『東北の地質的景観』 第5回 松島 | 奈良の鹿たち

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『東北の地質的景観』 

第5回

「松島」

 

 

松島湾は仙台湾の中央部に位置する広さ約36㎢の支湾で、大小230~300の島々(諸説あり)の多島海です。松島湾内は平均水深約2~3mと浅く、波の少ない穏やかな海となっています。

松島湾中央部の島が全くない海域の水深はおおむね2mで、海底が浅いため波が荒くなると海底の泥が舞い上がって海水が濁りやすいのです。

成立ち

松島湾に浮かぶ数多くの島々は,新第三紀(約2300万年~260万年前)の火山灰が固まった凝灰岩と、海底の砂がたまってできたシルト岩・砂岩・礫岩でできています。火砕流堆積物と泥岩という軟らかく削られやすい特徴があるため,波によって侵食されやすい地質です。

鮮新世(約500万年~258万年前までの期間)に起こった地盤運動によって、現在よりも内陸に広がっていた仙台湾が隆起して陸地化し、同時に地塊運動によって現在の松島湾に当たる部分に陸地が突出して、半島のような地形となりました。やがてこの部分は河川によって浸食され、谷間が刻まれました。

更新世(約258万年~1万年前。そのほとんどは氷河時代だった)初期(約250万年前)の断層運動によってこの半島は徐々に海中に没し、海面が形成され高い所は島となりました。更新世中期(約100万年前)から後期(約10万年前)にかけて沈んだ半島が再び隆起して海食台地となり再び河食を受けました。

最後の氷期とよばれる寒冷な時代の今から2万年前ごろ、再び海退が始まり海水面は現在より100mほど低くなり、海岸線はおよそ50km沖合にありました。

氷河期が終わり地球温暖化で陸上の氷が溶けて海水面が上がり、約9000年前の松島湾では、海面は現在の高さを基準にすると-30mまで上昇し、海はしだいに現在の湾内に侵入しました。島々の多くはまだ陸続きでした。8000年前を過ぎると海面は-10mまで上昇して島々は次第に分断されました。、そして約6000年前には海面が現在の高さに到達。水没をまぬがれた峰が島として残り、多島海が完成しました。

この寒冷な時期から温暖な時期への地球環境の変化が100mの海面上昇をもたらし、松島湾が沈降したのでした。海水面が上がったことで、陸地だったところに海が広がり多くの島々が誕生しました。

度重なる隆起と沈降と浸食によって現在見られるような松島の地形が形作られたのです。松島湾中央部の島が全くない海域は、かつて谷間に発達した平野部だったと考えられています。そのため多くの小島は上部に松などが植生し、海面に近い基部は凝灰岩の白から灰白色の岩肌を見せています。

 

「松島湾の沈水過程」(東北大学 松本秀明氏1984年)

「最終氷期最盛時以降、上昇を続けていた海面は、約8700年前には現在の海水準に対して-30mのレベルに達した。当時の海岸線は現在の七ヶ浜半島東端から5~6km東に位置しており、現在みられる島々はすべて地続きの状態であった(a)。 約8200年前になると、海面は-20mに達し、湾内への海進が開始された(b)。現在の宮戸~馬放列島を通過する水道は、その水深が最深の桂島~馬放島間で15m弱であることから、海進初期の海水の進入は、現在陸繋砂州となっている洲崎浜の部分から行なわれた。

約7500年前になると、海面は-10mに達し海岸線は急速に後退し、高城川の河口付近や新町川河口付近にはすでに海域が拡大していた。また、野々島~桂島間、桂島~馬放島間の水道からも海が侵入している。それまで互いに地続きであった島々は次第に分断され、宮戸島、寒風沢島、野々島からなるいわば"古宮戸島"と、水島を含み、桂島を中心とする"古桂島"が出現した(c)。その後も海水準の上昇が継続し、約6700年前には海面は-5mのレベルに達する。この項には、松島湾の沈水はさらに進み、外洋部のカラカイ島、ニツ島、箱島などの小島群がそれぞれ孤立してくる(d)。さらにその後,海水準の上昇は約5000年前まで継続したのち、海水準はほぼ現在と同レベルに安定した。したがって、松島湾の沈水が完了したのは今から約5000年前である。」

 

現在の地形的風景

また、凝灰岩やシルト岩・砂岩の島は、海水によって少しずつ削られていきます。削られたところは海食崖(かいしょくがい)という、えぐられたような地形となり、松島湾ではほとんどの島でみられます。

(↑凝灰岩と海食崖)

松島湾では、標高10m以下の島が全体の75%を占めています。湾内へ流れる大きな川は高城(たかぎ)川だけです。川から海に流れる土砂が少ないために,新たな堆積物が,松島湾には供給されず、海が埋まることが避けられたものと考えられています。

さらに、島の海水面近くが波に洗われて鋭角に抉られており、ややキノコに似た形になっているものもあります。このように侵食、風化作用を受けやすい地層の上に松島は成り立っているため、長い間に風景も少しずつ変化してきたと考えられ、過去の文献に記載されたものと現在のものとの間には微妙な違いがあります。 1970年(昭和45年)1月31日に暴風雨が松島を襲った際には、荒岬島が一晩で消滅するなど地形の変化の大きさを裏付ける記録も残っています。

 

 

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次回は、第6回「鳥海山」

 

 

(担当 G)

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