1993年
前日に続いてのブルペンでの投球練習。だが、この日は田口の横に根本監督が寄り添っていた。ストレートばかりを約50球。そこでやめようとしていた田口に根本監督が声を掛け追加でカーブを10球ほど投げた。その後もさらにストレートを10球あまり、最後にはマウンドとは逆の上り傾斜となった台の上でキャッチボールを行った。根本監督の熱心な指導。それでも田口は首をかしげて見せた。「あの逆傾斜は初めてですけど、僕の調整には合わないと思うんです」予定以上の球数にもちょっぴり不満顔。「別に投げることはキツくないんですが、ブルペンでほうるのはどうも…。足の張りが取れれば打者に立ってもらって投げたいんです」そうきっぱりと自己主張した。とはいえ、これらの主張は、首脳陣を批判しているわけではない。自分で調整を考えているからこそ、そのギャップに疑問がわき上がっているのだ。「今度は自分のやり方でやる」そこに一度ユニホームを脱いだ捨て身の強さが加わっている。

1994年

目が違う。「みんなに顔つきが変わったと言われるんです。」打撃投手から4年ぶりに選手として復活。田口の目に、闘う男の鋭さが戻ってきた。一度は原液を退き、縁の下の力持ちとしてチームをバックアップしていた田口。しかし、根本監督の勧めで現役復帰を決意した。最初は迷っていた田口だが、長男・壮志くん(1歳)の存在が心を固めさせた。「オヤジの頑張る姿を見せたい」その思いが、再び田口をプロのマウンドに立たせたのだ。オープン戦で4年ぶりの実戦を経験し、「気持ちが良かった」と一言。挫折と失敗の苦い味を知る田口にとって、怖いものなど何もない。

選手生活をあきらめて打撃投手に転身してから四年目の今季、ダイエーの田口竜二投手は再び、現役プレーヤーとして復帰、一軍枠に挑む。1984年ドラフト1位で都城高から南海に入団したが、86年に1試合に登板しただけでほとんどファーム暮らし。コーチの指示でフォームを改造しているうちに「自分の投げ方が分からなくなった。得意だったカーブも曲がらなくなって…。もうプロでは通用しない」と現役を退き、91年に裏方へ回った。昨季の根本監督就任が転機となり、現役でもう一度やらせたいと、6月ごろからコーチに「今から体をつくっておけよ」と声を掛けられるようになった。根本監督から正式に復帰を促された昨年10月3日にその場で直接、四年ぶりの再出発の意思を伝えた。秋から始動、春季キャンプは一軍に入った。絶妙な制球と切れの良いシンカーを武器に紅白戦などで好投。2日のヤクルトとのオープン戦に初登板し1回をぴしゃりと抑えて、首脳陣から好評価を得た。チームメートに「マウンドで楽しそうに投げていると言われた」と喜ぶ185㌢、87㌔の新戦力。「一軍四十人枠に入れなかったら、何のためにまたやり出したのか分からない」とやる気をのぞかせた。

1993年

練習生として打撃投手スタートも昨年7月5日イースタン西武戦でデビュー。シュートを武器にまずはファームの主力に。

1993年
いろいろと悩んだ末の結論だった。一度リタイアした男には苦悩の日々が続いた。過去にバッティング投手から現役に復帰した選手がいなかったわけではない。しかし、それが自分自身となると話は違う。田口は頭を抱えた。「果たして、またやれるのだろうか」不安が先に立つ。当然だろう。新しい職場に変わる時もそうだか、元いたところに復帰するのはもっと男気がいることだ。周りの目もあるだろう。それよりも自らのブランクが気になる。すべての悩みを解消し、打撃投手から現役への道を選ばせたのは家族だった。「自分個人のこと。独身だったらやっていないでしょう。子供や嫁さんに夢を見せてやろうと思います。子供のためにお父さんはこうだったんだよ、言いたいですしね」田口は平成二年のオフにユニホームを脱ぐ、その翌年に結花夫人(31)と結ばれたのだった。夫人は結婚してからプロ野球選手としての田口を知らない。「やめた時、嫁さんはショックだったようです」今回の復帰は奥さん孝行にもなるし、息子の壮志ちゃん(1つ)のためでもある。そして何より田口が自らに向けたチャレンジなのだ。秋季練習が始まった十八日、田口は投手陣にまじりキャッチボールや50メートルダッシュを繰り返した。三年ぶりの本格的なトレーニングである。さすがに長い空白は田口の体にはこたえた。「やりすぎました。皆やってるから、のまれてしまいました。プロは甘くないです」田口は再スタートを痛感した。もちろん覚悟の上だが、男が選んだ道から逃げることはできない。

三年ぶりの現役復帰。それは田口自身の持っている運である。根本監督が昨年、ダイエーの監督に就任していなかったなら、まずありえなかっただろう。昭和六十年に入団してからの六年間はツキなんて無縁の田口に思わぬ幸運が舞い込んだ。田口の実力をシーズン中から根本監督は「社会人以上」と評価していた。バッティング投手として毎日のように投げる田口に指揮官はフォームの指導をした。普通では考えられない光景だった。現役組なら当たり前でも、打撃投手となると奇異な感じもした。根本監督は本気で田口の再生に取り掛かっていたのだ。根本監督の理論と田口の考えがマッチする。「あの右足に体重をかけるフォームが僕に合っていたのです。お陰で曲がらなかったカーブが曲がるようになった。ストレートも行くようになりました」田口が六年もプロに在籍してわずか1試合しか登板できなかった理由の一つに、高校時代に自信を持っていた大きなカーブが思うように変化しなかったことが挙げられる。「なぜかは分からないんです。入った時からおかしかった。同じ経験をした人がいるんじゃないですか」田口の再挑戦はプロ野球で何もできずに消えて行った男立ちの代弁かもしれない。彼らはある意味ではツキがなかった。それからすると田口は復帰という運を自分の力でつかんだのだ。きょう二十一日からダイエーの秋季練習も本格化して行く。田口の体も現役ころを思い出し始めた。

体慣らしの三日間が終わって、この日から投手陣は投球に入った。田口もブルペンへ向かった。打者に対してはイヤというほど投げて来たが、キャッチャー相手だけとなると三年ぶりだ。田口は約30球ほうったが、第1球は高めにスッポ抜けたのだった。「マウンドの傾斜は久しぶりでした。打者が立っていないと投げにくいですね」忘れていた感触だ。この三年間はフラットなところで打者に打ちやすいボールを提供していた。これからはその逆で行かなければ、田口の存在感はなくなる。今は打撃投手からの復帰で話題にも上がっている田口。練習が終了するとマスコミから囲まれることが多い。ルーキーたちに似ている。しかし、それが一過性であることを田口はよく知っている。結果を出さないことには相手にもされなくなるのだ。そのために田口はシュートをマスターしようとしている。カーブにはある程度の自信を持つ。しかし、それだけでは飯が食えない。サウスポーとして幅広いピッチングができるためのシュートだ。左投手としてまず結果を出すには左打者を封じるのがてっとり早い。「近鉄のブライアントと対戦したい。でも、その前にプロの体力をつけなくては」ピッチングの前のランニング。走って下半身を強くすることが最初の仕事である。130試合を乗り切る体力は田口に限らず全員に言えることだ。