1988年
ガリクソンは、大リーグ在籍九年。先発専門で、1982年から昨年まで六年連続二ケタ勝利を挙げ、通算101勝86敗、防御率3.61。得意の球は、直球、カーブ、シンカーで直球の速さは時速90㍄(約145キロ)を超す。剛腕でありながら、力だけに頼らない投球の組み立てのうまさに定評があり、完投能力の高さも折り紙つき。さらに四球が1試合平均2個と制球力にも優れている。

巨人の首脳陣ばかりか、阪神、中日、ヤクルトの偵察隊が見守る中、ガリクソンは中村ブルペン捕手相手に投げだすとブルペンはいつもと違って静まりかえった。軽く6球キャッチボールすると中村捕手を座らせ、大きくゆったりした右腕の振りから直球、カーブ、スライダー、チェンジアップを計62球。

1988年
ガリクソンは初回、やや高めに浮いた球を和田、岡田にうまく合わされ、二死二、三塁のピンチを迎えたが後続を断ち、その後は安定したピッチング。伸びのある速球とスライダーを低めに集め、カーブのキレも上々。しり上がりに調子をあげて四回一死から5連続三振を奪うなど、最後まで阪神打線につけ入るスキを与えなかった。

この日のガリクソンが先頭打者を出したのは二回広沢に許した右前打だけ。もちろん長打は一本もなく、二塁さえ踏ませなかった。ストレート、スライダー、フォークボール。打者を抑え込むことに集中したときのガリーの球には、ツケ込むスキを与えない威力があった。

1989年
ウイニングボールを落合からトスされた一塁ベース上。捕球と同時に義信は右こぶしを高々と突き上げた。何かを叫んでいる。たぶん中国語だろう。そして、再び右こぶしを夜空に向けた。駆け寄ってくるナイン。「ナイスピッチ」の連呼に「ありがとう」と答え続ける。そして星野監督と握手。真っ赤に充血した目を向けたまま、ここではもう言葉さえなかた。マウンドで、これほどまで激しさをむき出しにした投手がいただろうか。郭源治が戦列を離れ、あれに似た激しいアクションを見せる投手はほかにいない。だが、この夜、郭の代わりに現役登録され、そしてストッパー役で登場した義信は、まさに郭源治ばりの激しいマウンドを見せてくれたのだ。「緊張?なかったよ」インタビューで堂々と義信は言った。それはなぜか、を説明するのに、興奮度ピークの状態では覚えたての日本語には頼れない。指を四本立て「四度目です」と登板数を短く言った。日本語はそこまで。あとは両腕に力コブをつくって、気合が入ってたと必死で表現してみせる。短期間で自信もみるみる膨らんできている。最後の打者・杉浦を一塁ゴロに打ち取った球種を聞かれ「あれはワタシのピッチング!」と右手でスライダーのジェスチャーだ。開き直りもあった。実は数日前、台湾の両親と電話で話した時、ほんの少しだがそこで弱音を吐いた。その時、代わるがわる電話口に出た両親は「怖くなったら台湾に帰ってくるしかないんだよ」と諭したという。一軍に上がった当初、打たれて自信を失いかけていた義信は、もう一度、台湾ナショナルチームのエースとしてのプライドを胸によみがえらせていたのだ。池山を三振に仕留めてガッツポーズ。勝利の瞬間、高々と上げた右こぶし。怖いもの知らずの助っ人誕生である。