1994年
大学3年の時、阪神リーグで連続三振奪取8個などリーグ新記録を樹立。140キロ台の速球と変化球が魅力で期待の即戦力サウスポー。三振の取れるスライダーを武器に開幕一軍入りを狙う。

1993年
阪神大学リーグのドクターKが「清原さん(西武)から三振を取りたい」と早くも手ぐすねを引いている。「ウイニングショットはスライダーにします」。最も自信のある球種を挙げながら、吉本一義投手(21)は福岡ドームのマウンドに思いをはせる。1試合の最多奪三振が18。昨春、同リーグの記録史に刻んだ数字だ。「三振を取れる投手だから高い評価を頂いたと思う。3位とは予想もしなかったこと。光栄です」降ってわいたようなホークスの3位指名という冠を、吉本は面はゆい表情で受け止めた。

1試合18奪三振という阪神大学リーグ記録を持つサウスポーに自ら、ヨシ・ボールと呼ぶ必殺の武器がある。「プロでも三振記録を狙いたい」二人のスカウトから先発ローテでのフル回転を要望され、ドクターKは目標の一つをそう挙げた。大阪・北陽高時代、いったん硬式から軟式に転向し、大学でまた硬球を握った。軟式を経験したカーブの左腕大野豊がプロでの手本。ホークスの左腕エースを目指して、吉本が発進した。

1994年

もちろんジョークではあるが、吉本が同じルーキーの渡辺秀を「オイ、四流」と呼んだことがあった。小久保と対戦したフリー打撃では「アイツは緩急に弱いんじゃないかと思って」チェンジアップを投げて驚かせた。「渡辺秀とは右と左の違いはありますからね。二人ともライバルというより、いい仲間ですよ。自分のことで精いっぱいですからね」吉本の言葉にウソはないだろう。だが、はたから見ると二人に対するライバル心が漂っている。小久保と宿舎で四時間も野球談議を繰り広げたこともある。「アイツは野球に関しては、すごくまじめなんですよ」と小久保。吉本興業のあだ名通り普段は冗談好きの吉本だが、練習の虫・小久保をうならせるほど野球に取り組む姿勢は真剣だ。

1959年
野球の名門松山商から入門した内野手だが、景浦二世との前評判の高い彼の魅力、それはいうまでもなく打撃にあるわけだ。彼は一人息子で、小さいころから野球がなによりも好きだった。今度の南海入りについても野球をやるならプロにいってと決意したことがその動機となったものだ。それだけに彼はシーズン・オフにおけるトレーニングにも十分体をつくることを第一とした。松山城の三百段の階段を往復十回上下し、それを終えて一万㍍をランニング、ときには砂浜を走って足、腰の鍛錬に余念がなかった。それでも二月一日のキャンプに参加したとき、プロの基礎運動がそれにもましてきついものであることをいまさらながら感心すると同時に悲鳴をあげていた一人である。そのときのトレーナー松葉氏に月岡伝男のことを聞くと「体が堅い。これは一つに高校では柔軟体操にあまり重点をおかないからだろう」といっていたが、それでも彼の恵まれた体格にはだれもが目を見張った。長谷川、野村、などの巨砲に比べて決してヒケをとらないからだ。力の点でもそれと同じことがいえる。在学中三割二分から三分の打率を残し、とりわけ公式球場で記録した5本のホーマーはたしかにその力を裏付けるものである。岡村二軍監督は「体はいいし、力はある。それに実に腕っぷしが強い。紅白戦で舛井の球をつまりながらも中前安打できたのも腕っぷしが強いからだ。フォームもなかなか素直」とたのもしげに語っていた。月岡は「正統派投手ならいかに速い球を投げられても自信はありますが、軟投型、下手投げの投手は苦手です。それに外角のカーブに弱いです」というが、この弁からおしても彼は大型打者の長所、短所両面をもち合わせているといえるだろう。