プロローグ 2
カヲルが五歳の時だった。妹が生まれた。
その時を境に、母親は、全盲である幼い息子と、生まれたばかりの赤ん坊の面倒をみきれないのを理由に、カヲルはある施設に預けられた。
最初は、自分が此所に預けられるのは、妹が生まれてしばらくの間だけだからと、カヲルは幼いながらもそう理解していた。
だが、一週間経っても、一ヶ月たっても、両親が迎えにくるどころか連絡の一つもない。初めて両親と別に過ごすカヲルは、心細くなり、何度となく夜になると一人枕を濡らす事もあった。
迎えが延びているのは、きっとまだ小さい妹の世話にかかりきりの母親の手がかかるからだ。今、目の見えない自分が家に戻ると、余計に母親の手を煩わせてしまう。もう少し待って母親が妹に手がかからなくなったら、きっと迎えに来てくれるはずだ。
本当は大好きな母親にとても会いたかったし、家にも帰りたかったが、まだ幼いカヲルは健気にそう思うことで、一生懸命耐えていた。
だが、いつまで待とうとも、両親は迎えに来なかった。とうとう我慢できなくなったカヲルは、施設の人に帰りたいと我が儘を言って泣いて訴えた。見かねた職員の一人が、すぐに両親に連絡をとってくれたが、結局、誰も迎えにはやってこなかった。
カヲルは両親に捨てられたのだと思った。両親はきっと自分より目の見える妹を選んだのだ。生まれつき見えないこの目のせいで、自分は親にも捨てられた。そう考えたらとてもショックだったし、何も映さない自分の瞳が恨めしかった。
目が見えさえすれば、自分は今頃、両親と妹と仲良く暮らしていたはずなのに。自分はなぜ目が見えないのだろう。これは何かの罰なのだろうか。
カヲルは幼いながらも一生懸命考えて、自分の思いつく限り、よい子であろうと考えた。きっとよい子にしていれば、神様が自分の目を見えるようにして下さる。そう考えて、施設の職員の聞き分けもよく守ったし、自分で出来るお手伝いはなんでもやった。
もちろん、寝る前の神様やマリア様へのお祈りも欠かさないようにしたが、いくらカヲルが「目が見えるようになりますように」とお願いしても、その願いが叶う事はなかった。
施設の職員に頼べば、カヲルから両親に連絡を取る事はできたのだが、すでにその頃は屈折した気持ちも芽生えていて、自分より妹を選んだ両親に自分から迎えに来て欲しいと言うのはためらわれた。
いつの頃からか、カヲルは見えない自分の目と、まだ会ったこと事のない妹を恨むようになっていた。自分の目が見えさえすれば、もしくは妹が生まれさえしなければ、自分はそのまま両親を独り占めして幸せになれたのに。
妹がこの世から居なくなってしまえばいい。事故でも病気でも居なくなればいいんだ。
そんな事を考えるのは悪だと思いつつ、いくら神様やマリア様にお願いしても聞き入れてはもらえない気持ちもあって、カヲルは素直になれない。
良い子にしなければ目が見えるようにならないと思いこんでいた分、その落差、逆転の差は大きく、カヲルは自分でも気づかないうちに、段々と自分の存在に疑問をもつようになっていた。
そんなある日だった。
施設にカヲルの両親と妹が、交通事故に遭ったと一本の電話が入った。すぐに病院に運ばれたが、高速道路で玉突きの事故に遭い、車ごと炎上するという事故では、即死同然で誰も助からなかった。
口の悪い親戚は、それを罰だと言った。戒めだとも。
目の見えない息子を施設に置き去りにして、自分達は家族で旅行などするからだと。けれど天涯孤独になったカヲルを、親戚一同は誰も引き取ろうとはしなかった。
カヲルは自分を責めた。自分の眼が見えないのは、生まれつきなので仕方がない。だが、妹が生まれなければよかったのに、死んでしまえばいいと考えたから、バチがあったのだ。神様の怒りに触れてしまったと思った。
自分が一時でもそう願ってしまったから、妹も両親も自分の前からいなくなってしまった。妹と両親が死んでしまったのは、自分のせいかもしれない。
カヲルは、誰にも言えない心の傷をかかえたまま、いつしか心の瞼まで閉じるようになっていった。
それ以来、カヲルはこの施設の住人の一人になった。ここは訳あって家族と一緒に暮らせない、目に障害を持つ者が集い生活をする施設。
国の補助を受け、成人する二十歳まではここで生活をする事ができる。カヲルのような未成年の全盲、弱視者がここで生活をしながら、敷地内にある併設の盲学校へと通っていた。
「カヲル、どこにいるの?」
「千秋?」
「ええ」
「ドアは開いているよ」
「ここに居たのね」
濡れるような黒髪を肩の下まで伸ばし、褐色の肌を持つ健康そうな少女が一人、カヲルのいる談話室へと入ってきた。カヲルの声を頼りに側までやってくる。
周りの家具を両手で触りながら上手によけると、少女はカヲルのいる窓辺の側のイスに腰を下ろした。
顔をカヲルの方へ向け、にっこりと少女は微笑む。少女の美しい黒い瞳は彼を映したが、それは単に瞳に映っただけで、少女はカヲルの姿を見ることは出来なかった。
千秋と呼ばれた少女もまた、カヲルと同じくここの住人である。千秋はカヲルが入所して半年後、遊園地で迷子になっているところを係員に保護され、この施設にやってきた。
最初は両親が見つかるまでの一時的措置だと思っていたが、いくら待っても両親が千秋を迎えにくる事はなかった。
まわりの職員も、入所している他の子供も、密かに少女は捨てられたのではないかと、哀れみの態度を示し、その様子が幼い少女にも感じ取れたが、彼女はけして人前で泣くような事をしなかった。泣かない代わりにかたくなに人と口をきかず、自分からは人と交流をしようとしない。
この施設には、不幸にも、少なからず千秋のような境遇でここに入所しなければならなかった者も居るため、先にこの施設の先輩になったものは千秋の境遇を気の毒に思い、何かと気にとめていた。だが、少女は必要以外、口もきかず、食事も申し訳程度にしか摂らなかった。
最初周りの者は、まだ幼い少女にとって両親とはぐれてしまうと言うショックな出来事がトラウマとなり、そうさせていると納得しあっていた。今はまだそっとしておいてあげよう。次第に、千秋に話しかける者もいなくなり、千秋はいつも一人でいる事が多かった。
to be continued……