北陸東北城巡り横断旅10日目前編 米沢城 | 夕暮にっき

 

前回からの続き

 

米沢駅到着

 

米沢牛の像 

 

東北の駅100選らしい

 

米沢駅

 

やはり米沢、肉関連の店が多い

 

アイディアの泉神社

個人が造った神社らしいです。湧き水が湧いていて、それを飲むと御利益がある模様

 

見る猿、聞く猿、放す猿、考える猿の像

 

でかい米沢ラーメンの看板 喜久好 閉店していました

 

上杉城史苑

 

うこぎソフトなるものを発見

 

うこぎソフト 400円

 

上杉茂憲公の碑

 

秦逸三之像

 

上杉鷹山公之像

宮崎県から上杉家の養子になり、17歳で米沢藩9代目藩主になった。

120万石から15万石に減封され、かなり苦しい財政状況から質素倹約や殖産興業で建て直したそう。

 

米沢牛の恩人チャールズ・ヘンリー・ダラスの碑

 

慰霊の碑

第二次世界大戦(大東亜戦争/太平洋戦争)から50年の節目に建てられた平和のための慰霊碑

 

米沢牛串焼き1000円に惹かれるも今回は食べず

 

草木塔

草や木にも魂があることを感じ、自然への畏敬や感謝、供養の気持ちを込めて草木塔を設立したそう

 

松岬神社

米沢藩主上杉家10代目上杉鷹山公御祭神の神社

 

庭園がある

 

米沢城を見ていく 舞鶴橋を渡って中へ

 

天地人 上杉景勝公と直江兼続公主従像

大河ドラマの「天地人」を記念したもので1601年、上杉家は関ヶ原戦の責めを負って会津百二十万石から米沢三十万石に減封されました。初代藩主は上杉景勝公、その執政が「愛」の前立ての兜で知られる直江兼続公です。
二人の主従は固い絆で結ばれ、義と愛の心で領国運営にあたり、米沢藩二百七十年にわたる治世の礎を築いたとのこと。

 

伊達政宗公生誕の地碑

 

上杉謙信公之像

 

上杉鷹山公之像(立像)

 

「成せばなる なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」

 

意味は「やれば出来る。何事もやらなければ成功しない。

出来ないのは、やろうとしていないからだ」となります。

 

鷹山は1767年(明和4年)、17歳で上杉家を継ぎ、第9代米沢藩主となりました。折しも藩財政は窮乏を極め、途方に暮れた8代藩主重定は、幕府への領地返納を決意します。辛うじて思いとどまりはしたものの、藩存亡の危機は変わりません。

鷹山はまず大倹約令を発し、自ら率先して改革を実践(自ら質素倹約を心がけ、自分の生活費を約8割カットしたそうです)、慣行を通そうとする家臣らに厳しい質素倹約の生活を求め、領民たちと同じ目線に立つことで藩を立て直しました。

桑の栽培と養蚕を奨励して産業を興し、米沢織・米沢鯉・ウコギ、笹野一刀彫など、米沢市の名産・伝統品として今日に受け継がれている産業を根付かせていきました。鷹山の改革は鷹山終生の師:儒学者・細井平洲の教えに学んだものでした。

 

上杉神社

 

稽照殿(宝物殿)

 

従三位 上杉 曦山公之碑

 

一般社団法人米沢観光コンベンション協会でスタンプを貰う

 

福徳稲荷神社

白狐伝説を伝える上杉神社の末社。

 

春日神社

上杉家の氏神で、現在上杉神社の南端に鎮座する社は米沢大火での消失ののち再建されたもの

 

傷痍之碑

 

招魂碑

 

謙信公祠堂跡

上杉謙信の遺骸を納めた御堂が建てられていた場所

 

上杉記念館

 

一通り見て夕食を食べに行く

 

粡町西宮戎神社

 

常夜灯

 

ハローマックの残絵を感じる建物

 

赤湯ラーメン 龍上海 米沢店

 

この時点で16時頃なので自分しか客がいない

 

赤湯辛みそラーメン 950円

 

中太ちぢれ麺で辛味噌をとかすと味変されおいしい。10年ぶりに食べた。

 

米沢市役所 ここらへんでお腹が痛くなり速足でセブンイレブンへ。何とか間に合った。

 

駅まで戻り山形に戻る

 

またスーパーで買い物

ドムドムバーガーがあったので寄りたかったけど17時までなので買えず

 

エアリアルしお味とネオトースト、飲み物を買っておやつに。

 

こうしてこの日は終了

 

11日目に続く