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あれから少年は、三日も目を覚まさなかった。
医師はこのまま目を覚まさないのではないかと密かに心配しているようだったが、三日目の朝ミサトが面会に行って自分の手を少年に握らせると、ようやく閉じられた瞳を開いた。
「サ……サトなのか?」
「あ、やっと目を覚ましましたね」
少年はミサトの手を離す事なく再び『サト』と名前を呼んだ。
「確かに私のあだ名はサトですが、私は貴方を知らないんです。貴方の名前は?」
ミサトが優しく訊ねると、少年は金色の瞳を大きく見開らき、驚いた顔をした。
「ああ……悪い。人違いだ……」
見開いた目はそのままに、ミサトから視線を外さず、少年は謝ると、繋いだ手は気づかないのかそのままにぎゅっと握りこんでいる。
「あの……手を――」
ミサトがやんわり言うとやっと少年は気がついたのか、少し頬を赤らめながら手を離した。
「私が……貴方の知っている人に似ていたんですね。私と同じ名前なんだ……」
ミサトがぽつりとそう言うと、少年は目を伏せて悲しい顔をする。
「ああ……よく似ている……」
ミサトは悲しませるつもりはなかったのに、急に塞ぎこんだ少年に悪い事をしたような気分になり、何か言葉を探すがうまく出てこない。
代わりに少年があれこれと話を始めた。
「ここはどこなんだ? なんで俺はここにいる? いつ来たんだ?」
「覚えていないの? ここは野戦病院です。あなたは三日前にここに運ばれて来たんです。見たところ兵士にしてはまだ若いようだけど」
「俺はアンドリュー・リトル。十八歳。これでも一応志願兵で戦闘にも参加してる」
「十八歳……」
「何? 十八にしてはチビだとでも言いたいのか?」
「いや……ごめん。そういうわけでは。私はトミナガ・ミサト。十七歳。この病院でボランティアの医師の助手をしています」
「ミサトか……」
少年は一度名を呼ぶと、再び《サト》と声に出さず乾いた唇だけで反芻する。
少年の形のよい唇が自分の名前をつづるのを、ミサトにはまるでスローモーションのように目に写り、うっとりと見とれていた。まるで魔法の呪文のようだった。
ミサトは少年の唇から目を離す事ができなかった。
この唇に『サト』と呼ばれる事がとてもどきどきして愛おしくてたまらなくて。
どうしてだろう。ただ名前を声に出さず呟いているだけなのに。
少年は自分でない名前を呼んでいるのはわかっている。
声にならない唇だけの動きでも、その名前を呼ぶのは自分の事であって欲しいと思うのは我が儘な事なのだろうか。
「どうか……したのか……?」
ミサトはふいに声を掛けられて、まだ出会ったばかりの少年に、そんな事を思ってしまう自分の事がよくわからない。
自分の事なのに。
こんな事は初めてだ。
ミサトは慌てて話しを続けた。
「ええと……アンドリューさん。気分は……どう?」
「今更気分もなにもないだろ。見ての通りだ。それより……何か飲み物と食べ物はあるか?腹が減って死にそうだ」
アンドリューはベッドに横になったまま、遠慮する事なく言い放つ。
「そうですね。ちょっと待ってて下さい。何か用意しますから。でも急に普通の食事はできませんよ。しばらく何も口に入れてないんですから」
「贅沢は言わない。とりあえず水を……」
「わかりました。待っててくださいね。準備してきます」
ミサトは食事の準備と、アンドリューの意識が回復した事をスタッフと医師に知らせるために席を立った。
ざわつく大部屋の病室のドアを閉めて廊下に出ると、すでに夕刻なのか日の当たらない廊下はすでに半分夕闇に沈みかけている。少し気温の低い廊下のひんやりとした空気が頬にあたり、自分が高揚して体温が高くなっていた事をミサトはやっと気づいた。
「アンドリュー・リトル。十八歳か……」
ミサトはこの時からアンドリューの事が自分の心の中心にあって離れなくなっていた。
to be continued……