タイトルの無いそのメールを開くと……
まいった、いや勘弁してくれと、数度見つめ直す。
小島貞博氏死去の文字。
初めて京都競馬場に足を運んだ、1992年。
それはNの一言で始まった。
その年、圧倒的な強さで皐月賞・ダービーを無敗で制した、ミホノブルボン号と小島貞博騎手。
決して良血馬でなかったブルボンを、坂路によるスパルタ調教で徹底的に鍛え上げた故戸山調教師。
そして正確なラップを刻ませたら、当時の栗東トレセンで右に出る者のなかった小島騎手。
この一見地味な二人のコンビは、瞬く間に競馬界で知れ渡る事となり、自身も強さに目を見張るばかりでした。
そんなNが、「俺達の時代に三冠馬生まれるかもしれないんだぜ!!秋はブルボンの三冠馬誕生を見に菊花賞行こうぜ!!」
20年前といえば、自身まだまだ稼ぎも乏しく、当時の家賃が\36000のアパートに知人と間借りしてた時代でした。
コレクションしてた、LP盤を手放し、何とか旅費(ガソリン代)等を工面。
残念ながら、ブルボン&小島騎手は、ライスシャワーの二着…
懸命に逃げ切りを計るブルボンも、3000mの長丁場で外から急襲されましたが、あの日淀の競馬場にいたファンは皆、胸を打たれたでしょう。
小島騎手の直線を向いてからの懸命な鞭、それに応えようと首をグッと沈めて進むブルボン。
その後ブルボンは引退、程なく小島騎手も引退し調教師へと。
昨年のJRAの一連の名馬のCM。
春の皐月賞でのCMが、ブルボン&小島騎手だったのが今となると…
60歳、早過ぎる死にただただ冥福を祈るばかりです。
天国で戸山先生と語らってる事でしょう。
いぶし銀、小島貞博。
決して忘れない「名手」である。
![上野の場末Bar「g.o.s」のあれこれ(笑)-20120124045426.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20120124/06/naritaya-1127/da/87/j/t01520230_0152023011752428600.jpg?caw=800)
*1992年 ダービーで二冠達成した小島騎手とミホノブルボン*