セラミュ(セーラームーンミュージカル)私の感動を届けたい!Mさん (20代独身女性)ミュージカル女優


私(Narunda)はブロードウェイミュージカルが好きです。

きっかけはニューヨークのシアターでキャッツを見た時でした。

シアター独特の雰囲気もそうですが、躍動感溢れるダンス。

そして何度も耳にして有名な唄「メモリー」

でもそこで聴くその唄は本当に素晴らしいもので私の知っている「メモリー」とは

全く違う感動を一人の女優さんが与えてくれたものでした。


そんな私の感動を呼びさますような日本のミュージカル舞台女優Mさんの話です。

Mさんは現在舞台女優さんとして小さな頃から一つの夢を

追いかけています。


Mさんご本人にとってはまだ志(こころざし)半(なか)ばかもしれません。


でも今回はあえて夢に向かって現在も頑張っているMさんのターニングポイント

をご紹介させていただきます。


Mさんは2人姉妹の妹さんです。

ある日お姉さんがビデオレンタルをするので着いて行きそこで見つけた

セーラームーンのミュージカルが無性に気になって借りてみた所から

始まります。


「借りてみたら感動してしまって、これに出たいって思うようになったのが

小学校3年生の時でした。


セラミュ(セーラームーンミュージカル)出たいなと日々つぶやいていたら

お母さんが新聞のプロダクション応募に知らない間に応募していたんですね!


それでプロダクションに受かったのですが、あまりにもお金がかかる為(ため)

別のもう少し安い養成所に所属しました。これが小学校5年生の時です。


それからセラミュや子供ミュージカルに出る為に何度もオーディションを

受けたりちょっとしたダンスのライブに参加したり毎年ある自主公演に参加したり

エキストラ的な仕事などをしました。


でもオーディション会場に行って受かった事はなかったですね。


中学3年生まではそこにいて、高校1年生からK少年少女ミュージカル団

というオリジナルミュージカルを上演している団体に入りました。


そこは小学校4年生から入れるので新人にしては大きくて最初は小さい子達と

レッスンでちょっと物足りなかったのですが1年でクラスが上がって大きい

子達とレッスンができるようになりました。


私は養成所などで経験もあったのでいい役をたくさんやらせてもらいました。


最初はピーターパンの孤児みたいな感じでしたが次からオズの魔法使いの

ドロシーや主人公のお姫様など沢山やりました。


すごい楽しかったですね~


何か終わっても必ず次の作品があって常に作品作りでした。


高校卒業してから実はあまり活動してないんです。

学校が外での活動を嫌っていたからですね。


でも今は自由なので本当にいろんな事に挑戦してみようと思っています。


実はセラミュは休止してしまっていてもう復活もしないかもしれないんです。

それを知った時は本当に絶望しました。


何回も普通に就職などをして普通の女性として働こうと思いましたが、

いくら考えても他にやりたい事がなくてですね。


今夢がない人が多い中、せっかくやりたいこと見つけて頑張ってきたんだから

と、辛い道だと思っていながらもしがみついていく感じです。


結構自由が好きなんですよ こんなに自分が自由でいい仕事は

ないと思います。


努力は必要ですが、やっぱり私が感動したのと同時に人に

何か届けたいんですね


残念ながら今その場はあまりないのですが 」




Mさんは一日の終わりに自分を振り返って3箇所褒めています。


例えば 「笑顔でいれた」 「ポジティブになれた」 


「妊婦さんが困っていたのでドアを開けてあげた」等です。



笑顔でいれるって素晴らしい事ですね。


いつも笑顔のMさんがいるときっと周りが明るくなりますね!



「私が周りを明るくしているというよりは周りに元気を貰っているから

明るくなれるんですね~


人に恵まれていると思います!」


どこまでも謙虚なMさん 



たった今 あなたもMさんのファンになりましたね!



あっ! 何か違う! アナウンサー パーソナリティー Aさん(女性 既婚)



ラジオのパーソナリティーは特別な存在です。


時に友人であり、頼れる先輩であり、学校の教師や親とも違う


フレンドリーさが気に入って耳を傾けたりしませんか?


