『九州の地質的景観』第3回 姶良カルデラ | 奈良の鹿たち

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『九州の地質的景観』 

第3回

<姶良カルデラ>

 

 

<姶良(あいら)カルデラと錦江湾>

氷河期の終わりを告げる頃の約29,000年前、現在の錦江湾(きんこうわん)北部で超巨大噴火が起こり、地下にあった大量のマグマが地表に噴出されました。すると、空になった地下へ地表がなだれ落ち、大きな陥没地形(=カルデラ)が生まれました。これが姶良カルデラです。淡水性生物化石が出土していることから、形成当初は淡水で満たされていましたが、約1万年前の最終氷期以降の海面上昇とカルデラ南壁の崩壊により海水が流れこみ、現在の錦江湾が形作られました。

 

<姶良火砕大噴火>

過去10万年間に限定しても、姶良カルデラでは、4回以上の※プリニー式噴火と2回の火砕流噴火(約5万年前の※岩戸火砕流と約3万年前の入戸火砕流)が発生しました。

 

プリニー式噴火  

地下のマグマ溜まりに蓄えられていたマグマが火道を伝って火口へ押し上げられる際、圧力の減少に伴って発泡し、膨大な量のテフラを噴出しました。

<岩戸火砕流>

約6万年前に錦江湾を噴出源とするプリニー式噴火の岩戸噴火が発生し、霧島連山から鹿児島市までを覆う火砕流が流れ出ました。シラス台地の下層部を占めています。

 

約3~2.9万年前、現在の桜島近くの新島(燃島)付近で大噴火が始まりました。150万年前から活動があり、少なくとも北側の一部分は80万年以上前から存在している形跡があります。それらの結果が重なって現在みられる直径が約20kmの大型カルデラが形成されたと考えられています。大崎カルデラ(北西部)、若尊カルデラ(北東部)、浮津崎カルデラ(南東部)など複数のカルデラが複合したものと考えられています。

姶良カルデラの大きさは、水面下では、南北 17km、東西 23kmにわたります。陸上部を含めると、南北約23km、東西約24kmにもおよび、阿蘇カルデラにも匹敵します。

姶良カルデラの噴火は凄まじかった。大規模なプリニー式噴火が発生しました。噴出物の総量は450~500km3と推定されていて、「大隅降下軽石堆積物」と呼ばれる多量の軽石や火山灰が風下の大隅半島付近に降り積もりました。この噴火では噴煙柱が複数回にわたって部分的に崩壊し、それに伴い大規模火砕流が発生しました。この火砕流は「垂水(たるみず)火砕流」と呼ばれ、現在の錦江湾東縁の垂水市海岸部に堆積しました。

ここで一旦、活動を休止したその数か月後、現在の桜島以北の鹿児島湾全体を噴火口とする巨大で爆発的な噴火が起こりました。これが姶良カルデラ大噴火です。

現在の若尊カルデラ付近を噴出源として妻屋火砕流が発生しました。噴出源から半径約90kmにも及ぶ南九州本土の大半が厚く埋められ、最大厚さで約150mの火砕流堆積物は広大で不毛な大地を形成しました。

そして、最後に一度に大量の流紋岩質マグマが火砕流(軽石流)として噴出しました。これが※「入戸(いと)火砕流」と呼ばれものです。素材となったマグマは温度が770~780℃、圧力が1600~1900気圧であったと推定されています。吹き上げられた噴煙柱は3万mを超えて、やがて崩れると摂氏 800 度近い灼熱の火砕流を時速 100kmで、半径 70km以上を埋めつくしました。火砕流は極めて流動性が高く、高さ1000m近くあった山も乗り越えて広がり、現在でも姶良カルデラから100km近く離れた場所までこの火砕流は分布しています。この火砕流堆積物は半径70km以上、最大層厚は180mに及び、総噴出量は約500km3と推定されています。入戸火砕流堆積物は一般に「シラス」と呼ばれるため、南九州一帯に広がる火砕流台地は「シラス台地」と呼ばれています。

まさに破局的噴火でした。

姶良カルデラ大噴火は、噴火規模を表す※VEIは8段階の内で7でした。

 

<入戸火砕流 従来の1.5倍!>

産業技術総合研究所が地質調査や想定実験の結果を踏まえ、噴火直後の火砕流の分布や層の厚さなどを再検討した結果、従来考えられていたより1.5倍も大きいことが分かりました。

新しい調査結果を加味した噴出物の量は、火砕流と火山灰をあわせて8千億~9千億㎥に及び、従来知られていた6千億㎥より1・5倍近く大きかったと考えられます。鹿児島市内では最大で厚さ100m以上が堆積していたということです。カルデラ内部に堆積した火砕流の厚さは500~750mにもなり、カルデラから半径約100kmの全方位に到達したと考えられます。

