父が中学ぐらいの時に


家に祖母の八人兄弟の弟さん

(父の叔父)が

訪ねてきたという。



銀行から借金をするのに


保証人になってほしいという事だったようだ。



父は、この時はまだこの内容を知らず、

この事件を知ることになるのは

ここから20年以上経過して

からだったと思う。





祖父は、自分の嫁の弟となれば


自分の義理弟ということにもなり


快く判子を押したという。



弟は、何のためにお金が必要で借金をしたのか・・・という理由は

祖母は私には教えてくれなかったが

(弟のしたことで祖父に引け目があるのか。。)


きっと判子を押して貰う時は


それ相応の理由を話をして

納得の上で祖父は押してあげたのだと思う。






当時、家の問題があり、

祖母は、お金の事では

少し辛い思いをしていたと思う。


そして、実家の親戚から家を騙されているのもあるので、祖父には本当に引け目があったはずだとも思う。






判子を押した後

叔父さんは居なくなった。





借金の返済は滞り


その借金をうちが肩代わりをして払うことになったという。



とんでもない話だ。


弟さんが逃げるとは。。。

逃げたのではなかったとしても


居なくなるということは、


祖父、祖母からしたら、


逃げたと一緒だった。






家の二軒分の支払いと

叔父さんの借金。





父はこの事を伏せられた状態で


神奈川へと集団就職にいくことになった。


仕送りは、そのまま借金と返済に回ったという。



妹二人は、その当時はまだ家にいたので、(中学生)


叔父さんが逃げて借金を肩代わりしていること、

自分のお父さんとお母さんが困っていること、


側でずっと見てきたと言っていた。




妹も中学をでて働くという選択しかなかった。









祖母の葬儀の時に仲良しの叔母

(父兄弟の一番下の妹)


と昔話をしながら、色々話をしていたら、


この話になった。



私は、寝かしつけの時に

この話を少し聞いていたから、


私が祖母から聞いていた内容を話した。





"ままちゃん・・(←私の事)

この葬儀に"その"叔父さん来ていて、何食わぬ顔でその嫁も葬儀に来ているわよ。

しかもその嫁は、豪華な服を着て如何にも裕福な生活を送っていますみたいな振る舞いをしてる。

兄さんはこの事を知らないから、叔父さんともその嫁とも仲良く喋ってる。

あんなに苦労したのはその叔父さんのせいだというのに・・・・

そんな姿を見るのも不憫だけど

私達妹はどうしても快くあの二人を思えない"




この話で初めて

叔父さん=この人


だとわかった。


叔母と話すことで

葬儀で答え合わせが出来て、

涙が溢れた。


そして、葬儀会場で叔父さんと話ながら

ニコニコ笑っている父は

私さえ知っているこの事を知らない。


妹は、兄さんには

言えないと言っていた。


父さんと母さんが兄さんに隠していたことを

私達が言うわけにはいかないと・・・・



私はもっと涙が流れ

その場に居れなくなった。







なぜ、祖父は、叔父さんを許したのだろう。





叔父さんは、よく家に出入りしていたし、


冠婚葬祭にはいつもいた。



どこかのタイミングで

現れ、きっと謝罪して

祖父、祖母に許して貰ったのだと思う。




でも、でも。。。


どんな気持ちで許せたのだろう。


なんで許せたのだろう。



娘までこうなってしまったのに。。。


みんな本当に辛い思いをしたのに。。。




ままちゃん家はなぜ、こんなに人に騙されて来たんだろう。

騙されるほうも悪いのかも知れないというけれど


本当に騙されるほうは

悪いのだろうか。




人の起こった出来事を

評論家のように

「騙されるほうも悪いんですよ!」

って言う人いるけど、


本当に騙されてみて

その言葉を口に出来るのだろうか。



霊的心理的には

因果応報で

そこにも学ぶことは沢山あるのだと

わかるし、そうだと思うが、






本当に自分の身に起こったら、

本当に難しいことだと思う。







祖母がそれでも家に居れた理由

祖父に引け目があっても


この家に居れた理由を



また答え合わせで知ることになる。




そしてまた、この事は父は知らない。



うちは下手な家族ものドラマよりも


色々ある。



続きはまた。



#ままちゃん家の人々










私が東京で働き始めて


数年経った時(今から20年ぐらい前)