Aさんは、某FM放送局のアナウンサーでパーソナリティーをされていたり


婚礼司会、イベントMCをされています。


館内放送やエレベーターガールのような決して鼻にかけた声でなく


基礎訓練がしっかりされているのでしょうか?透き通った爽やかな声質


で、出過ぎず丁度よいトーン、テンポ、抑揚、一瞬にして会場の雰囲気を


作っていく話術は持って生まれたものでしょうか?


限られた時間の中で番組やイベントを進行し伝えなければいけない事を


第3者にしっかり伝える。


しかも感動を与える事など人に教わってできるものではないのだろうな


と感じます。


そんなAさんのターニングポイント


それは教育実習にありました。


もともと大学は教育学部を専攻しており、将来は学校の先生になる


夢を持っていました。


教員資格を取る過程の中で教育実習として学校で実習講義


を行うのですが、「あっ!何か違う」と感じたそうです。


学生時代は山梨に住んでいたのですが、違う選択の一つとして


話すという事について山梨から都内のアナウンススクールに通うきっかけに


なりました。


最初からアナウンス 司会の仕事を目指していたわけではないので


すが教員資格を取って学校の先生になる夢を持っていた事。


そして実際にチャレンジしてみた結果が今に繋がっているんだなと


感じています。


まだ2才に満たない女の子のママであり、


ご主人がこの度一流ホテルのレストランを退社してフレンチレストランを


オープンされるそうです。


2011年9月初旬と伺っております。


これから婚礼司会をAさんに依頼される皆様


2次会はこちらのレストランをご利用なさって頂ければ幸いです。



10才小学4年生のターニングポイント 航空司令官Oさん(男性58才)


防衛省の中に航空自衛隊があり、その中に航空教育司令官がおります。


Oさんはその司令官、空将をしています。


Oさんとの出会いは脳外科医で著名人の「惚(ぼ)けない話」のセミナーと

その後そのドクターが率いる合奏団がモーツアルトの演奏会をした

打上げでお会いしました。


打上げの中で、1才4ヶ月の女の子をお子様に持つ

女性からドクターに質問をしていました。


「子供にいつから(何才から)勉強を教えたらいいのでしょうか?」

のような話でした。


勉強も大切ですが親は子供に朝起きたら「おはようごさいます」

と元気よく言える事。挨拶ができる事を教えましょう。

親が子供に話や問いかけをしたら「はい!」と元気に返事ができる事

が大切ですとドクターがお応えされていた時でした。


Oさんが徐(おもむろ)に話し出しました。「その通りだと思います。実際に身近な所でも

自分の脱いだ洋服をたたむ事のできない大人。脱いだ靴を揃(そろ)えられない大人。

席を立つ椅子を戻せない大人。が多くいます。そのような人は何度注意をしても

なかなか治らない。親の躾(しつけ)として挨拶がしっかりできて、脱いだ靴を

しっかり揃えられる子供に育てる事が当たり前の事ですが尊い事です。」


そんな実直な司令官のターニングポイントは


10才の時、小学校4年生の時でした。


東京オリンピックが1964年10月10日 天皇陛下の開会宣言で(午後2時58分)に開催されました。

陸上自衛隊音楽隊によるファンファーレ。

芸術大生ら350名による賛歌の合唱。

競技場のトラックを最終ランナーが回り聖火台にトーチをかざします。

日本選手団の選手宣誓がありました。

数多くの鳩が空へ放鳥されます。

国家斉唱。


そして


ブルーインパルスのF-86がスタジアム上空に五色のスモークで大空に

五輪マークを描いた時。


Oさんのターニングポイントです。


その後現在に至るまで第2第3のターニングポイントはあるのですが

ここが原点だと思います。


日本の国を守る使命を持つ先頭に立つ司令官が

このような平和の象徴であるオリンピックの舞台に

ターニングポイントがあった事に身近さを感じました。


夢を夢で終わらせない意思の強さは

Oさんの目や頬、躰全体にひしひしと感じるものがあります。


今日は空を見上げる時間が増えそうです。