追い求める組織は、
甲殻類のごときものではなく、
脊椎動物のごとくあるようなものであった。
さて。
諸葛亮孔明は、
もう一度人生やり直すとして
馬謖を斬るかどうか?
この一連の「つらつらと」にてボケ防止に思考してみて、
最終的に、結論はどっちか出そうと思ってた。
立ち位置を決め、前提があれば
どっちだとは言えるはず。
それは正誤性の問題ではないから。
さて、斬る可能性は?
50%!
↑50%とは都合の良い煙の巻き方(笑)
つまり、分からない。
結局わかんない。
結構どうとでも言える。
どっちか言えると思ってのだが。。。
組織の在り方を考えてたら、
小林秀雄の
美しい花がある。
花の美しさという様なものはない。
という名言を思い出した。
正しい組織がある。
組織の正しさという様なものはない。
っといった所なんだろうか。
じゃあ、正しい組織ってどんなん?
ってなると、
かつての外食王、
「日本でやるなら、
マック・ドナルドではダメだ!
マッダーナルでもダメだ!
マクド、ナルド。
3音で区切った方が日本人に馴染み易い!」
とか、
「ドライブスルーはええな!
「ドライブする」と相まって、日本でも必ずウケる!」
とか、
「赤と黄色のロゴはええ!
信号の止まれやからな!
マクドナルドで止まれっちゅーこっちゃ!」
とか、
「マクドのハンバーガーがなぜ美味しいか?
それはパテを焼いてる鉄板の厚みが3cmだからや!」
とか、(鉄板厚みは不確か)
そんな、やや意味不明なイカた発言ばかりだけど、
優秀すぎる、最も外食色のない魅力ある外食王、
藤田田の著作を思い出す。
『勝てば官軍。負ければ倒産。』
おっしゃる通り!!
6÷2(1+2)
この数式の答えは、
9?1?どっち?と迷うが、
答えは、“定義不足” との事。
諸葛亮がどうするかを結論付けるには
過不足なく定義しなければならない。
諸葛亮の行動の為の定義は
ワタクシのような凡人にははっきり言って無理。
ま、過不足なく定義なんてなんでもそうか。
どんな組織にも
大なり小なり、ゆらぎがあるんだ。
『ゆらぎ』と表現するとカッコよくみえるが、
要はブレブレのブレまくりなのだ。
日経の私の履歴書見ても、
誰もかれもブレブレである。
そのブレブレせいで
不安に思ったり、
失望したりする社員も多く出よう。
仕方ない。
そう思っちゃう奴は、
ブレてはいけないものを勘違いしとる。
と思う。と言っておこう。一応。
本来は『ゆらぎ』はなくてはならない。
方丈記の、
ゆく川の流れは絶えずして、じゃないけれど。
ブレてはいけないのは、
【どの様に思考するかという姿勢】であり、
出す結論じゃない。
会社組織というものは、
成立している事柄の総体ではなく、
成立していない事柄も多いに包含しているものである。
そしてその認識に、
置くべき精神的骨格がある。
→おわり
