ボリビアのサンタクルスで夜行バスに乗った僕は一人だった。
一人旅なのだから、本来それが自然だ。
マチュピチュ、ウユニ塩湖と
一生のうちに訪れたい観光名所だったから、
たくさんの旅人が集まり賑やかだった。
ただそれだけだ。
夜行バスでのトイレ休憩。

ここがどこだったのか、当時も日記を書いている今でもわからない。
ここがボリビアとパラグアイの国境だったと思う。

パラグアイってご存じですか?
サッカーW杯の南アフリカ大会で、日本がPKで敗れた国です。
そして、僕がこの時向かっていたのは、
アスンシオン
と言うパラグアイの首都でした。

こちらがサンタクルスからアスンシオンへの地図。
最短ルートで16時間となっている。
でもですね、日本だったら基本的に道路はほぼコンクリートで舗装されていますよね。
南米のこの辺の道は舗装されていない道も多く、バスはかなり遅れた。
サンタクルスから夕方、夜に出発して問題がなければ
夕方くらいには到着しているはずだったのだけれど、
アスンシオンに着いたのは夜だった。
道中は到着が遅れていること以外、
特記するようなトラブルはなかった。
隣に座ったパラグアイ人の青年が話しかけてくれた。
なのだけど、彼は英語があまり話せず、僕はスペイン語が話せずで
会話がかみ合わなかった。
その青年はビダルと言う名で、農業関係の仕事に従事していると言っていた。
僕が日本人だとわかるとコミュニケーションを深めようとしたのは、
日系移民の方たちの農業貢献により、日本人に対する印象が良かったからかも。
マテ茶
日本でも時々、スーパーやコンビニでマテ茶が売られているのを見たことがあると思います。
マテ茶はパラグアイが起源みたいで、
街を歩いているとパラグアイ人はマテ茶を愛用のコップで飲んでいました。
日系人が移民し、野菜を作る出す前、
パラグアイ人は野菜を食べる習慣がなく、ビタミンをマテ茶から摂取するのが日常だったようです。
マテ茶のウィキペディア
サンタクルスの旅日記でも沖縄から移民した人たちが
荒地を開墾して、農作物を作れるようになったことと同じように、
パラグアイでも日系移民の方たちが農業でパラグアイに貢献しているのでしょう。
アスンシオンのバスターミナルでビダルと。

ビダルは僕に「泊まる所は決まっているのか?」と心配してくれた。
もうすでに泊まる所は予約をしていたから問題はなかった。
ただ、これは彼にものすごく失礼なことだったのだけれど、
初対面の人、
初めて降り立ったパラグアイと言う国、
アスンシオンと言う街、
初めてのことが多く、僕はかなり警戒をしていた。
さらに夜。
僕はビダルに「宿は決まっているから大丈夫」と答えて、
ビダルと別れた。
ビダルとはFacebookでつながっていて、
気まぐれにメッセージをスペイン語で送ってくることがある。
バスターミナルでパラグアイ初の食事をとった。

バスターミナルから宿までは歩いていける距離だった。
安全を考えたらタクシーを使った方が良かったのかもしれないけど、
僕は歩きを選択した。
道中のレストラン。

油断は禁物だけど、この写真のように夜にオープン席があって、
食事した人がいれば治安はまず問題ない。
しかし、僕は宿までの道に迷った。
あれ~こっちだよな~?
ここで曲がるんかな~?
とウロチョロウロチョロしていた。
バスターミナルから歩いて30分くらいらしかった。
迷ってしまって1時間くらいかかったかもしれない。
当時僕が持っていたのはiPhone4で、
ネットがなくても使える地図アプリをダウンロードして、
定期的にバッグから取り出しては確認していた。
(常に持っていると盗難の標的にされるので)
GPS機能が働くオフラインのアプリでものすごく重宝していた。
ベトナムのフエの観光ツアーで出会った韓国人のジェフォンさんに教えてもらった。
ジェフォンさんは京都の龍安寺石庭の
石はどの角度からでも全てを見ることはできない
と言う禅の教えも知っている博識な人だった。
韓国で社会科の先生をしているって言っていたかな。
話が逸れましたが、そんな便利アプリを使っていても
迷う時は迷うんですね~。
で、ようやく到着!

アスンシオンにある日本人宿、
らぱちょさん!
民宿のホームページはこちら!
宿に併設して、日本食レストランもある。
地元の人たちにも愛されていて、
僕が到着した時もお客さんが多数。
それにしても疲れた。
ボリビアのラパス → サンタクルス 夜行バス
サンタクルス → アスンシオン 夜行バス
夜行バスの梯子ってこの旅、最初で最後だったかもな。
疲れていた僕は、、、

パラグアイのビールを飲んだ!
で、寝た!
ここまで読んでくれて、ありがとうございます。