父は一緒働いてくれてる方と一緒に


東京に来てくれました。


父は


はとバスを予約し、

私と父と仕事仲間の方と三人で


横浜ツアーをまわることになりました。


横浜のまわるツアーは、分単位でスケジュールが管理されていて、


バスから降りると

何時何分にまたここに戻ってくるようにと

バスガイドさんから

言われるのでした。




横浜港に


"日本丸"という船が

停泊していて、


梯子を渡って


船の中を見学できるというものでした。



父は梯子を渡りながら


途中、少年のように梯子から身を乗りだし


横浜港の汚い海を見ていました。



"⚪⚪(←ままちゃんの名前)!

東京の海は汚いな。

ペットボトルとかごみとか色々浮いてるぞ!

しかもマネキンまで浮いてるときた!

ほんとに東京は恐ろしいところだ"


と私に大きい声で言いました。


私は引き返し、父のところに行き、

同じように身を乗りだし

梯子の下の海を見てみました。


私もお馬鹿さんなので


"ほんとだ!すごい汚いね。

マネキンまで浮いてるね!!"


と船の見学にも行かず、

ずっと海を見ていました。



すると、それを聞いた管理人さんらしき人が


ながーーーい棒を持ってきて


棒の先にフックをマネキンにひっかけて


"誰だ!こんなもの捨てた人は(怒)"


と言いながらマネキンを引っ張りました。



マネキンは、うつ伏せになっていて、


おじさんのフック付き棒で

180度回転して


キョンシーの格好をしたマネキンが顔を出しました。


スーツを着た男性のマネキンでした。



父は

"うぉー!!東京はマネキンは、すごいな!目まで付いてるぞ!しかもすごいリアルだ!"


"ほんとだー。すごいねー"


仕事仲間

"船の見学もしないでなにやってるんだよ~"


管理人さん 

"ギャー!!!!人だぁ~!!!!"




父と私は目を丸くして


すぐに来た警察の人に言いました。



"第一発言者です!"




警察官

"どざえもんに第一発見者もありません"


すぐにブルーシートがしかれ、


見えなくなりました。



バカ親子の私達は、


頭の中は

西武警察の曲が流れ、

向こう岸にいけば見えるかと300メートル近くある向こう岸にいき、


父の望遠レンズで

野次馬をしました。





全然見えなくて、

二人で、キョロキョロしていると




遠くから拡声器📢で



"⚪⚪さまぁ~!!!

おもどりくさだーーーーーーーーい


バスが出発しまーーーーーす!"


父と走ってバスに帰りました。



翌日、ありとあらゆる新聞を買いましたが



新聞には何も書いてなく、


マネキンを撮った一眼レフの

フィルムは、

帰ったら

気持ち悪がれて

母から燃やされましたとさ。


庭園や、ほかで撮った楽しい写真も


全部燃えましたとさ(笑)




ではまた。



#ままちゃん家の人々





お隣さんの家の倉庫は、


祖母が何度も連絡していた大工さんが建てる

ことになっていたという。



なぜ、うちが先ではないのかと思ったと言うが


順番待ちならと

(その大工さんに確認はしたと思うが)


待ったという。




お隣の古い倉庫が取り壊しされていき、


少しずつ新しい倉庫が建っていったと言う。



地域柄

倉庫なら、このぐらいの材木を使うだろうと木材があったというが、



お隣さんに家には

まさかの檜木が沢山運ばれてきて


檜木の倉庫が完成していくにつれ


祖母は、嫌な予感がしたという。



大工さんに


"うちで使う檜木だったんじゃないか"


"倉庫に檜木を使うなんて変だ!うちの檜木は、あるのか?"


