韓国シネマ留学)最初の発表「歩いても歩いても」 | なりあやの韓国シネマ留学記

なりあやの韓国シネマ留学記

2017年、3度目の韓国留学。
ソウルの大学院で映画を勉強します!

ふう。大学院に入って初めての発表が無事終わりました。

 

イタリア人留学生と2人で1時間。なので大体30分ずつ。

 

作品は是枝裕和監督の「歩いても歩いても」(2008)

 

 

おもしろいよね。

前も観てるけど、改めて観たらほんとに発見がいっぱい。

いい映画の証拠です。

 

是枝監督といえばドキュメンタリーの出身ですが、

「誰も知らない」(2004)をはじめ、実際の事件をもとに描くスタイルで「社会派」とみられていたのが、

 

この「歩いても歩いても」を機に、個人的な、日常的な話(=家族の話)を素材に描き始めます。

 

でも、ただ個人的なだけでない。個人的だけど、普遍的。

去年の釜山国際映画祭で、「家族を描くときに意識されていることは何ですか?」という質問に、「一人を描くときに、その人のいろんな面を描くようにしている。たとえばその人は誰かの息子で、弟で、父、という風にいろんな関係の中にいる」とおっしゃってました。だから、世界中で共感を得られるんでしょうね。

 

「歩いても歩いても」は、是枝監督のお母さんが亡くなったことがきっかけ。

 

樹木希林演じる母は、是枝監督のお母さんが投影されてます。

これまたほんと名演というか、ナチュラルすぎて、演技なのかなというぐらい。

 

海外の記者からは「なぜいつも物語のなかに不在の死者がいるのか」という質問を受けたそうです。

「歩いても歩いても」では、長男。亡くなってるのに、ものすごい存在感。

 

「西洋と違って、多くの日本人にとっては絶対的な神様がいない代わりに、日常のなかで死者の目にさらされて恥ずかしくないように生きる、という倫理観を持っている」

 

というのが是枝監督の考え。

西洋では生と死が対立関係にあるのに対して、東洋、特に日本では生と死の境界線があいまいだということです。亡くなったからっていなくなったわけではない、という。

 

というわけで、作品のどこに亡くなった長男の存在感が表れているのか、仏壇とかいちいち解説しながら発表しました。

 

韓国映画を日本に紹介するというのを大きな目標にして来たけど、来てみたら、日本映画への関心の高さにびっくり。日本映画に詳しいわけではないけど、社会的、文化的背景なら日本に30年以上暮らした者として語れることがあるので、積極的に語っていきたいと思いますニコニコ

 

学生食堂でイタリア人留学生と発表の準備をしながら、キムチチャーハン。

5千ウォン(500円)って安くないね。

 

 

そして明日は、日本映画を素材にした日本語の授業。教えるほうね。

トトロ2回目です。

ちょっと休んで、準備せねば。