『生物 大量絶滅』 第4回 4回目の大量絶滅(三畳紀) | 奈良の鹿たち

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『生物 大量絶滅』

第4回

4回目の大量絶滅

(三畳紀)

(2億年前)

 

(短弓類の絶滅)

 

 

 

三畳紀(2億5190万年前~2億130万年前)

  

約2億年前のペルム紀から三畳紀末期あたりまで、地球の大陸は全ての地域が「超大陸パンゲア」で陸地として繋がっていました。そのため当時の陸上動物相は地域ごとの差異が小さい、すなわち固有性が低い状態にありました。大陸には山脈や内海が少なく、広大な大陸には主に砂漠が広がっていたためその気候は総じて高温乾燥であったと考えられます。中期~後期三畳紀は、前期三畳紀と比較して気温が低下したものの、それでも平均地球気温は約25℃と高温であり、乾燥した気候でした。

ベルム紀の3回目の大量絶滅のピークから約1000万年経った三畳紀の中期には、火山活動が鎮静化し、それにつれてプルームの冬は過ぎ去り、ようやく表層の環境も回復し始めました。 生物群は以前の多様性を取り戻し、浅い海ではサンゴ礁が、海洋の中央部ではプランクトンの生産が復活し、生物の食物連鎖のピラミッドが再構築されました。超海洋の深海における酸欠状態も完全に解消されました。

ただし復活した生物界を構成したのは、古生代末まで栄えたグループとは全く異なる新しいタイプの生物群集でした。生物圏の環境が劣悪化し多くの生物種が絶滅して、その環境が回復してから現れるのは、生陸上に適した爬虫類や身体の小さい初期の恐竜などの生物が栄え、最初の哺乳類も誕生しています。この時代の地上を支配していたのは、主竜類というワニのような爬虫類でした。

森林も存在はしていましたが、造山運動や気候帯の影響で雨や地下水に恵まれる限られた地域のみでした。乾燥に耐えられる原始的な針葉樹林が、森林地帯を形成していました。

 

 

大量絶滅(2億年前)

約2億年前の三畳紀(Triassic トリアス紀)とジュラ紀(Jurassic)の境目にあたる「T/J境界」で大量絶滅が起きましたが、過去3回に比べれば比較的小規模でした。

三畳紀末に、パンゲア大陸は中央の「中央大西洋マグマ帯」(今の大西洋)の火山活動が活発になり、分裂し始めました。

三畳紀末の大量絶滅で、海生生物の属の43~58%が絶滅し生物種の76%が絶滅したと考えられています。アンモナイト類の多くが絶滅し、腹足類、二枚貝、腕足類にも影響を与えました。

また、陸上の爬虫類や短弓類(哺乳類型爬虫類)など大型動物を中心に多くの系統が絶え、全ての生物種の76%が絶滅しました。

T/J境界では、ほとんどの主竜類が消え、それまで君臨していた大型のワニは激しい環境悪化で絶滅しました。

 

近年の研究では、この時期に1度ではなく複数回(少なくとも、約2億2000万年前と2億100万年前)の大量絶滅が起こっていると言われています。 海水位の急激な変動と激しい火山活動があったことが分かっています。

また別の研究では、三畳紀の絶滅は1500万年の間に3回発生し、第1波は隕石の衝突での大量絶滅。 第2波は海洋無酸素状態で大量絶滅。 第3波は火山活動で大量絶滅が発生したという説もあります。

またデボン紀の絶滅のように特に激変があったわけではなく、繁栄するより死ぬペースが少し速かっただけという説さえあります。

 

大量絶滅後

大量絶滅の後には「大適応放散(だいてきおうほうさん)(大規模な変動の後、単一の祖先から多様な形質の子孫が広範囲に出現すること・進化の爆発)」が起きて、生物の多様性が増大することが過去何度も起こっていました。

このころの恐竜は身体が小さかったこと、大型動物が絶滅して天敵から解放されたこと、寿命が短く成長が早かったことから、個体数を素早く回復できました。 三畳紀末の大量絶滅を乗り越えた恐竜が、ジュラ紀から白亜紀にかけて大型化して大繁栄しました。

