『東北の地質的景観』 第6回 鳥海山 | 奈良の鹿たち

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『東北の地質的景観』 

第6回

「鳥海山」

 

 

 

(↑鳥海山地形図 Wikipedia)

鳥海山(ちょうかいさん、ちょうかいざん)は、山形県と秋田県に跨がる標高2,236 mの活火山。山頂は山形県側にある。出羽富士(でわふじ)とも呼ばれ親しまれています。山形県では庄内富士(しょうないふじ)とも呼ばれています。鳥海山という単独の山はありません。

新旧2つの二重式火山が複合したもので、なだらかで浸食が進んだ西鳥海山とやや急峻で新しい溶岩地形をもつ東鳥海山とからなり、それぞれの山頂部に山体崩壊によって生じた馬蹄形カルデラがあり、中央火口丘と外輪山が見られます。

(↑鳥海山~日本海 3D立体図 国土地理院)

 

鳥海山の峰々

(↑鳥海山 峰々)

鳥海山の基底の直径は、東西26㎞、南北14㎞。

新山(しんざん)(2236m)は溶岩ドームで、鳥海山の最高峰であるとともに、現在の噴火の中心でもある中央火口丘になっています。新山の周囲は、切り立った崖となっています。この崖は、爆裂火口の一部で、北に馬蹄形にえぐれています。崖には多数の溶岩流がみえます。

もうひとつの中央火口丘は隣の荒神ヶ岳(こうじんがたけ)(2170 m) です.

崩壊した跡は、東鳥海馬蹄形カルデラとよばれています。 爆裂火口は、2500年前の噴火によって形成されたもので、噴火によって山体が大規模に崩壊しました。

(↑東鳥海馬蹄形カルデラ)

山体が崩壊したとき大量の堆積物が斜面を流れます。堆積物には大小さまざまな岩塊が混じっていました。大量の岩塊が、なだれのようにくずれていきます。爆裂火口の裾野には、そんな堆積物からできた流れ山(ながれやま)とよばれる特有の地形ができました。流れ山は、比較的なだらかで平らな地形ですが、大きな岩塊がごつごつの小山をつくっています。なだれの堆積物は、象潟町や仁賀保町一帯に広く流れ下りました。流れ山の地形は、その後の火山活動による溶岩流などに覆われて多くが消えてしまいましたが、冬師(とうし)や象潟(きさかた)にかけて残されています。この流れ山をつくっている火山堆積物を、「象潟岩屑なだれ」と呼んでいます。

(↑象潟 流れ山)

爆裂火口の周囲には東から時計回りに、七高山(しちこうさん)(2229m)、行者岳(ぎょうじゃだけ)(2159m)、伏拝岳(ふしおがみだけ)(2130m)、そして西側に文珠岳(もんじゅだけ)(2005m)が、半円を描くように外輪山として並んでいます。
新山は活火山で、1974(昭和49)年3月1日には、153年ぶりに噴火しました。新山を東西に横切る割れ目の上にいくつかの火口ができ、マグマ水蒸気爆発が起こりました。数ヶ月の間、噴火が続きました。まだ積雪のあるころの噴火だったので、噴火による熱で雪が溶けて泥流(火山泥流)が何度か起こりました。泥流が起こったのですが、河川に流れこむこともなく、大きな被害はありませんでした。
 新山と外輪山を東鳥海火山と呼んでいます。外輪山の文殊岳のすぐ西には鳥海湖とよばれる池があります。鳥海湖は、噴火口に雨水がたまった火口湖です。鳥海湖を中心として、鍋森(なべもり)(1652m)や扇子森(せんすもり)(1759m)を中央火口丘として、いくつかの火山があります。西に笙ヶ岳(しようがたけ)と東の月山森(がつさんもり)が外輪山となっています。南に開いた爆裂火口を囲むように外輪山があります。これらを、西鳥海火山と呼んでいます。

地形的には、なだらかで侵食が進んだ西鳥海山とやや急峻で新しい溶岩地形をもつ東鳥海山に二分されている。東鳥海火山が新しく、西鳥海火山が古いものとなります。

 

有史以前の活動

鳥海山では、大きく3の活動時期(ステージ)があると考えられています。

第Ⅰステージ(古期鳥海火山) (約60~16万年前):鳥海初期火山体の形成と大規模な山体崩壊(多数の溶岩流・火砕流)の時期。60万から55万年前は天狗森火山岩や鶯川玄武岩を出した火山活動。55万から16万年前には古い火山体ができたが、その実体はよくわかっていない。
第Ⅱステージ(西鳥海火山)(約16~2万年前):西鳥海火山の活動と西鳥海カルデラの形成時期
(多数の溶岩流・火砕流)、鳥海ステージIIa/bが16万から9万年前、鳥海ステージIIcが9万から2万年前に分けられる。
第Ⅲステージ(東鳥海火山)(約2万年前以降):山体東部に円錐形の東鳥海火山の活動と東鳥海カルデラ形成された時期(西山腹猿穴火口からの溶岩流)。 2600年前の縄文時代には山体西部の猿穴火口で噴火活動が発生し、北に開いた馬蹄形カルデラが形成され、山体崩壊と象潟岩屑なだれで溶岩流が日本海に達した。

 

有史以降の活動

●紀元前466年(今から約2600年前):大規模な山体崩壊を起こす。東鳥海馬蹄形カルデラがつくられる。象潟岩屑なだれが発生し高速で北北西方向に流下し、現在の象潟町や仁賀保町一帯に広く堆積した。このような大規模な山体崩壊は、数万年に1回程度以下のまれな現象(埋没樹木の年輪測定から、その年代が判明)。象潟付近の九十九島はその時の噴火で形成された「流れ山」で、形成当時は海中の小島であったが、 1804年象潟地震により土地が隆起した。

●708~15年(飛鳥・奈良時代):水蒸気噴火。噴火場所は新山付近。

●810~824年(平安時代):水蒸気噴火。噴火場所は新山付近。

●871年(平安時代): 噴火および溶岩流。中規模噴火(火山爆発指数VEI2)。水蒸気噴火→マグマ噴火。火砕物降下→溶岩流。噴火場所は新山付近。泥流が流下し、川の水が青黒く変色して氾濫、堤防が崩壊。

●939年(平安時代):水蒸気噴火。噴火場所は新山付近。

●1659~1663年(江戸時代):水蒸気噴火。噴火場所は新山付近。稲作に被害。

●1740~1741年(江戸時代):水蒸気噴火。荒神ヶ岳の南東側山腹火口から噴煙多量。硫黄化合物が北側の川に流入し、水田・川魚に被害。噴火数年間続く。噴火場所は新山付近。

●1801年(江戸時代):マグマ水蒸気爆発。溶岩流出し新山(溶岩ドーム)形成。8名死亡。

●1804年(江戸時代):「象潟地震」。西山麓の由利・飽海・田川郡で死者333名。倒壊家屋5500余棟。土地が隆起し象潟の特徴的な地形となった。

●1974(昭和49)年:水蒸気噴火(約150年ぶり噴火) 。新山の東側火口および荒神ヶ岳の割れ目から噴煙を噴出。小規模な泥流は少なくとも6回。断続的に5月頭まで活動が続く。(火山爆発指数VEI1)。

●1987(昭和62)年:象潟で地震群発。

 

 

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次回は、第7回「仏ヶ浦」

 

 

(担当 G)

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