旅日記「僕の空」世界一周編再来 -3ページ目

旅日記「僕の空」世界一周編再来

世界一周しちゃいなよ!
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世界一周の旅始め(約730日の1日目)
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夜行バスでアスンシオンにやってきた僕は疲れていた。

なので朝起きるのはだいぶ遅かった。

 

らぱちょさんはアットホームな宿なので、

リビングに出ると日本人旅人と会った。

 

前日の到着が遅かったから、

実質初めましての挨拶だった。

 

なのだけど、南米のルートは大体同じだったり、

日本人宿と言うこともあり、

ペルーのリマの日本人宿「桜子」さんで会ったことがある女の子もいた。

 

ありさちゃんと言う女の子は、

桜子さんに滞在していた時は持っていたノートパソコンにトラブルがあったらしく、

テンパっていたとのこと(確か)。

 

そりゃ災難だったね、なんて会話をしていた。

 

他の旅人へも初めまして~と挨拶をして、

ちづるさんと言う女の子と挨拶をした。

 

 

僕の中に違和感が生まれて、記憶をたどった。

 

 

どこかで会いましたよね~?

 

 

あの時だ!

スペインのトマト祭り!

トマト祭りの旅日記はこちら

 

 

ちづるさんと会ったのって、

この瞬間だけだったのによく憶えていたな、2014年の僕。

 

ちづるさんと、

トマト祭りからこの時までの旅の振り返りをしたと思う。

 

その時の話で印象に残っているのが、

ちづるさんはグランドキャニオンの谷底でキャンプしたと言っていた。

グランドキャニオンって下りられるんですよね。

現地で会った男性たちとキャンプしたそうだけど、

その人たちが体力あって、次々と進んで行ってしまうから

必死に後を付いて行ったと話していた。

 

僕もグランドキャニオンは旅しましたが、眺めるだけでしたから!

 

 

らぱちょさんの近くにあるアイスクリーム屋さんに行った。

真ん中がちづるさん、左は同宿していたもとこさん。

このアイスは甘くて、濃厚で美味しかったな。

 

日中は特に何もしなかった。

 

その夜、らぱちょさんの一階にある、

「菜の花食堂」で晩御飯を食べた。

 

やきとり!

左の旅人!って格好の青年は確か、けんたろーくんだったかな。

 

らぱちょさんは家族で経営されているのですが、

菜の花食堂の料理は旦那さんのわゆうさんが作っていた。

 

僕はやきとり丼を頂いた!

写真を見ていると温かい食事だったな。

 

らぱちょさんご夫婦もすごい旅の経験がある方々だった。

それは、次の日記にて。

 

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。

 

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ボリビアのサンタクルスで夜行バスに乗った僕は一人だった。

一人旅なのだから、本来それが自然だ。

マチュピチュ、ウユニ塩湖と

一生のうちに訪れたい観光名所だったから、

たくさんの旅人が集まり賑やかだった。

ただそれだけだ。

 

夜行バスでのトイレ休憩。

ここがどこだったのか、当時も日記を書いている今でもわからない。

 

 

ここがボリビアとパラグアイの国境だったと思う。

 

パラグアイってご存じですか?

サッカーW杯の南アフリカ大会で、日本がPKで敗れた国です。

そして、僕がこの時向かっていたのは、

アスンシオン

と言うパラグアイの首都でした。

こちらがサンタクルスからアスンシオンへの地図。

最短ルートで16時間となっている。

 

でもですね、日本だったら基本的に道路はほぼコンクリートで舗装されていますよね。

南米のこの辺の道は舗装されていない道も多く、バスはかなり遅れた。

 

サンタクルスから夕方、夜に出発して問題がなければ

夕方くらいには到着しているはずだったのだけれど、

アスンシオンに着いたのは夜だった。

 

道中は到着が遅れていること以外、

特記するようなトラブルはなかった。

 

隣に座ったパラグアイ人の青年が話しかけてくれた。

なのだけど、彼は英語があまり話せず、僕はスペイン語が話せずで

会話がかみ合わなかった。

 

その青年はビダルと言う名で、農業関係の仕事に従事していると言っていた。

僕が日本人だとわかるとコミュニケーションを深めようとしたのは、

日系移民の方たちの農業貢献により、日本人に対する印象が良かったからかも。

 

マテ茶

 