最大のVEI8(1兆㎥)に近く、約9万年前の阿蘇カルデラの噴火に次ぐ規模の破局噴火だったとみられます。研究者は「噴出物の研究が進めば、VEI8となる可能性もある」と考えています。

(朝日新聞 発表・掲載日:2022/01/25)

<VEI(火山爆発指数)8段階に分けていて値が多いほど規模が大きいことを示す。

VEI7の噴火は日本では屈斜路カルデラ・阿蘇カルデラ・鬼界カルデラ・阿多カルデラなどです。VEI8は約220万年前の米国のイエローストーンや約7万3000年前のインドネシア・スマトラ島のトバ火山などです。

 

噴出した火山灰のうち、空中高く吹き上げられ、偏西風に乗り東方へ飛んで地上に降下したものは「姶良Tn火山灰(地質学的にはATテフラ)」と呼ばれ、2500kmの東北地方まで日本列島全体に降り積もりました。姶良カルデラ噴火時は、南九州30m、高知県宿毛20m、鳥取県大山付近8m、京都4m、東京10 ㎝、東北数㎝の厚さで地表を覆ったと見られます。韓国・チェジュ島でも火山灰の層が見つかり、朝鮮半島で10cm近くの降灰があったことが判明しました。

九州から関西まで旧石器人の全滅はもとより、関東地方や東北南部の人々も致命的な健康被害を受けたのでしょう。火山灰の組成はガラスなので、空気とともに気道や肺に入ると無数のガラス繊維が内粘膜に突き刺さります。火山灰を吸い込むと珪肺となり、肺気腫や心不全を引き起こします。飲料水からも、体内をガラス片が駆けめぐるため、関東人々も、咳き込み悶死したと思われます。

生態系の回復と人類の活動再開には、約1000年を要したと推定されます。

 

上場遺跡(うわばいせき)(鹿児島県出水市)

約3万年前から1万年前までの生活跡が土層ごとに残されており、西日本における旧石器文化の標準遺跡となっています。第5層は姶良カルデラの形成を示す無遺物層になっており、最下の第6層はそれ以前に旧石器人がこの地域で生活していた事を示しています。すなわち、姶良カルデラ噴火で、全滅したと思われます。

 

前山遺跡(鹿児島市)

遺跡は,旧石器時代が主体です。ナイフ形石器文化期の時期と細石刃文化期の遺構・遺物が発見されました。シラスの腐植土層の下位から台形石器・ナイフ形石器・スクレイパーが出土しました。すなわち、姶良カルデラ噴火で、火山灰(シラス)に埋まったと思われます。

 

ガラ竿遺跡(がらざおいせき)(徳之島)

徳之島伊仙町小島のガラ竿遺跡で一線級の石器(スリ石)が発見されました。

約2万5000年前(旧石器時代)と思われる20㎝ほどの火山灰層(姶良カルデラ噴火)の下約30㎝の所から、穀物や木の実などをすりつぶすために使われたと思われる「スリ石」2個が発見されました。火山灰層のさらに30㎝下にあることから最古級の約3万年前の石器と思われます。

徳之島においても、火山灰はおそらく20~30m積もったであろうから旧石器人は絶滅したことは確実です。

 

中山西遺跡(岡山県蒜山高原)

岡山県と鳥取県の境、蒜山高原の中山西遺跡の地層を見ると、地表から1.9m下に黄色をした姶良火山灰(シラス)の層が認められ、その直下から旧石器人の石の道具が発見されました。3万6000~3万4000年前という年代結果は、石器に確実に伴う炭化材の年代測定では近畿、中国、四国地方で最も古い値だといいます。

遺跡を覆う姶良火山灰層の厚さは、降灰した当時は8mほど降り積もっていたと思われます。

このような大量の火山灰の降灰は、自然の生態系の破壊や気象の著しい変動を引き起こしました。さらに、降水などによる火山灰の流出、河川を通じての大量の灰の流下など、さまざまな二次災害を引き起こしました。おそらく中山西遺跡の旧石器人を取り巻く環境も、急激に悪化したと思われます。食料の糧となっていた動物や植物は激減し、空を舞う灰が太陽をさえぎるため気温も下がりました。人びとは、どこかに逃れようとしたかもしれませんが、彼らはどこまで行っても火山灰から逃れることが出来なかったことは確かでした。火山灰による健康被害や水・食料の激減、気温低下などで、旧石器人は絶滅した可能性が高いと考えられています。

 

姶良カルデラ噴火噴出規模表(産業技術総合研究所「大規模噴火データベース」)(一部修正追加)