沢山質問したという。



大工さんは


大丈夫だといい、心配するなと言ったという。


祖母は、自分の実家が立派に建った姿を見ていた事もあり


信じようと思ったと・・・

(ほんとにため息がでます。)



しかもその大工さんは、

自分の弟の嫁の親戚。


まさか。。。


まさか。。。


そんなことは無いだろうと思ったという。




お隣さんちの倉庫は、

完成した。




やっとだ!

やっときた。


次はうちの番だ。




祖母は、大工さんを待った


でも、



大工さんは


来ることは無かった。






祖母は、大工さんに聞きに行ったという。



大工さんは、

ままちゃん家から15キロほど離れた

海に近い地域に住んでいた。



祖母はそこで

大工さんから

衝撃的な事を告げられる。




"おまえんちの檜木は海に流れていったからもう木はない。

だから家は建てられない"


今なら、今の時代なら

そんなバカな話!って思う。

訴えたり、様々な手段、方法を取れた思う。



祖母や祖父は、

小学校しか出てなかったし、

そんなに教養があったわけではなかったから


(しかも親戚だし、強くも言えない)


泣く泣く、


もう一軒分の金額を借金をして


家を建てることになってしまったという。





この事件が起こった時期は


私の父が中学卒業するぐらいで


姉は高校生、妹二人は中学生と小学生ぐらい。




祖母のお葬式の時に父の妹にも話を聞いたが


その時は本当に大変だった・・・


二軒目の借金をしたけど、

お金が足りなくて、

家の中の仕切りの扉が装着されていなく、

外だけは完成しているだけの


中は、それはそれは

無惨な家で誰も友達を呼べなかったという。




一軒目の家のお金は貯めたお金だけで建てられたわけではなく、不足分は借金をしていたようだった。


要は、二軒分の借金をいきなり背負うことになったという事だ。



祖母の実家にも相談したが

何も変化は起こらず


祖母は毎日、毎日泣いたという。




祖母は、小さい私に

寝かしつけながら


泣きながら、いつも泣きながら

様々な事を教えてくれた。


大人になると

こういったことは

起こるんだ・・・

大人になると大変なんだなぁと

いつも思いながら

眠りについた。


自分が大人になったとき、

これはちょっと特殊なんだと

気づいた。

みんなに起こることじゃないんだと。。。







父は、この理由で

(実はもう一件理由がある)



高校に進学することを諦め


神奈川に集団就職をすることになった。


すぐ下の妹は、中学を卒業し、


同じように進学を諦め、

住込みの美容室で働きながら

資格を取ることを選んだ。



一番下の妹は、手先が器用だった事もあり

高校には行けなかったが、

洋裁学校に行くことができ、

二年後、東京に働きに縫製工場で働くことになる。



父は神奈川・妹は東京で働き、実家に仕送りを続けたという。


それでも借金は減らず(二軒分ですもんね。)


正月でも帰省することが出来なかったと


葬儀で昔話を話してくれた。




実家には、心配をかけまいと


正月も仕事で忙しいからと嘘をつき

帰らず、


東京では、寮から次々帰省するために

減っていく仲間を見送ったという。

元旦の虚しさだけは今でも忘れられないと・・・






私は一軒分騙されたことを

小学生の時に聞いていたが、

その30年後、父の病室で

この話の続きを聞くことになる。



弟と一緒に聞いたのだが、


あまりにも衝撃過ぎて、


ひっくり返るどころの話ではなかったのを覚えている。


その日はミュージックステーションが病室のテレビに映りながら

陽気か曲が流れる晴天の日だった。



弟と共に音楽が聞こえなくなった。





そこはまた次回。



#ままちゃん家の人々