『弥生時代』第1回 縄文時代から弥生時代へ | 奈良の鹿たち

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『弥生時代』

第1回

「縄文時代から弥生時代へ」

 

 

「弥生時代の始まり」が議論になっています。

紀元前5世紀、紀元前4世紀頃に、大陸から北部九州へと伝来した水稲耕作技術を中心とした生活体系へ移行しました。水稲耕作遺跡となる佐賀県唐津市の菜畑遺跡の他、福岡県の板付遺跡、那珂遺跡群(福岡市博多区)などで水田遺跡や大陸系磨製石器、炭化米などの存在が北部九州地域に集中して発見されています。

以上が従来の弥生時代の始まりです。

しかし、弥生時代の始まりをいつの時点とすべきかは、諸説あります。

遺跡から出土する住居跡・水田跡や土器・農工具などの遺構・遺物から「考古学的に」研究を行うことで実態に迫る他なかったのです。

近年、今まで行われてきた考古学的な検討に加え、「科学的な」分析やから弥生時代研究が進行してきました。

従来、弥生時代の始まりは、紀元前5~4世紀と考えられてきました。

ところが、それが500年ほど遡って(さかのぼって:古くなって)、紀元前10世紀後半頃という説の発表がありました。きちんとした最新技術の科学分析法で出されたので、だれも無視できないものになりました。

500年も遡れば、縄文時代晩期になります。縄文時代晩期が弥生時代早期になるのです。

となると、弥生時代というものの定義が変わってきます。

2023年の高校教科書も、弥生時代を8世紀からとするものが出てきています。

 

 

そもそも弥生時代とは、「弥生土器が使われている時代」という意味でした。ところが、弥生土器には米、あるいは水稲農耕技術体系が伴うことが徐々に明らかになってくると、弥生時代とは、水稲農耕による食料生産に基礎を置く農耕社会であって、前段階である縄文時代(狩猟採集社会)とはこの点で区別されるべきだとする考え方が主流になっていきました。

そのような中、福岡市板付遺跡において、縄文時代晩期後半の土器とされていた夜臼(ゆうす)式土器が使われていた水田遺構が発見され、既に水稲農耕技術が採用されており、この段階を農耕社会としてよいという考えが提出されました。その後、縄文時代と弥生時代の差を何に求めるべきかという本質的な論争が研究者の間で展開されてきました。

現在ではおおよそ、水稲農耕技術を安定的に受容した段階以降を弥生時代とするという考えが定着しています。従って、弥生時代前期前半より以前に(夜臼式土器に代表されるような刻目突帯文土器と総称される一群の土器形式に示された)水稲農耕技術を伴う社会が(少なくとも北部九州地域には)成立していたとされ、従来縄文時代晩期後半とされてきたこの段階について、近年ではこれを弥生時代早期と呼ぶようになりつつあります。

弥生時代の意義は稲作の始まりにあるのではなく、稲作を踏まえて国家形成への道を歩み始めることが重要とする見解が示されるようになり、水稲農耕を主とした生活によって社会的・政治的変化が起きた文化・時代を弥生文化、弥生時代とする認識が生まれていきました。

 

2003年、「国立歴史民俗博物館」は、最新技術のAMS−炭素14年代測定法などによって測定した結果、九州北部の弥生時代遺跡から出土した土器に付着する炭化物(コメのおこげ)や木杭は、紀元前900~800年のものであり、水田稲作は紀元前10世紀後半に九州北部で本格的に始まったと発表しました。さらに縄文晩期の土器の年代が、前1120~前910年(90%の確立)の間にあったとしました。ということは、新しいAMS測定法年代では、従来よりも弥生時代の始まりが500年遡ることになる。国立歴史民俗博物館が発表した前10 世紀 水田稲作開始説は,弥生文化の当初から弥生土器・農業・金属器という三大要素が存在するという パラダイムをあっさりと崩壊させてしまいました。

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<国立歴史民俗博物館 発表>

 『年代測定法の測定結果の追加について』【2004年9月1日】 

2003年、「国立歴史民俗博物館」の研究グループは、AMS−炭素14年代測定法の結果に基づき、弥生時代開始年代が紀元前10世紀頃までさかのぼるのではないかとの説を発表いたしました。しかしその段階では、縄文時代晩期末の黒川式新段階の土器の測定値で上限を、弥生最古期の次の段階である夜臼Ⅱ式〜板付Ⅰ式の土器の測定値で下限をおさえることによって弥生時代の開始年代を推定していました。その後、弥生最古の土器の測定結果をつけ加えることによって、弥生早期の始まりは紀元前10世紀後半頃になる可能性があることがわかり、5月の日本考古学協会で発表しました。

