『生物 大量絶滅』 第2回 2回目の大量絶滅(デボン紀) | 奈良の鹿たち

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『生物 大量絶滅』

第2回

2回目の大量絶滅

(デボン紀)

(3億7400万年前)

 

(ダンクルオステウス)

 

 

 

 

デボン紀(4億1920万年前~3億5890年前)

デボン紀は魚類が進化し「魚の時代」とも呼ばれていて、多種多様な海洋生物が存在していました。強力なアゴを持つようになった魚類が脊椎動物として生態系の頂点に立ていました。その代表が、ダンクルオステウスで、体長6mの肉食性の魚です。アゴに並んでいる鋭い歯は、歯ではなく歯の役割をするために変化したアゴの骨でした。

 

またデボン紀は、植物の隆盛を迎えた時代でもありました。

植物は、種と維管束系(水の輸送・貯蔵を担う器官)を発達させ、まだ草食動物との競争がなかったことから、爆発的に成長し森林をつくるようになりました。

デボン紀末期には、シルル紀に上陸した樹木は大量絶滅という過酷な環境変化が起きていた間も爆発的に進化を遂げ、陸地を覆い森林としての生態系を実現させました。巨木化したシダ類植物や、高さ40mのリンボクなどが出現して大規模な森林が形成されました。その後、種子をもつ原始的な裸子植物も現れました。

 

大量絶滅(3億7400万年前)

そして、デボン紀初期~中期に植物・昆虫類・節足動物が現れた後、後期に大量絶滅が起きました。陸上に進出を始めていた植物や動物、浅瀬に住む三葉虫、サンゴ・筆石・海綿などが激減しました。そして、甲冑魚(硬い外骨格を持つ魚)や板皮魚類(ダンクルオステウス)のほとんどが絶滅しました。全ての生物種の82%が絶滅しました。

一方、軟骨魚類のサメ類は生き残り以後の繁栄に繋がりました。

高緯度より低緯度、淡水域より海水域において絶滅率が高いことが分かっています。

海生種が87%絶滅しているのに対し、淡水種では30%の絶滅に留まっていました。

 

大量絶滅後

昆虫の初期の進化史は不明な点が多い。節足動物的な昆虫の断片的な化石としては、シルル紀からデボン紀中期のものが発見されていますが、この年代の昆虫に関しては、このような断片でしか分かりません。現在のような昆虫は約3億4500万年前の石炭紀からでした。この2つの時期の間には、化石標本があまり見つからない空白期間がありますが、その期間中に大幅な進化が起こったと考えられています。

 

海ではオウムガイが進化してアンモナイトが現れました。

シルル紀末期(もしくはデボン紀中期)から白亜紀末までのおよそ3億5000万年前後の間を、海洋に広く分布し繁栄していました。以来、彼らは実に長くの時代を繁栄していましたが、白亜紀末のK-Pg境界を最後に地球上から姿を消しました。

頭足類の中では一見似たような形の殻をもつオウムガイよりも、むしろイカやタコに近い生き物ではないかと考えられています。

そして、この大量絶滅を生き残り4本足を持つ脊椎動物である両生類が陸上進出を始めました。

淡水域に住む「生きた化石」と呼ばれているシーラカンスや肺魚のような肉質のヒレを持つ魚類から、脊椎動物で初めて4本足を持つ生物である両生類が現れました。

ヒレを持つ魚が4本足を持つようになったのは、デボン紀の巨大な森林の中で、淡水域にすむ魚たちは堆積した植物を掻き分けて泳いでいるうちに、ヒレの中に丈夫な骨がつくられたのではないかと考えられています。

イクチオステガは体長1mで、シッポに尾ひれがあったので水陸両生でした。後肢の指は7本、前肢は見つかっていませんが指は5本以上あったと推測されています。

<イクチオステガ>

絶滅は、原因がどのようなものであれ生物の進化にとっては非常に大きな影響を与えるもので

あり、一面では「絶滅は進化の一部である」とも言えます。

 

デボン紀末の大量絶滅の原因

大量絶滅の原因はよくわかっていません。それを知る手がかりは大陸の移動によって、深く埋もれ散逸してしまったからです。

どの要因も、原因と結果の相関関係だったり、複合的に発生した可能性が高いのです。

 

●火山噴火

デボン紀後期の地層に、「コロネンcoronene」(カルパチア石)という物質が多く含まれていることが分かりました。コロネンは炭化水素で、有機物の燃焼でできる際、森林火災を上回る1200度以上の高温を必要とします。具体的には高温のマグマか、天体の衝突によるものです。まとまった量のコロネンは大量絶滅が起きた年代の地層でしか見つかっていません。

デボン紀後期の地層から、当時は東ヨーロッパとシベリアに大規模な火山があったことが知られています。東北大学海保名誉教授らはコロネンを手掛かりにして、大量絶滅の原因は大噴火以外にあり得ないと結論づけました。

大規模火山の噴火は、地球深部の高温物質がマントルから地表に向かって上昇する「(スーパー)プルームplume」によって起こります。噴火で拡散した二酸化硫黄や二酸化炭素などが引き金となって気候が変動し、大量絶滅が起きたと考えられます。

 

●氷床

この時期、大陸移動による氷床 の発達による気候の急激な変化、海水面の後退(海退)、乾燥化、低酸素化などの大きな環境変化がデボン紀後期に繰返し発生し、大量絶滅が起こったとも考えられています。

 

●海洋無酸素事変「Oceanic Anoxic Event」(OAE)