絶滅は、原因がどのようなものであれ、生物の進化にとっては非常に大きな影響を与えるもので

あり、一面では「絶滅は進化の一部である」とも言えます。

初期の哺乳類もT/J境界を生き延び、ゆっくりではあるが進化を続けました。ただし昼間は恐竜の天下で、哺乳類は暗闇の中で虫を食べていたのかもしれません。

 

 

海洋無酸素が起きた年代の地層には、大量の植物プランクトンや陸生植物その他の生物の死骸が分解されないまま海底に堆積していることが特徴です。 その堆積物が地殻変動で地下深くに埋まって大きな圧力がかかり、そこにシアノバクテリアや光合成硫黄細菌、その堆積物を餌にしているバクテリアなどの働きで、そういった地層がつくられました。その地層を「黒色頁岩層(こくしょくけつがんそう)」といい、それが特定の年代かつ広範囲にわたって見られる場所があることから、「海洋無酸素事変」の発生が見いだされます。

 

大量絶滅の原因

起きた原因はよくわかっていません。 それを知る手がかりは大陸の移動によって深く埋もれ、散逸してしまったからです。どの要因も、原因と結果の相関関係だったり、複合的に発生した可能性が高いのです。

 

●大陸分裂➡火山噴火➡海洋無酸素事変

三畳紀末に、パンゲア大陸は中央(今の大西洋)の「中央大西洋マグマ帯」の火山活動が活発になり、分裂し始めました。 パンゲア大陸を分裂させ、大西洋を形成する地殻変動における火山活動で酸素濃度が30%から5%までに低下しました。その最盛期には「海洋無酸素事変」が発生していました。また、大気中に放出された火山性ガスは降水に溶け込んで酸性雨として降り注ぎ、海洋表層の酸性化にも働きました。

大規模火山活動によって、比較的低温のマグマが堆積岩と接触し高温に変わりました。大気中の二酸化炭素CO2濃度が上昇し、地球は温暖化に向かいました。しかし、その後、激しい火山噴火は、大量の二酸化硫黄(亜硫酸ガス)SO2を放出しました。 SO2が成層圏に入ると、硫酸の粒子ができて太陽光を反射し、植物の光合成を妨げ地球を寒冷化させました。

 

東北大学などの研究グループが、T/J境界での大量絶滅の原因は、火山活動であることが分かった、と発表しました。 大量絶滅の時期の堆積岩には、高温のマグマによってできる炭化水素「コロネン」(カルパチア石)が多く含まれることが分かりました。つまり、三畳紀末に比較的低温だったマグマがその後、火山活動の変化で高温に変わったことを物語っています。 これが堆積岩に触れて大気中の二酸化炭素(炭酸ガス)CO2濃度が上昇し、温暖化に向かったのでした。

 

雨の時代

火山活動の活発な時期に「雨の時代」が訪れ、海洋での生物群の大量絶滅や陸上での恐竜の多様化といった生態系の変化が同時に引き起こされた、という仮説があります。

三畳紀という時代は、全体として高温で乾燥した気候だったことが知られていますが、その中には約200万年間にわたって降雨量が劇的に増加した雨の時代がありました。

「カーニアン多雨事象」とよばれ、2億3400万年前~2億3200万年前の間の約200万年間にわたる雨の時代でした。「カーニアン」とは 後期三畳紀の最初の期のことです。 「大規模な火山活動で、地球が温暖化した。気温が上昇したことで、大気が水蒸気を多く含みやすくなり、雨が多く降るようになった。」という筋書きです。 「カーニアン多雨事象」の気候変化は、いくつかの生物群の絶滅や大規模な進化的変化があった時期と一致しています。 陸上植物の変化と恐竜の爆発的な多様化や哺乳類の誕生も、カーニアン多雨事象の期間に起こったと考えられています。すなわち、「カーニアン多雨事象」が生物進化に何らかの影響を及ぼしたのではないかと推測されています。

 

●隕石衝突

絶滅の原因を隕石の衝突と見る説もあります。

カナダ マニクアガン・クレーター:2億1400万年ほど前に、直径5kmの小惑星が衝突してできたのではないかと考えられています。 直径100kmの多重リング構造をしています。

 

 

 

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次回は 第5回「5回目の大量絶滅(白亜紀)」

 

 

(担当B)

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