福祉だか、障害だかでの、
3つのコンセンサスの一考察を見て、
これ、労使も一緒やない?
って思った。
その一考察を、
労使関係に当てはめて
勝手に解釈してみる。
まず一つは、
給与報酬等と福利厚生。
つまりお金という
マルクス曰く、資本主義社会における
商品のKing of Kingsたる『お金』だ。
二つ目は、
義務と権利。
三つ目は、
会社と社員の尊厳。
と言った所か。
労使関係とは、1.人件費(給与報酬等)、2.義務と権利、3.会社と社員の尊厳。この3つの配分変更の要求と受諾とのコンセンサスで成り立ち、変化していっている。
そんな感じする。
ここでワタクシが引っかかるのは、
『要求』の部分である。
幼稚園児なら、
「ほしいっ!ほしいっ!」「買ってっ!買ってっ!」と
ダダこねるだけで受諾されるかも分かんない。
でも、中高生になったら、親を説得するのはそれでは難しい。
学校において、部活の部費の配分をゲットするのもそうだ。
社会に出て、
社内稟議通すのも、
取引先との交渉も
銀行にお金貸してもらうのも、
だだこねるだけでは難しい。
やはり何かしらの知見を持ってからでないと、
自分の考え等を言語化し、
相手の立場も一歩踏み込んで把握する姿勢がないと、
受諾されそうな配分変更を要求できないと思う。
「サラリーマンには、
『なら、俺会社辞めますよ』という手がある」
それは一理あるが、そう何回も使えないだろう。
或いは、
きちんとした要求をする能力のない労働者は、
いつでも代替可能な商品でしかないので、
1回も使えないかも知れないし。
もし何回も使えるというのなら、
それは、いつでも慢性人手不足の飲食業であるからに過ぎない。
そんな不人気業界の、
バイトじゃなく、社員である事の
自分なりの生き方は
考えないより、考えた方が良い。
と思う。
⇒つづく