1959年
先発の飯尾が一、二回に3点を取られた。だが岩本監督は試合を捨てず山本義をマウンドに送る。三回から山本は重い直球とカーブで好投した。五回に1点を失ったがこれは一塁手橋本の失策が直接の原因となったもの。あたっている南海を押えこんでのさっそうたるリリーフぶりで今シーズン4勝目を飾った。投げてよい山本は打ってもよい東映が三回に同点としたそのきっかけは彼の投手足下を抜く安打であったし、六回にも無死満塁で右中間に大飛球、さらに八回には中前へ快打した。投打両面にわたっての大活躍だった。「二年ほど前大映にいたころ南海戦で好投したことがあったがそれ以来南海とやってこわいという感じはなくなった。しかしなかなか南海から勝てなかった。きょうはシュートのコントロールがよかったので最終まで崩れずに投げられたのだ。スピードはあまりなかった。安藤のサイン通りに投げたのがこういう結果を生んだのだと思っている。打つ方はまあまあだが、六回の中飛は満塁ホームランと思ったが風に押し流されてしまった」と語る山本は二十七年南海に入団したのだから鶴岡監督にしてみれば彼を手離したことがいまになってくやまれることであろう。筒井コーチの秘蔵っ子であり、プロ入り七年目に完全に一人立ちの投手となったのが山本である。

右打者の内角をえぐる直球と外角を切るスクリューボールは球勢も豊かでそう簡単には打てない。これにカーブを会得したら一そうの威力を発揮するのだろう。投手であるが打撃もすぐれた技術の持主である。

1990年
完封勝ちした岡田は近大福山高から入団して5年目だが、昨年までは制球力が課題で伸び悩んでいた。一軍登録は過去13回あるだけで、先発は3年前に1回あるだけだった。この日は右腕から140㌔台の速球で内角を攻め、時にフォークボールをまじえた投球。

1994年

長嶋監督が「秘密兵器が科核兵器に化けた」と言う巨人・岡田。西武時代から球威には定評があったが、三年前に腕をやや下げたフォームにしてから制球も安定し、切れのあるスライダー、シュートを内外角に幅広く投げ分ける。

1969年
左投手の手薄な近鉄は、昨年末に阪神を任意引退選手となった交告弘利投手(24)=1㍍83、77㌔、左投左打、岐阜短大付高出=の獲得に乗り出す。同投手は現在東京で実姉の仕事を手伝っているが、球界復帰の希望を持っている。近鉄では期待の左腕門野が自信そう失に陥っているところから、二十四日阪神側に意向を打診した。しかし、阪神側の明確な回答がなかったため、後日再び交渉することになった。交告は、二十三日に東京で行われた第三のリーグ、グローバル・リーグ、日本チームの入団テストを受けて合格している。