追悼 小島貞博さん | 上野の Rock Bar 「g.o.s」 店主のあれこれ放談♪

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上野唯一のRock Bar『g.o.s』は連日熱く!激しい!夜が続く。狭いお店ですのでシングルBarに向いております。台東区上野2-5-7石井ビル3F 19:00~LAST 03-3834-5766 そんな店主の叫びのブログ(笑)は当然気まぐれ更新。さあ、今夜も一献!!!(^^)!

雪舞う月曜の夜半に、旧友のNよりメール。



タイトルの無いそのメールを開くと……


まいった、いや勘弁してくれと、数度見つめ直す。



小島貞博氏死去の文字。



初めて京都競馬場に足を運んだ、1992年。


それはNの一言で始まった。


その年、圧倒的な強さで皐月賞・ダービーを無敗で制した、ミホノブルボン号と小島貞博騎手。


決して良血馬でなかったブルボンを、坂路によるスパルタ調教で徹底的に鍛え上げた故戸山調教師。

そして正確なラップを刻ませたら、当時の栗東トレセンで右に出る者のなかった小島騎手。


この一見地味な二人のコンビは、瞬く間に競馬界で知れ渡る事となり、自身も強さに目を見張るばかりでした。




そんなNが、「俺達の時代に三冠馬生まれるかもしれないんだぜ!!秋はブルボンの三冠馬誕生を見に菊花賞行こうぜ!!」



20年前といえば、自身まだまだ稼ぎも乏しく、当時の家賃が\36000のアパートに知人と間借りしてた時代でした。


コレクションしてた、LP盤を手放し、何とか旅費(ガソリン代)等を工面。



残念ながら、ブルボン&小島騎手は、ライスシャワーの二着…


懸命に逃げ切りを計るブルボンも、3000mの長丁場で外から急襲されましたが、あの日淀の競馬場にいたファンは皆、胸を打たれたでしょう。

小島騎手の直線を向いてからの懸命な鞭、それに応えようと首をグッと沈めて進むブルボン。



その後ブルボンは引退、程なく小島騎手も引退し調教師へと。




昨年のJRAの一連の名馬のCM。
春の皐月賞でのCMが、ブルボン&小島騎手だったのが今となると…



60歳、早過ぎる死にただただ冥福を祈るばかりです。

天国で戸山先生と語らってる事でしょう。

いぶし銀、小島貞博。
決して忘れない「名手」である。



上野の場末Bar「g.o.s」のあれこれ(笑)-20120124045426.jpg


*1992年 ダービーで二冠達成した小島騎手とミホノブルボン*