私は長女としてこの家に生まれ
三才ぐらいから
祖父と祖母の寝室で寝ることになった。
私は父と母と一緒に寝た記憶はない。
今思えば、祖父と祖母が
父と母を気遣って、孫を引き受けたというのがわかるが、当時の私はなぜ、私は
ここに寝るのかがわからなかった。
でもおばあちゃんは好きだし
ここに寝るものだと思っていた。
祖母の部屋の隣に祖父の部屋があり、
夜中に祖母が祖父の部屋に度々訪ねていくのも
幼いながらになんとなくわかっていた。
祖母は祖父の事が
本当に好きだったのだと思う。
祖母は、毎度、私を寝かしつけながら、
昔の起こった悲しい出来事を私に話した。
"この家がこんなに安っぽいのは
理由があるんだよ"
確かに、幼いながらに
うちはお友達の家と比べて安っぽい家だなぁと思っていたけど、
理由があったんだってわかったのは小学生四年生か五年生ぐらいの
色々なことを理解できる歳になってからだった。
祖母は、同じ分家の八人兄弟の長女として生まれ、母(祖父の母)がなくなった親戚(ままちゃん家)
の家に嫁いだ。
祖母には同じ地区に好きな人がいたみたいで、
祖父との縁談があると母(私の曾祖母)に告げられた時に
どうかどうか祖父が断ってくれますようにと祈ったという。
でも、私が生まれたということは
祖父はokをしたということみたいだ。
祖母は、中華そば屋さんを営み、
四人の子育てをしながら、
衣類、お菓子、かき氷🍧など売り
生計を立て
家を建てられるぐらいのお金を貯めたという。
その頃、祖母の実家が家を建てたらしく、
だったら、うちも!となり、
実家の親戚の大工さんに
檜木で作る家を頼んだという。
当時は現金で木材を建主が買うことは当たり前だったらしく、
当時のお金で結構な金額を
その大工さんに渡したという。
現金を渡してから、何ヵ月経っても、
家を建てる雰囲気がなく、
大工さんに
何度も何度も連絡をして
うちの家はいつ建つのか聞いたという。
大工さんは
他の現場があるからと
もう少しもう少しと言って
一年近く待たせたという。
ほどなくして、
隣の家の倉庫が新しくなっていったという。
続きはまた。
#ままちゃん家の人々