日本でも時々、スーパーやコンビニでマテ茶が売られているのを見たことがあると思います。

マテ茶はパラグアイが起源みたいで、

街を歩いているとパラグアイ人はマテ茶を愛用のコップで飲んでいました。

 

日系人が移民し、野菜を作る出す前、

パラグアイ人は野菜を食べる習慣がなく、ビタミンをマテ茶から摂取するのが日常だったようです。

 

マテ茶のウィキペディア

 

サンタクルスの旅日記でも沖縄から移民した人たちが

荒地を開墾して、農作物を作れるようになったことと同じように、

パラグアイでも日系移民の方たちが農業でパラグアイに貢献しているのでしょう。

 

アスンシオンのバスターミナルでビダルと。

ビダルは僕に「泊まる所は決まっているのか?」と心配してくれた。

もうすでに泊まる所は予約をしていたから問題はなかった。

 

ただ、これは彼にものすごく失礼なことだったのだけれど、

初対面の人、

初めて降り立ったパラグアイと言う国、

アスンシオンと言う街、

初めてのことが多く、僕はかなり警戒をしていた。

 

さらに夜。

 

僕はビダルに「宿は決まっているから大丈夫」と答えて、

ビダルと別れた。

 

ビダルとはFacebookでつながっていて、

気まぐれにメッセージをスペイン語で送ってくることがある。

 

 

バスターミナルでパラグアイ初の食事をとった。

 

バスターミナルから宿までは歩いていける距離だった。

安全を考えたらタクシーを使った方が良かったのかもしれないけど、

僕は歩きを選択した。

 

道中のレストラン。

油断は禁物だけど、この写真のように夜にオープン席があって、

食事した人がいれば治安はまず問題ない。

 

 

しかし、僕は宿までの道に迷った。

 

 

あれ~こっちだよな~?

ここで曲がるんかな~?

 

 

とウロチョロウロチョロしていた。

 

バスターミナルから歩いて30分くらいらしかった。

迷ってしまって1時間くらいかかったかもしれない。

 

 

当時僕が持っていたのはiPhone4で、

ネットがなくても使える地図アプリをダウンロードして、

定期的にバッグから取り出しては確認していた。

(常に持っていると盗難の標的にされるので)

 

GPS機能が働くオフラインのアプリでものすごく重宝していた。

ベトナムのフエの観光ツアーで出会った韓国人のジェフォンさんに教えてもらった。

 

ジェフォンさんは京都の龍安寺石庭の

石はどの角度からでも全てを見ることはできない

と言う禅の教えも知っている博識な人だった。

韓国で社会科の先生をしているって言っていたかな。

 

 

話が逸れましたが、そんな便利アプリを使っていても

迷う時は迷うんですね~。

 

で、ようやく到着!

アスンシオンにある日本人宿、

らぱちょさん!

民宿のホームページはこちら!

 

宿に併設して、日本食レストランもある。

地元の人たちにも愛されていて、

僕が到着した時もお客さんが多数。

 

 

それにしても疲れた。

 

ボリビアのラパス → サンタクルス 夜行バス

 

サンタクルス → アスンシオン 夜行バス

 

夜行バスの梯子ってこの旅、最初で最後だったかもな。

 

疲れていた僕は、、、

パラグアイのビールを飲んだ!

 

で、寝た!

 

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。

 

 

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ラパスから向かったのは

ボリビア第二の都市と呼ばれている

サンタクルス

だった。

 

ラパスからサンタクルスへは、アンデス山脈を越えていく。

道のりは約12時間。時間かかりますね。

 

 

これが地形としてはすごく興味深くて、

ラパスの標高は富士山並みだったけど、サンタクルスは標高が低い。

ラパスではダウンジャケットを着ていたけど、

2月の南半球は夏だから本来は暑い。

 

 

 

草木も高地の草木から低地のものに変わっていった。

 

サンタクルスのバスターミナルに到着。

乗客の着ている服を見て頂くと、

皆、半袖なのがわかる。

 

サンタクルスに降りた時、

蒸し暑いな~ここ!

