1994年
まさにカムバック賞ものだ。四年ぶりに現役復帰したダイエーの田口が、二十日の紅白戦で十八日の初戦を上回るピッチングを披露した。前回の倍にあたる4イニングを投げ、3安打無失点。競争の激しい中で存在感を見せつけたのだ。ストレートは決して速くない。127、8㌔。高校生と変わらない。しかし、その速度とスピードがほとんどないシンカーがある。それが田口のメシの種だ。「右打者は皆、ストレートと同じ振りになるからバットの先に当たる。ストライクを簡単に取るのもいいのでは」とはライト前にヒットを放った森脇だが、ほとんどの打者が首をひねっていた。1四球はあったが、ボールが続いて苦しむことはない。ストライクをいつでも取れるのが田口の強みだ。「打撃投手をやってましたから。それが良かった」田口はバッティング投手の三年間を無駄にはしなかった。毎日毎日投げることでコントロールを身につけたのだ。紅白戦2試合で6イニングで1失点。日ごとに周囲の注目度もアップしてきた。「しかし、プロは甘くないことは分かっています。他人が一か二なら僕は二十か三十は分かってます」だから田口はどんな好投しても浮かれることはない。

つい昨シーズンまでは打撃投手という名の裏方さんの一人にすぎなかった。その田口投手が七回にダイエーの四番手として登板、下位打線ではあったが、ピシャリ三人だけに抑え込んだ。マウンド上の表情は硬かった。「笑顔なんて、とんでもない。緊張しました。オレが本当にこの場所に立っていいのだろうか。本当に投げていいのか。そんな気持ちで…」しかし、マウンドでわれを忘れてしまうほど、彼はウブではない。「覚えてますよ、内容は。だから反省もちゃんと…。真っすぐのコントロールと球の切れがいまひとつでしたからね」15球投げたうちの8球までがシンカーだったという。ヤクルトのベンチでは野村監督が「ウーン、出て来よったか」とうなった。昨年のオープン戦で懸命に打撃投手を務めていた田口を見て「復帰させたらどうや」と冗談交じりに話したことがあったが、それが現実になってしまったのだ。「うん、田口はよくほおったな。最初からあれぐらい投げれば上等だ」とは自ら田口の現役復帰を決めた根本監督。感激のマウンドの後では、責任感をかみ締めた。「初物に強くて、その後は打たれるというのでは何にもなりませんからね。しっかり投げますよ。でも、マウンドの感触っていいものですね、こんなにいいものだとは思わなかった」ダイエーの帰り新参、貴重な左腕の田口竜二(27)昭和六十年の南海ドラフト1位の入団選手だ。一児のパパの再挑戦が、いよいよ本番を迎えた。

復帰男がまたまた復活を証明した。紅白戦で田口は4試合に登板して12イニングを投げて2失点。相手が味方から日本一のヤクルトに変わっても田口の結果は変わらない。わずか1イニングだった。坂口、土橋、桜井。ヤクルトでは控え組だが、田口にはそんなことは関係ない。一人の走者を許すこともなく15球で仕事を終えた。「緊張しました。まさかこんなところで投げるとは思っていませんでしたから。中継ぎとして投げさせてもらっただけでうれしい」心の底からの喜びだ。田口は昨年オフに再びユニホームを着た。そして四年ぶりの試合。再スタートする前、田口は一軍を一度しか経験していない。その時も1イニングだけだったが敗戦処理だった。同じ回数でもわけが違う。「今度はランナーを背負って迎えたら、もっとうれしいでしょうね」一つ一つが田口には勉強になるが、それが試練でもある。打撃投手を務めていた三年間に田口はさまざまな努力をしてきた。メジャーが来日した際には快速球で知られるレッドソックスのクレメンスのリリースポイントを何度も見て手本にしたりもした。そのころは減益に復帰するとは考えてもいない。どこで何が役にたつか分からない。日々の努力が田口自身を助けてきたのだ。

1958年

エース中沢はヒジを少し痛め好調とはいえないが、貫禄は十分。シュート、カーブの配球にはなかなかの巧味を見せている。
大黒柱の中沢投手は甲子園入り後、本格的なピッチングはせず、調整につとめていたが、いまでは持前のカーブ、シュート、ドロップもよく決まりスピードも豊かになってきた。

投手力はこれといったリリーフがいないため中沢投手一人の出来にかかっている。武器はドロップとスローカーブで、度胸もあり打たせてとる頭脳的な投球をみせるが、威力がそれほどあるとは思えない。

甲府商は中沢投手がただ一人、スムーズな投球フォームでコントロールのよさがうかがえるが…。

中沢にはこれといった決め球はないが、カウントを早く有利にしてから、スピードを落とした外角球で打ち取るといったうまみがついて来たようだ。三、四日間の連投は大丈夫だから、このまま調子をこのまま決勝まで持ち続けて欲しいと思っている。

エース中沢投手はドロップとカーブをまぜたうまみのある投球をみせているが…。

甲府中沢投手は曲球がたくみ。球のスピードとシュートの切れ味では中沢に多少の分が認められた。

投手力はエース中沢一人で、外角にコントロールされた直球が武器。ややうまみにかけるが、度胸もあり、打っては四番でチームの勝敗は一人でにぎっているという感じだ。

1987年

外人特有の「ムービングボール」を操るキーオに対して、うまさでは№1の篠塚が2三振と二つの凡打に抑えられては巨人に打つ手はなかったが…。
オープン戦初登板の阪神・キーオは「ゴロを打たせるということは低めにボールが集まっている証拠だが、きょうゴロでも安打になる可能性のある位置に飛んでいた。もう一つ調子は良くなかった」と不満げ。直球主体の投球。その直球には速球とランニング・ファストボール(シンカー気味に落ちる)、シュートの三種類があるそうで、第一打席で遊ゴロに倒れた松永は「ほとんどシュート。手元で打ちづらい」と脱帽。阪急上田監督「キーオは直球に力があるし、カーブも大きい。安定感のあるいい投手だ」

1988年

阪神は、キーオが粘りのある投球で1点差を守り切って、二年ぶりの5連勝。キーオは序盤から内角主体にせめて、六回、球が高めに浮いてポンセの二塁打を浴びた後、連続死球と乱れたが、大きなスライダーなど変化球を多投してよく立ち直った。

1989年

「キーオの一番得意なカーブをたたいて、第一打席といい当たり(左翼ライナー)したので、直球勝負で来ると思っていた、と駒田。初球チェンジアップ後の二球目、狙い通り真ん中へ入ってくる直球をたたくと、打球は巨人ファンの大歓声に迎えられ、右中間スタンド中段に飛び込んだ。

キーオは六回ポンセの一発を浴びたが、カーブ、スライダーをうまく使い分けて2勝目。