1975年


信州は諏訪湖のほとりをいまはめったに見られなくなった人力車が走っている。引っ張るのは、かつて大毎オリオンズ投手としてプレーしたこともある清水浩行さん。肩を痛めていらい野球の夢はサラリと捨てて帰郷。スナック「パピヨン」を営む身となった。とはいえ野球には目がないとみえ地元の草野球では打率五割を誇る名ショート。それでも「もっと運動しないと体がムズムズして…」と思い至ったのが車屋家業。東京は新橋の車引き組合を口説き落として九万円也で待望の車を入手した。この四月の店開きいらい物珍しさも手伝って大繁盛。乗車百人目の記念切符を発行したばかり。客筋は東京から噂を聞きつけてやってくる粋人をはじめ観光客が中心となる「二十歳代最後のバカをやってます」と頭をかきながらも、「次はニューヨークの街を走るか」と意気軒昂である。


1960年
東映フライヤーズは十二日平岩文夫捕手(22)高原茂雄外野手(18)の二選手の入団を発表した。平岩選手はテスト生として応募してきた選手。名古屋商大、身長1㍍68、体重90㌔。右投げ右打ち。高原選手は佐伯鶴城高、身長1㍍75、体重70㌔。左投げ左打ち。

1986年


四年目の佐藤誠が初先発でプロ1勝目を完投で飾った。速球に伸びがあったから、カーブ、フォークボールを交え、緩急を生かした投球がさえた。三回に西村の2ランとエラー絡みで3点を失ったが被安打5の堂々たる内容。胸を張っていい130球だった。

失礼しました。プロ4年目、27試合目の登板で見事に完投でプロ1勝を飾った佐藤誠に、思わず最敬礼してしまった。彼の投球を初めて見たんだけど、日本ハムにこんないい投手がいたとはね。これから大きく伸びる要素は十分ある。なんといっても投げるリズムがいい。それに速球の力があるし、フォークの切れもいい。現在、大石投手コーチのアドバイスで腕の振りを矯正しているらしいけど、さらにバックスイングをゆっくりとって、リリースポイントでの腕の振りにスピードが出れば、もっと球速も増す。入団した年(56年)に右ヒザの半月板摘出手術を受けたというが、その根性も大したもの。フォークに頼り過ぎず、特にベテランにはインハイの速球で勝負するようにすれば、もっといい投球ができる。今日の先発は、エース柴田の故障離脱の穴埋めだったけど、これからもどんどんローテーションに組み入れて、先発させてほしいね。今度、佐藤誠と顔を合わせたら、改めて「失礼しました」と謝らなきゃ。

1987年

「何とか、一つ勝ちたかった。最初に点を取ってくれたので、楽に投げられた」今季初勝利を完投で飾った日本ハム・佐藤誠は打線に感謝。再三走者を出す苦しい展開だったが「いつものこと。低めに投げれば、そう打たれないし、最初から飛ばした」苦手としている左打者の外角へのシュート、速いフォークがよく決まったのが勝因。