が最初の感想だった。

 

同じバスに乗車していた、

いのさんとひろみちゃんと一緒に行動することになった。

二人とも旅慣れている人たちだったから、

全然気を遣わず、楽だった。

 

 

サンタクルスの教会。

 

大きなバックパックを背負っていたこともあり、

あまり動きたくないよね、とバスターミナルの周りだけ

ぶらぶらした。

 

その割には教会が多いような気がした。

 

腹が減ったので、目についた軽食屋をのぞいてみた。

グラタンがあってラパスの料理と全然異なった。

 

それからメルカド(市場)へ行った。

 

いのさんとひろみちゃん。

いのさんの髪型はインパクトがあって、

南米の人たちに好かれていた。

 

昔コロンビアのサッカー選手で、

バルデラマって選手がいたのだけど、

現地の、特に子供に「バルデラマだよ」と言って、

ウケていた。

 

食事をとっていると、

日本語で「日本人の方ですか?」と尋ねられた。

見ると僕らと同じ日本人のような女性二人組が

近くのテーブルに座っていた。

 

話してみるとどこか日本語に違和感を感じた。

話を聞いてみると、日系移民二世の方たちだった。

ルーツは沖縄だそうだ。

 

このサンタクルスの街は沖縄から移民してきた人たちの

コミュニティがある。

その名は「オキナワ移住地」

 

少し前ですが、2019年に日経新聞の記事がありました。

 

南米ボリビアに70年、もう一つの「オキナワ」

2019年7月27日付

 

この記事では日系ボリビア人は100万人になっていて、

戦後に沖縄からボリビアへ移住。

荒地を耕し、今では「ボリビアの小麦の首都」と呼ばれるようになっている。

 

ものすごく胆力がある話ですよね。

0から作り上げたのだから。

 

少し話が沖縄の言葉に飛躍してしまうのですが、

記事内にある、

 

「こうした密度の濃いコミュニティーは、移住者のほとんどが沖縄出身という特殊な環境によるものだ。家族や近所付き合いを大切にする沖縄の文化がそのままボリビアに持ち込まれ、現在も維持されている」

 

この部分は僕の出会った体験にも通じている。

 

 

2019年の年末から2020年の年始にかけて、

僕は沖縄本島を自転車で旅をした。

 

その時に沖縄の東の方にある、平安座島の宿に泊まった。

泊まったところは民家の別宅みたいなところだった。

 

宿の女将さん、と言うかお母さんと話す機会があった。

その話の中に「なんくるないさ」の意味に関する話題があった。

 

沖縄県以外の人たちからすると、

この「なんくるないさ」は「大丈夫」「なんとかなる」「気にするな」などの意味で、

使う沖縄県人の「時間にルーズ」「適当さ」「いい加減さ」を表す文脈で解釈されがちだ。

 

でも、「なんくるないさ」の本来の意味は、

「人事を尽くして天命を待つ」

なのだと、お母さんは教えてくれた。

 

現代気象科学で、台風の発生や進路、いつやってくるのか予測できるようになった。

科学が発達する前は、海の様子や雲の流れ、風の強さなどで台風を予測していたと思う。

自然の猛威と闘うために沖縄の人たちは協力し、備えた。

その時に使っていたのが、「なんくるないさ」なのだ。

 

沖縄からボリビアのサンタクルスへ移民し、

0から「オキナワ移住地」を作った人たちも

この精神を受け継いでいたのでしょう。

 

 

南米では日系移民の方々の不屈の努力で農業を確立した話は多く聞く。

 

ブラジルだったかな?

元々は野菜を全然食べなかったけど、

日系移民が美味しい野菜を作れるようになったから、

野菜を食べる頻度が増えたとか。

 

そのような日系移民の方のおかげで、

日本人への印象は南米で良いのかもしれない。

 

 

話は旅に戻って、

日系人の方から、「近くに日系スーパーあるよ」と教えてもらい、

向かうことにした。

 

 

ここがOKINAWAスーパー。

 

店内の様子。

お茶漬けあった!

 

このガム懐かしい!子どもの頃、よく噛んでた!

このガム買った。

 

 

オキナワストアを楽しんだ後、バスターミナルへ向かった。

 

バスターミナルに入る。

 

 

僕はパラグアイの首都、アスンシオンを目指す。

 

いのさんとひろみちゃんは僕とは別の街へ向かうので、

ここで別れた。

いのさんとひろみちゃんは、

この旅中に付き合うようになり、その後結婚した。

お子さんは二人(かな?)で家族仲良く暮らしている。

数年前に二人の家にいって、だいぶ飲んだ。

 

旅中はここで一旦別れるけど、また再会する!

それもなかなか面白いところで!

 

 

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