 

<シラス台地>

九州南部で150万年ほど前から、火砕流を伴う大規模な噴火が繰り返されてきました。現在のシラス台地は、主として33万年前に加久藤カルデラから噴出した加久藤火砕流、11万年前に阿多カルデラから噴出した阿多火砕流、3万年前に姶良カルデラから噴出した入戸火砕流によって形成されました。特に入戸火砕流の堆積物は最も広く分布しており、その噴出量は約200 km3に達しました。これらの地層に加えて、鬼界カルデラから噴出したアカホヤや桜島、霧島山、池田湖、開聞岳などから噴出した新期火砕物が積み重なっています。

現在考えられているシラスの大部分の起源は、約2万5千年前に姶良カルデラで起きた巨大噴火によって発生した入戸火砕流であるとされています。この火砕流の、それに加えて姶良Tn火山灰と呼ばれる火山灰約150 km3が日本全国に降り注ぎました。

 

 

 

姶良カルデラは、南北に連なる地溝帯の内部に存在するため、明瞭なカルデラ壁は東と西側にのみ存在します。その姶良カルデラ壁に隣接して鹿児島市や霧島市、国分市などの市街地が存在います。カルデラ壁は鹿児島市竜ヶ水地区や垂水市牛根地区で急斜面となっており、大雨によってしばしばの土砂災害が発生しています。現在の霧島市牧之原付近を中心とした地域の入戸火砕流堆積物最下部には、亀割坂角礫と呼ばれる岩塊が堆積していて、最大層厚は30m中には直径2mの巨礫も含まれています。これは、噴火と同時にカルデラの陥没によって基盤岩が粉砕されて空中に放出され周辺に落下したものと考えられています。

 

<若尊(わかみこ)カルデラ>

姶良カルデラの北東部には7km×5km の若尊カルデラがあります。

この噴火地点は、初期の大隅降下軽石の時は桜島の位置であり、入戸火砕流の噴火時には、現在の若尊カルデラに移動したと推定されています。

姶良カルデラの海底地形は複数の凹地形が集合したような形態です。それらは大崎、若尊、浮津崎プロトカルデラと呼ばれています。地形的にカルデラ状の形態が明確なのは、北東部の若尊カルデラだけです。

周囲の姶良カルデラのカルデラ底より60m 以上深い凹地をなしています。カルデラの底は水深約200mの比較的平坦な海底面(南北2.5km東西3.5km)をなしています。カルデラの東部に比高90m の中央火口丘を持ち、カルデラ床は後世の桜島の噴出物などの泥質物で覆われています。

若尊カルデラの充填物の物性、化学組成などが姶良カルデラのものとほぼ同じです。若尊カルデラ形成時の噴出物は新島(燃島)火砕流堆積物であると考えられており、その形成年代は約11000~5300±300年前の間です。現在もカルデラ内部にも噴気活動が観察される若尊などの海底火山や隼人三島(神造島)などの火山島が形成されています。若尊カルデラの西部及び中央火口丘付近にから火山ガスが海面にボコボコと吹き出す「たぎり」とよばれる噴気活動が見られます。カルデラの東側斜面には高さ約100mの溶岩ドーム状の火山(水深77m)があり、南縁上にも浅い高まり(平瀬:水深43m)が存在しています。

約29,000年前から 1万年以内に噴火した明確な証拠も認められていません。

 

<姶良カルデラの地下マントル>

沈み込むプレートから水が搾り出されることで地下100kmのプレート境界でマグマが発生し、そのマグマは周囲のマントルと共に「マントルダイアピル」として上昇してきます。この高温のマントル物質が地殻の底まで達すると、熱せられた地殻は大規模に融解します。ここで発生したシリカ成分の多い流紋岩質マグマは、鹿児島のように地殻の変形速度が遅い地域では次々と上昇し、地下数kmから10km辺りに巨大なマグマ溜まりを形成します。この巨大マグマ溜まりに、地下深部から高温の玄武岩質マグマが貫入することで発泡現象が加速され、圧力が高くなったマグマが一気に噴き上げることで超巨大噴火とカルデラの形成が起きるのです。

日本喪失をも引き起こしかねない超巨大噴火の予測を行うには、現在の桜島火山の地下に超巨大噴火を引き起こす巨大マグマ溜まりが存在するかどうかを知ることがまず重要です。しかし残念ながらまだマグマ溜まりを検出する手法が確立されていません。現在の状況は、マグマ溜まりをC T検査の原理を用いてなんとか可視化しようとする試みが行われているところです。

 

 

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次回は 第4回「屋久島」

 

 

(担当 G)

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