これは海洋底に酸素が全く無くなるか、あるいは海水が著しい貧酸素の状態になる事象をいいます。デボン紀末やペルム紀末のほかに、ジュラ紀や白亜紀にも何度か繰り返し起こっています。

海洋無酸素事変が起こる仕組みは、次のようなものです。

地殻変動や火山活動が活発になると、地殻から大量の二酸化炭素が噴出して大気中に入り、温室効果によって地球全体で気温が上昇します。これにより海水温も上がると、海底に酸素が行き渡らず無酸素状態になってしまうのです。こうした異変は一定期間続いた後、数万年から数百万年かけて徐々に回復していきます。

デボン紀末の時は、大規模なマグマの活動(スーパープルーム)によって気温が上昇し、海底では海洋無酸素事変が起こり、陸上でも大量の二酸化炭素がもたらされたことで大量絶滅が起こったという説もあります。

海洋無酸素事変が起きると、動物の死骸などからなる有機物が酸素で分解されずに堆積して暗褐色や黒色になったチャート(放散中の殻が堆積してできる岩石)が多く見られ、そこで事変が起こった証拠となります。

 

●隕石衝突

デボン紀後期に、小天体衝突の証拠となる隕石物スフェルール (巨大隕石衝突で出来た球状の粒子)の存在が報告されています。

スウェーデンのシリヤン・クレータ(直径50km)が、この時代のものであるとされていますが、白亜紀末の生物大量絶滅を引き起こした巨大隕石の衝突跡であるユカタン半島のチチュルブ・クレーターは直径160㎞にもなり、デボン紀に落ちた隕石はくらべて小さく、生物大量絶滅の引き金になりうるほどの破壊力はなかっただろうと思われます。

この時期から数百万年の間にさらに2つの隕石が落下したという報告もあります。

また地球近くで起きた超新星爆発によって、オゾン層が減少したという説もあります。

  

 

〇森林樹木

「海生生物が大量絶滅という大規模なダメージを受けた原因が、実は大量に陸地に進出した樹木・森林だったのではないか?」という仮説が出されています。

広大な地域に広がった森林そして豊富な土壌は、ミミズやバクテリア、そして植物自身にとって最高の生活環境を創出しました。しかし地中深くまで樹木の根によって耕された大地、そして生産された「膨大な量の土壌」は、風雨などによって簡単に流され遠くまで撒き散らされました。 当時の河川が大量の土砂を海まで運んだ証拠があがっています。「海中に漂う大量の土壌が、当時の全ての生物に、壊滅的なダメージを与えた」という説が、一部の地質学者・古生物学者たちから指摘されています。同時に、水中に含まれた酸素が急激に低下したとも考えられています。多くのプランクトンがまず犠牲になり、それを餌としていた海中生物が続けて絶滅に陥りました。 

そして、森林の巻き起こしたもう一つの大きな影響は、「大気環境」にも現れました。 デボン紀の後半に入ると、二酸化炭素の濃度が急激に下がったパターンが、多数の地質学者たちから指摘されています。植物は光合成の過程により二酸化炭素CO2を取り込み、酸素O2を排出します。デボン紀後期の大気中において急激に減った二酸化炭素、そして増加した酸素の濃度は、樹木・森林の大進化と密接に繋がっていたのではないだろうか?樹木・森林の出現は、多くの生物と環境において必ずしも「歓迎されていたわけではなかった」可能性があります。

 

 

デボン紀後期の2回目の大量絶滅の原因は特定できない

デボン紀の大量絶滅は、何がきっかけで多くの生物が絶滅したのか、いまだ謎の多い出来事です。8割ほどの生物種が絶滅したといわれていますが、大量絶滅を引き起こす決定的な説明が出来ません。

デボン紀の生物大量絶滅には、ちょっとした特徴があります。

デボン紀という時代は「魚の時代」といわれるほど、魚類が大繁栄した時代でした。しかし、魚類では海に住む種類と湖や川などの淡水域に住む種類とで、絶滅率に明確な差がありました。

板皮類(硬い甲羅で覆われた古代魚・ダンクルオステウス)など海に住む種の65%が絶滅していましたが、淡水に住む種は23%程度です。棘魚類(エラに棘のある硬骨の古代魚)では海に住む種の87%も絶滅していましたが、淡水に住む種は30%程度です。

いずれも海生種に深刻なダメージを与えていることが窺えますが、魚類に限らずデボン紀には節足動物など陸の生き物より、三葉虫や腕足類、サンゴなど海の生き物の方が顕著に絶滅しており、この大量絶滅は海の中で主に起こったことが特徴です。

また、二枚貝の腕足類は赤道近くといった低緯度の熱帯の海に住む種類は91%と壊滅的なのに対して、高緯度の冷たい海に住む種類は27%に留まっていました。この絶滅率の差から、大規模な寒冷化が起こったものと考えられます。しかし、デボン紀の生物大量絶滅の時期に、今の南極のような大規模な寒冷化による氷床の痕跡は今のところ見当たらず、その原因が寒冷化だと確実には言えないのです。

いずれも状況証拠でしかなく、はっきりと結論付けるのは難しいのです。

そもそも大量絶滅など起きていないという見解もあるくらいです。それによれば、この時期は自然に起きた絶滅が少々多く、かつ生物の進化も少し遅れただけなのだという説もあります。

 

 

 

 

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次回は 第3回「3回目の大量絶滅(ベルム紀)」

 

 

 (担当 B) 

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