選挙とデモと民主主義 | 大人のための政治教室

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政治や社会のことを書きます。私の考えや、皆様に知っておいて欲しいことを書いています。

先日、入管法改正案の採決が見送りとなり、今国会では成立しない見込みとなりました。これに関して、主にtwitter上で反対デモが目立っていたことが採決見送りの一因となっていることが考えられます。

 

これに関連し、今回は選挙とデモと民主主義について説明したいと思います。

 

1.民主主義とは何か

民主主義の発祥は古代ギリシャであり、ギリシャ語のdemos(民衆)とkratia(支配)が合わさったdemokratiaが語源となっております。これがオランダ語のdemocratie、フランス語のdémocratie、英語のdemocracyなどになり、これらの言葉が日本に入ってきたことにより、日本語の民主主義という言葉が誕生します。つまり、民衆による支配体制のことを民主主義と言います

民主主義の対義語として、民衆が力を持っていない社会を指す言葉に、君主制、貴族制、封建制、独裁制などの言葉があります。1889年の旧憲法制定以前の日本は民衆が権力を持っていなかったので民主主義国家ではありませんでした。

 

 

2.選挙とは何か

民衆が権力を握っているのが民主主義ですので、全ての国民が話し合って決まることが最も望ましいです。しかし、現実的に全ての国民が話し合うことなど不可能ですので、国民が代表者を選んでその代表者たちに議決権を委ねる行為が選挙です。

選挙はあくまで代表者を決める行為にすぎず、代表者に全ての決定権を委ねる行為ではありません。最終的に決めるのは代表者ですが、国民から出る様々な意見を考慮して決める必要があります。

選挙とは民主主義における最大の意見表明ではありますが、唯一の意見表明ではありません。

 

 

3.おまかせ民主主義

日本の民主主義は、「おまかせ民主主義」であると揶揄されることがあります。日本人は、選挙で投票はするものの、選挙以外の意見表明を全くせず、黙っていることが多いからです。

民衆による支配が民主主義で、選挙はその手段の1つにすぎませんから、選挙だけが民主主義だと考える国民性をおまかせ民主主義と揶揄されています。しかも、近年では選挙にすら行かない人も増えており、主権者としての権利を完全に放棄し、流されるままになっている人も多いです。

 

 

4.デモとは何か

デモとは何の言葉の略語かご存じですか。デモはデモンストレーションの略語ですが、デモンストレーションの語源はdemocracy、そう、民主主義なのです。デモは正に民主主義そのものです。デモは様々な意見を主張し、権力者に訴える行為です。デモを行うことによって、権力者の行動に変化が起こることもありますし、他の有権者に対し問題を提示することにもなります。公道でのデモは警察に届けを出せば原則自由であり、インターネット上のデモもルールさえ守れば原則自由です。

また、「デモに参加するくらいなら選挙に行け」と主張する人もいますが、デモに参加するくらい熱心に政治のことを考えている人が選挙に行っていないわけがありません。デモか選挙かの二者択一ではなく、デモも選挙も両方行っているだけなのです。先にも述べましたが、選挙は最大の意見表明であっても唯一の意見表明ではありませんから、選挙で満たされない部分を補う行為がデモなのです。

 

 

5.デモによる影響

日本によるデモは古くは安保闘争などがありますが、その多くは大きな成果を残せていません。しかし、多くの民衆が訴えることによって世論に影響を及ぼしていることは間違いないでしょう。そして、近年では、twitterのデモにより、黒川検事長の定年延長の中止や、冒頭に書いた入管法改正案の採決見送りなどの成果を出しています。これらは、デモがなければ起こりえず、政府の思惑通りに進んでいたことでしょう。

デモを起こすことでマスコミも世論調査を行って国民の賛否を調べるようになります。それによって反対多数であれば政府が強硬すると大きな支持率ダウンが予測されます。政権が盤石であれば支持率ダウンをものともせずに強硬させますが、政権が不安定な状態であれば、支持率ダウンは政権交代に直結しますから、安易に強硬することはできなくなるのです。

かつて、自民党政権が盤石であった頃であれば確実に強硬されていたでしょうが、2020年以降、内閣支持率が大きくダウンし、政権交代の可能性が生まれたことにより、自民党は世論を気にしながら慎重に政権運営をせざるを得なくなりました。

 

 

6.世論が政治を変えることについて

世論が政治を変えることについて、「多数派である与党の主張が少数派である野党の主張に変えられることは民主主義ではない」と主張する人がいますが、そのような主張をする人は民主主義を理解していないと断言します。最初に書いた通り、民主主義とは民衆による支配のことだからです。選挙はあくまでも代表者を選ぶ行為であり、選ばれた人たちに全権を委ねる行為ではありません。政策1つ1つについて、おかしいと思ったことは主張し、変えさせることもまた民主主義です。

 

 

7.デモの注意点

デモは主権者国民の権利ですから、基本的には自由に行うべきです。

しかし、だからと言って何でも行っていいというわけではありません。デモはやり方次第で逆効果になることがあります。

暴力や破壊活動などによって暴徒化することは当然として、言葉だけによるデモであっても極めて過激な発言は逆効果になります。

デモは意見表明をして権力者に政策の転換を求めることだけでなく、次の選挙で勝利するために世論に訴えて賛同者を増やす行為でもあります。過激な発言は賛同者を減らすだけでなく、今後賛同者になりそうな人を遠ざける行為にもなります。デモで発言する際には、普段政治になじみがないような人がその言葉を聞いたらどう思うかを考えてから発言するとよいでしょう。

 

 

8.全ての現代人は歴史を作っている

民主主義国家は民衆が支配している国家ですから、貴族や武士が支配していた時代とは異なり、全ての国民が日本社会を形成し、歴史を作っているのです。1人1人の力は小さいものですが、それらの力が集まって支配体制を築いているのです。現代人は現代及び将来の社会を作っており、全ての国民は未来に責任を持っているのです。

 

 

9.7世代後のことを考えて暮らす

「7世代後のことを考えて暮らす」これはネイティブアメリカンの間で広まっている考えです。

7世代後とは、孫の孫の孫の子供の世代のことですから、100年以上後のことを考えて暮らすという考えです。

22世紀の人たちが現代の政策を変えることはできません。22世紀の日本が非常に貧しい国になったとしても、22世紀の人は21世紀前半の現在を変えることができません。過去を変えることはできないのです。

しかし、21世紀前半に生きる私たちにはそれができるのです。22世紀の人から見たら21世紀の今は歴史であり、私たちの失敗は未来の人たちに大きな影響を与えます。私たちの責任は重大なのです。

 

 

先にも書いた通り、日本はおまかせ民主主義の傾向が強い国です。おまかせ民主主義から脱却し、国民ひとりひとりが将来のことを考えて行動することが大切です。