つらつらと058 諸葛亮は生まれ変わっても馬謖を斬るか?⑲解放 | 繁盛のさせ方が未だ分からない 焼肉 鳴尾.b(なるお.べー) 牛赤身肉研究所

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最寄り駅4つもあるけどどこからも遠く、戸越銀座とパルムとの大商店街からは見事に外れ、視認性のない二階であり、専用階段入口は大通りから入った路地にある。そんなわびしさこの上ない場所で、平凡な初老オヤジがいつか繁盛させたいなとの日々のブログです。

マネジメントについて思う事。

 

力をつけて捉えた事なかった。

 

マネジメント力。

 

と。

 

・仕事をマネジする。

・人をマネジする。←ワタクシはしないけど。

・自分をマネジする。

 

それらは、“術”的な感じがする。

いや、マネジメント術が悪い訳でも

浅いと言いたい訳でもないんやけど。

 

 

さて、マネジメント力。

 

会社におけるそれは基本的に、

 

いや、本質的にと言った方がいいか、

 

マネジメントの力は、

社員を、支配・抑制・抑圧・管理する為に使われるものだ。

 

こう字面にするとキツく感じるが、

事実、本質的にはそうだろうと思われる。

 

でも、それとは一線を画し、

もう一つあると思われる。

 

それは、

 

社員の力を解放する手段として使う。

 

そういう “マネジメント力” の使いどこは、

多店舗展開の会社にこそ必要且つ多いような気がする。

 

もちろん、

仮に社員の力を解放できたとしても、

解放後どうしていくかに議論は出てくる。

 

その議論故に、

ネガティブリストをベースとした組織を目指す場合、

迂遠さがあることになる。

 

そして、その迂遠さは、

集団の瓦解と常に隣り合せになる。

 

迂遠であるという場合、

人々は、トップ層に辟易し、

強烈なリーダーシップのあるヒーローだったり、

強い賞罰を伴うルールを求めるものだからである。

 

迂遠さは、

集団凝集性をむしばむのだと思われる。

 

と、そんな事を

マネジメントについて思ったりした次第。

 

 

⇒つづく