間接の薫陶01 | 繁盛のさせ方が未だ分からない 焼肉 鳴尾.b(なるお.べー) 牛赤身肉研究所

繁盛のさせ方が未だ分からない 焼肉 鳴尾.b(なるお.べー) 牛赤身肉研究所

最寄り駅4つもあるけどどこからも遠く、戸越銀座とパルムとの大商店街からは見事に外れ、視認性のない二階であり、専用階段入口は大通りから入った路地にある。そんなわびしさこの上ない場所で、平凡な初老オヤジがいつか繁盛させたいなとの日々のブログです。

ふと思い出した出来事。

窮地に追い込まれた時の、
御大のやった事を、ふと思い出した。

2001年、国産牛BSE発生時、食肉業は大打撃を受けた。

発生から2か月後には、大方針を策定した。
 
部門をどんどん切り離し、別会社にしていく
リストラ案だった。

今思い出すとこんな感じだった。

・本社をスリム化
・余計なものはぜい肉として別会社に
・その別会社にはそれなりの資本は注入
・が、潰れたらそれは知らぬ存ぜぬ
・その人員は、本社との兼務は認めない
・つまり完全な転籍が絶対条件

その任命を受けた者は、
若い者はあまりおらず、
私の記憶では20代はおらず、
30代が一人、40代が一人、
あとはみな50代以上だったと記憶している。

ほぼ全社員が、その人らをこう捉えた。

『左遷』
『事実上のクビ宣告』だと。

おそらく全員が給料も減らせれたと思うし、
役職はあってもそれはハリボテだった(笑)。

私が間近でみた、ある新会社に移った4人は、
皆、以前より役職が上がった。
一人は、社長に就任。
一人は、取締役兼執行役員に就任、
一人は、経理部長に就任、
一人は、工場長に就任。

その会社は、その4人だけ。
そら、みんな役職つくわ(笑)。

事実上のクビ。
確かに、そのように見えた。

業界の事態が事態だっただけに、
各新会社の展望はどこも思わしくなかったから。
中には絶望的な会社もあったし。
 
今思い返すと、
そのリストラは、なかなか趣のあるやり方だったように思う。

実は、別会社は全て見事に生き残った。
解雇整理でなく、再構築が現実となったのだ。

その後グループは繁栄し直し、
M&Aを繰り返すと共に、
その時に設立された会社は統廃合的な感じになっていって
今はほとんど残ってないとは思うが、

実は、
別会社に『左遷』されていった者で、
特に著しい業績を残した者は、
その後の大ピンチになった時とかに
好待遇で本社に呼び戻されていったりした。
 

→(気がむいたら)つづく(ものを書くかも)