曾祖父が亡くなり


祖父が亡くなったあと、


本家のお婆ちゃんが亡くなりました。


またお葬式。

 これで三人目。。。




分家だったうちの家と祖母の家は、


絶対的に参加しないといけないぐらい近い存在なので


またお葬式に参列することになりました。


私は主に裏方でしたが、


本家、お婆ちゃんも

仲良しだったので


また悲しいお別れでした。





曾祖母と曾祖父は、

米寿祝を親戚一同集まってやっていたので、


曾祖父のお葬式の写真は、

米寿の時の写真を使いました。


なんて切ないことなんだと

写真をみながら


焦点を合わせることの出来ない自分がいました。



ままちゃん家周辺の家は、家の座敷に

亡くなった先祖の写真を飾るのですが、

この時はどんどん写真が増えていく状態でした。




本家のお婆ちゃんが亡くなって2ヶ月程した時、


曾祖母が亡くなりました。


遠方の子供達(祖母の兄弟)は、


さすがに人が亡くなりすぎで


嘘付くのも。。。😅と勤務先から言われたぐらいでした。


みんな葬儀に来てくれたとき、


口を揃えて1ヶ月~2ヶ月ごとに


人が亡くなっていくと


さすがに周りの人も自分も


これは本当なのか?


と思った、しかも


とても言いづらいかったと


言っていました。



この時でも、


まだ祖母の兄弟達は、


遺産放棄の判子を

押していない状態でした。


弟さんは、また集まってきた兄弟達に判子を押すようにとせまりました。


でも、誰一人判子を押すことはありませんでした。


兄弟達は弟と話すことを避け


また葬儀が終わりました。





私は四月からいく専門学校に

下見を母としに行くことになっていたので、


母と二人で祖母の一番下妹のいる

東京に行きました。



叔母さんの家について、


一時間ぐらい経過した頃



郵便局さんが

祖母の家にきました。

郵便物を受け取り、

叔母は目を丸くしました。


祖母の弟さんからの郵便でした。



叔母さんは

私達がいるのに

その大きな封筒を

開けました。

(もう、知ってる仲だし。。)



文章はすべて赤字で書いてありました。



判子を押さないと

また誰かが。。。


とも書いてありました。


叔母さんは

呆れた様子で

手紙をしまい、


話を切り替え、


まずは東京案内だね!と言って

私達を色々なところに連れていってくれました




その後、親戚の中で二人ぐらい亡くなりましたが、

もう兄弟は葬儀には来ませんでした。


さすがに

もう来れないと・・・



私はこの頃、ずっとずっと

無くなることの無い葬式饅頭を

毎日食べていました。


葬式饅頭って

悲しいのですが、

本当に美味しいんですよね。。。




判子は、弟さんの娘がみんなにお願いをしたり

色々話し合いが行われ、やっと

全員分の判子を貰うことが出来たようです。


兄弟達は

曾祖母と曾祖父が


実家であまり良い待遇を受けていないことへの

抵抗として判子を押さなかったようなのですが、


もう曾祖母も亡くなってしまい、

抵抗することの必要も無くなったので、


判子を押した模様です。



弟さんの

怨みか、誰かの怨みがこれだけの人が死ぬ原因になったとは思いませんが、


あの時期は、


何かがおかしかった。



では、また。




#ままちゃん家の人々











私が、専門学校に進学するべく


親と相談していた


高校三年生の秋ごろ


祖母の父(曾祖父)が亡くなりました。




ひいじいちゃんは、いつも家に来ては


お茶を飲み、お菓子を食べ


楽しい話をし、


相撲を一緒にみて歓喜したり


時に悔しがり、


いつも夕方一緒にいてくれました。


うちは近くの家のお茶のみ場所になっていて、いつも三、四人のお爺ちゃんやお婆ちゃんが居ました。



曾祖父は、いつもたばこのお使いを頼んできて


"お釣りはお駄賃だよ"


といって少し多めのお金をくれるのでした。



ほんとに仲良しひいじいちゃん🎵でした。



ひいじいちゃんは長女であるうちの祖母を

いつも気に掛けていたから

そして祖母もひいじいちゃんを気に掛けていたから来ていたんだと後からわかりましたが

その当時は、お茶好きなんだな。。。ぐらいにしか思いませんでした。





ひいじいちゃんが亡くなったと聞き、

それはそれは悲しく、

ひいばあちゃんと祖母と一緒に

泣きました。


葬儀になり久しぶりに兄弟が集合しました。

兄弟は日本全国に散らばっていました。

上は北海道

下は岡山まで。



祖母は八人兄弟の長女で

弟や妹のことは、

親代わりで育てた事もあり


下の妹達は、祖母には頭があがらない感じの雰囲気でした。



祖母の実家には

それなりの土地がありました。


祖母のすぐ下の弟が継いでいたのですが、


あまり評判は良くなく、

嫁もみんなから嫌われていました。


土地を弟のものにするには

兄弟7人の判子が必要らしく、

(遺産を放棄する判子)


葬儀が終わると弟さんは判子を求めて兄弟のところに来ました。




6人の兄弟は、(祖母と弟を除く)

判子を押さないと言ってきました。

押したくないと。




そんな意見を長女である祖母と祖父とで

仲裁人になって

弟にも色々直さなければいけないことを

話をしたりして大変そうにしていました。


長男は、ひいじいちゃんとひいばあちゃんを

大切にはしてこなかったのです。

その点を他の兄弟から

責められ、

嫁いでも面倒をみてきた

長女(祖母)や祖父に

ただでは土地はあげたくないと

兄弟達は言うのでした。




弟夫婦は、

怒りでいっぱいで、

祖母達に

次はそっちの番だと言うのでした。


悪いことが起きるぞ!みたいな事を

ずっと言っていたのを

覚えています。



ひいじいちゃんが亡くなって1ヶ月ぐらいが

過ぎた時に


いつものように夕方パンを食べていた祖父が


パンを詰まらせ、


救急で運ばれ、


息を引き取りました。





一報を受けた私は高校の友達の家から病院に向かい、 


目の前で祖父の衣類をハサミで切られ、


心臓マッサージするところを


棒立ちで見たのを今でも鮮明に覚えています。


ピーっと線が走り



ご臨終です。


と先生に告げられました。



1ヶ月前に集合したばかりの8人の兄弟はまた集まりました。


ついこの間あったばかりのメンバーだったので、不思議な感じでした。


49日じゃないよね。

また葬儀・・・



この時、まだ弟さんの望む判子は

誰一人押してはいない状態でした。



弟はうちに来ると

遺体になった祖父に手を合わせ、


判子を押さないからこんなことになったんだ!と言いました。


まだこの時は


この死が終わりでは無いことを


誰も知りませんでした。



続きはまた。



#ままちゃん家の人々