『九州の地質的景観』第2回 青島 | 奈良の鹿たち

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『九州の地質的景観』 

第2回

<青島>

 

 

青島は、宮崎県宮崎市の南へ約20kmのところにある周囲860m、面積約4.4ha、高さ約6mの島。干潮時には陸続きとなり、次第に陸繋島になりつつあります。

青島をとりまく周辺及び日南海岸戸崎鼻から巾着島に至る間の海岸にみられる波状岩は、「鬼の洗濯板」と呼ばれています。

 

宮崎市青島から南の油津にいたる日南海岸には、「鬼の洗濯板」と呼ばれる波食台が発達しています。 

中新世後期から更新世初期(およそ800万年前から150万年前まで)に、海中で土砂が堆積した「宮崎層群」と呼ばれる水成岩(固い砂岩と軟らかい泥岩が繰り返し積み重なった累層)が隆起しました。当時海底で繰り返し巨大地震が起こると、海の中では陸地に近い浅い海底から遠く離れた海底に向かって、土石流が次々と濁流となって流れ込みました。海底では、濁りの中で重い砂が早く沈み、後の方で泥が沈んで砂岩層と泥岩層を1セットとする「互層」が出来ました。このようなことが地震・津波・台風などで何度も繰り返されて、何百枚、何千枚の互層が出来上がりました。

海底では陸地側に高く傾斜しているため、この互層は15~20度ほどの傾斜堆積をしています。

(プレートの圧力で褶曲隆起をしたという説もあります)

この層が隆起し海上に出てくると、長い間に波に侵食されて、軟らかい泥岩部が選択的にどんどん浸食され凹の部分になり、固い砂岩層は凸の部分となって板のように積み重なって「隆起波食台」と呼ばれる地形が形成されました。このような浸食の程度の違いを「差別浸食」といいます。その後、海岸一帯が再び隆起したため現在のような満潮時でも岩がのぞき、干潮時には島の周囲を取り囲むように洗濯板が見られるようになりました。

正式には「隆起海床と奇形波蝕痕」と言われ、国の天然記念物に指定されていて青島から南の巾着島までの約8kmの海岸線に見られます。干潮時には海岸線に沿って沖合20mから100mに及ぶ岩肌が出現します。宮崎県南部海岸には南西から北東に向かって黒潮が、同北部海岸には北から南へ沿岸流が流れていて、これらの潮流によって貝殻の破片などが集められ隆起波食台上に堆積することで青島が形成されました。

なお現在でも、日南海岸は隆起し続けています。

また、層面には様々な窪みや四角形や多角形の網目状の模様があります。これは砂岩内部の割れ目などに海中で溶けていた酸化鉄が侵入して硬化作用をおこし、貝類による削孔などの風化作用と相まってこういう模様が形成されました。そのため、模様の縁が鉄成分で少し赤くなっています。岩場を散策すると、ハチノス状やキノコの形、甌穴(おうけつ)などと変化に富んだ岩が目に入ります。

  

青島は、近海を黒潮が流れ温暖な気候で雨量が多いです。そのうえ、昔から青島神社の神域(社有地)として保護されていた植物が自然のまま残っていて、 熱帯性・亜熱帯性の植物27種を含む200種が繁茂しています。北半球最北の亜熱帯植物の群生地でもあるのです。

  

中でも亜熱帯性植物の代表であるビロウ(被子植物類ヤシ科)の大群落は貴重であることから「青島亜熱帯性植物群落」として日本国の特別天然記念物に指定されています。ビロウは4,300本を数え、全群落の80%を占めます。ビロウの他には、アオノクマタケラン・クワズイモ・オオイワヒトデ・オオハマグルマ・ハマナタマメ・ダンチクなどが多く繁茂しています。
本来ならば寒さにより枯死する高緯度の場所に、このような熱帯性及び亜熱帯性植物の植物群が存在する理由として二説あります。南方から黒潮に乗って漂着した種子や生木(せいぼく)が活着して繁茂したとする漂着帰化植物説と、 第三紀以前に日本で広く繁茂していた高温に適する植物が、気候、風土、環境に恵まれたこの島の海岸部に残存したとする遺存説で、現在では後者が有力視されています。

 

 

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次回は 第3回「姶良カルデラ」

 

 

(担当 G)

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