強い絆で繋がっているんだ。

 

2月27日には、のちにAAAが歌うことになる「Shalala キボウの歌」の原型のデモが完成した。最初のタイトルは「2 of us」だった。この曲は現場仕事の途中、頭にメロディが浮かんでね、昼休みに車の中で慌ててテープに録音したよ。忘れない。興奮したもの。これはすごい曲になるぞ、ってね。

 

 

そしてゴールデンウィーク。先だって解散した国民的男性ユニットのコンペが来た。娘をあちこち連れて行って一緒に遊びながら、僕はこのコンペにすべてを賭けた。絶対獲ってやるって気持ちで思いを込めた。タイトルは「Everyday」もちろんバディ・ホリーから頂いたタイトルさ。僕のすべてを1分半に詰め込むことができた。僕はとても満足だった。

 

5月11日、エイベックスのNさんから連絡があった。「2 of us」のメロの譜面が欲しいとのことだった。歌詞も少し書き換えて欲しいとのこと。この類の依頼は初めてだったから、ドキドキしたよね。

 

5月22日、馬場俊英さんのイベントにオープニングアクトで出させてもらってる。この日のバナナホールで馬場さんは再メジャーデビューを発表したんだ。嬉しい夜だったよ。

 

23日、「2 of us」のアレンジにもトライしませんか、とNさんから依頼。もちろんやらせてもらう。

 

5月30日。この時代はファイル便はまだ普及してなかったので、曲の発送はCDRを宅配便で送っていた。この日ギリギリまで作業していて締め切りに間に合わなかった僕は、新幹線で神戸から東京までデモを届けに行った。もちろん自腹さ(笑)事務所に届けて、トンボ帰りだ。すごいパワーだよね我ながら。すると夕方、Nさんから「アレンジ、とても感動しました」とのお返事を頂いた。嬉しくなるよね。

 

ライブ、現場、コンペ、ウクレレ。時々野球。「2 of us」の細かい修正。メロディは完璧だった。歌詞、アレンジを細かく直す。

 

あれ、これって、リリースされんのかな? この数年が報われんのかな。気持ちはアップダウンを繰り返したよ。これであかんかったら、俺、立ち直られへんかもしれんなあ。とね。

 

6月25日、Nさんから依頼を受けていた新生TRF用の曲を提出。タイトルは「Born to be natural」。これは「as it is」というタイトルで翌年のTRFのアルバムに入ることになるのだけど、この時の僕は知る由もない。Nさんからすぐに「最高です!」と連絡いただく。僕も手ごたえがあった作品なので嬉しい。

 

7月2日、友人のギタリスト伍々慧くんと、大阪の「5th Street」でライブしたんだ。彼とは歳は離れているけど、すごくウマがあってね。その日のライブ中、ずっと左のスピーカーから音が聴こえてこないんだ。音を上げてもらっても変わらない。変だなあ。と思っていたんだよね。次の日も左耳に違和感があって。二日酔いかな、なんて最初は思っていたんだけど(笑)

 

7月6日、近所の耳鼻科で聴力検査を受けた。ショックな病名だったよ。「突発性難聴」だって先生は言うんだ。

 

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いつも読んでいただいてありがとうございます。

成瀬英樹

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