理想の男 第三章 理想の旦那 2 | 一期一会

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本も人の出会いも一期一会。時々読者、時々物書き。好きな本やコミック感想を中心に、日常のつれづれと共につぶやいていきます。

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 俺は半畳ほどの三和土に立った。男に「上がれば?」と、勧められたが、「いえ。すぐに返りますから」と断った。
 男の部屋は、ひとみの部屋と対象の間取りだった。玄関の直ぐ横に、外廊下に並行に一見のキッチンと、六畳一間。キッチンの横には、一つしか扉がない。おそらく、浴槽、洗面、トイレの三点セットのユニットバスに違いない。男の一人暮らしにしては、割合綺麗にしていた。
 もしかして、ひとみはこの男の部屋の掃除もしているから、綺麗なのかも。考えると、再び俺は腹の底から熱くなった。
 ひとみは、ベッドに腰掛けていた。若干、ベッドは乱れていた。
 ワンピース姿で、髪を下ろしたひとみと目があった。家ではワンピースを着ている姿なんて見た記憶がなかった。これも、この男のために……と考えると、腹立だしい気持ちに拍車がかかる。ひとみを睨み付けると、我慢ならなかったのか、先に視線をはずされた。
「ひとみ! お願いだ。家に帰ってきてくれ!」
 男を無視して、話しかけた。押し殺した声が、自分でも恐ろしく低い声だった。
 本当は、引っ張ってでも連れて帰りたいが、ひとみは納得しない。だが、このままひとみをこの部屋に置いていくのは、嫌だった。
 俺は勝手に靴を脱ぎ上がると、ひとみの腕を掴み、素足のまま、外へ連れだした。
「なにするの! 今更、亭主面するのは止めてよ!」
 まったくその通りだった。女にしてみれば、俺は最低の男で、最低の夫だと思う。もし、俺が女なら、俺みたいな男とは、付き合いたくなくと思う。
 ひとみに睨まれ、ひるみそうになるが、俺は腕を放さなかった。片廊下に出ると、夜風が身にしみて寒かった。切れかけの蛍光灯の灯りが、チカチカと点滅を繰り返している。 廊下に引っ張り出したのはよかったけれど、衝動的に動いたので、ここから先の行動をまったく考えていなかった。
「とにかく、話し合おう」
「話し合って、どうするつもり? 女と別れたの? なにも自分じゃ決められない癖に!」
 面と向かって言われ、ショックだった。
 本当にひとみが大事なら、浮気現場を目撃された時に、その場で謝り、別れればよかったのだ。なのに、俺ときたら、浮気女とも未だに別れることもできず、ずるずる関係を続けている。
 浮気相手の女にとっても、俺は浮気相手だった。ひとみに浮気がばれた後に知ったが、今更後には戻れないと思った。
 ひとみと別れることになれば、一人になる。女がいなくなるのは、寂しかった。
 俺はこんなに寂しがり屋だったろうか。こんなに情けないダメ男だったろうか。
 猛烈に反省すると共に、目の前の女が、とても愛しくて、誰にも渡したくないと思った。
 喧嘩になっても、とにかくひとみには謝ろう。
 離婚の結果になったとしても、許してもらうまで謝るしかない――。
 今まで浮気した女と別れることもできずに、宙ぶらりんでいた気持ちが、すっと波が引くようになくなり、決心がついた。
「ひとみちゃん、これ」
 隣人の男が、廊下にひょっこりドアから顔を出した。手にはひとみの靴とバッグを持っている。
 そうだった。無理矢理ひとみを外に連れだしたので、俺もひとみも靴は履いていなかった。ひとみは黙って男から受け取ると、続けて男は、俺の靴も投げてよこした。
「ちゃんと話し合いな。俺はいつもで、ここにいるから」
 男はひとみにウインクを投げ掛け、パタリとドアを閉めた。
 なんだ? 人の妻にウインクをするなんて。お前は、どこのジゴロだ!
 猛烈に隣人の男に負けたくない気持ちが沸き上がった。
「今の男はなんだ? 何をやっている男だ? 好きなのか?」
 俺はひとみに、矢継ぎ早に質問した。
「私の中学時代の友人。AV男優をやっているって。でも、今更でしょ? 私が貴方以外の男を好きになっても、関係ないでしょ!」
 売り言葉に買い言葉。ひとみの言葉を聞いて、更に俺は頭に血が上った。AV男優と聞いたらから、尚更だったのかもしれない。先程、部屋から聞こえたひとみのよがる声が脳裏に巡る。俺は、今までひとみを悦ばせていられたのかと思うと、自信がなかった。
「お前、遊ばれているんじゃないのか? いい年して、みっともない!」
 俺はかっとなって怒鳴ったが、ひとみは無視していた。文句を言い返さないのに、余計腹が立つ。
 ひとみは寒そうに身震いし、バッグから鍵を出すと、自分の部屋の玄関ドアを開けた。さっと入り灯りを点ける。ドアを閉じる刹那、振り向いた。
「入れば?」
 投げやりないい方だった。けれど、心の片隅に辛うじて、俺を気に掛けてくれると思うと、なぜだから嬉しかった。慌ててひとみの部屋に入った。
 入ったとたん、俺は半畳分しかない三和土に額を擦り付け、謝った。
「俺が悪かった。お願いだ。戻って来てくれ」
「本当にそう思っているの? 私とヤりたいから、言っているだけじゃない?」
 嫌ないい方をされた。そういえば、以前も同じことがあったと思い出した。
 前にひとみに謝りに来た時、同じように玄関先で謝り、中に案内された俺は、足をしびらせ床に倒れた。
 支えようと手を出したひとみを抱いたのは事実だ。
 勢いでそうなったのだけど、ひとみが「またなの?」と言うのも頷けた。
「女とは別れる。一生、お前だけとしか寝ない。大事にするから、戻って来てくれ!」
「何、調子のいいこと言っているの。今まで散々、遊んできた癖に。私が知らなかったとでも思うの? 絶対に騙されない!」
「違う! 今度は違う! お願いだ。あの男だけには、お前を渡したくない!」
「ほら。本音が出た。私が他の男に抱かれるのが、嫌なだけじゃない。自分は浮気した癖に。自分勝手過ぎる!」
 まったく、ひとみの言う通りで、何も反論できなかった。心のどこかでは、男の浮気は許されると思っていた節があるのは事実だった。
 罵られてもいい。妻には戻って来て欲しい――。
 俺はいつの間にか、涙を流していた。興奮して鼻水も垂らす。鏡で見たわけではないけれど、今は、凄い形相をしているはずだ。まるで幼子が、玩具が欲しいと駄々をこねているようなものだが、それでも、これだけは伝えたい。
「俺はこの通り、ダメ男だ。きっとお前の理想の旦那とは違う。でも……」
 言いながら、この会話は壁の薄い隣人の男も聞いているのだろうな。と思った。別に聞こえてもかまわない。むしろ、俺の気持ちを隣人の男にも知っていて欲しい。ごくりと息を飲む。

「ひとみが欲しい! どうしても欲しい! 俺はお前じゃなきゃダメなんだ!」
 
 一際大きな声で、言い放つ。ひとみは、信じられないと言った顔をしていた。


to be  continued……