試料は福岡市の雀居(ささい)遺跡や橋本一丁田遺跡、佐賀県唐津市の梅白遺跡など弥生文化が上陸したとされる玄界灘沿岸部と、東北地方や韓国・松竹里(ソンジュンニ)遺跡の出土品で、土器に付着した炭化物や、杭など32点。同博物館で試料の前処理を行い、米国の測定機関を通して加速器質量分析計(AMS)(accelerator mass spectrometry)で分析、さらに実年代に直す補正をした。

その結果、弥生早期後半の夜臼2式土器と前期前半の板付1式土器、計11点のうち10点が紀元前800年から前900年頃に集中することが判明。水田稲作が伝来した弥生早期前半は前1000年頃と判断し、弥生の幕開けは前1000年前後と導き出した。

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縄文時代晩期は暦年法では3200~2400年前になっています。

弥生時代早期は、新しいAMS法年代では、紀元前10世紀(3000年前)~9世紀(2800年前)、前期が紀元前9世紀(2800年前)~紀元前5世紀(2400年前)、中期が紀元前5世紀(2400年前)~紀元前1世紀(2050年前)になります。

一方、従来の弥生時代早期は、暦年代法では紀元前5世紀中頃~紀元前3世紀になっています。

ということは、新しいAMS法年代では、従来よりも弥生時代の始まりが500年遡ることになります。500年も遡れば、縄文時代晩期がほぼそのまま弥生時代早期~前期ということになります。

弥生時代を稲作に固執するのには、無理が出てきました。

現在の教科書は、依然従来説の「弥生時代開始は紀元前5~4世紀」となっています。

しかし、いつまでもこの説明が続けられるとは思えません。

土器・稲作・鉄を科学分析的な根拠もなく、系統的な分析だけに頼った時代区分では、あやふやで不確定な点はぬぐい切れません。

ただ、早期稲作が始まったのは九州北部のことであり、他地域ではまだ縄文時代でした。

縄文時代晩期の天候不順・人口減の社会的衰退が縄文時代から弥生時代への、移行要因の一つとして考えられてきました。縄文時代晩期の代表的文化の亀ヶ岡遺跡(紀元前1000年~400年)で出土した土偶は、弥生時代のものとなります。

縄文から弥生へのちょうどいい区切りと考えられてきましたが、それらは弥生時代の中の出来事ということになります。しかし、起こったことは事実であり、九州以北の地方においては縄文から弥生への過渡期と言えるかもしれません。

 

教科書が大幅に書き換えられることになります。

研究者のひとりは、「これらの新年代は、学校の教科書や一般市民の知識、そして大多数の考古学者の考えに矛盾する。年代測定が可能になって以来30年間にわたって考古学者は、縄文時代や縄文から弥生時代の転換期について偽りの歴史を書いてきた。それは、彼らが合理的で正確なこれらの時代の歴史を書くために必要な放射性炭素年代についての知識と理解に欠けていたからである。この誤りは、考古学者が自然科学から借用する手法について、学び理解することの必要性を明らかにしている。」

と非科学的な考古学会を厳しく批判しています。

 

「朝日新聞」(2003年5月)

教科書は果たして書き換えられるのだろうか――弥生時代の始まりが、考古学の定説より500年遡りそうだと、国立歴史民俗博物館が19日発表した研究結果に、考古学界では戸惑いが広がった。研究結果が事実なら、古代史の枠組みを大きく修正せざるを得ないからだ。

弥生時代に詳しい小田富士雄・福岡大教授は「一機関の測定結果だけでは、にわかに信じがたい。分析対象をもっと広げる必要がある」と話す。中園聡・鹿児島国際大教授も「分析の結果か、これまでの考古学研究か。どっちかが間違っているんだけど」と、発表を衝撃的に受け止めた。考古学者にとって「稲作文化の始まりは紀元前5~4世紀」というのは常識だ。それが一気に500年もさかのぼれば、弥生時代そのものの長さをはじめ、中国大陸や朝鮮半島との関係、日本列島の中での稲作や弥生文化の伝播(でんぱ)など、大幅な見直しを迫られる。

「今までの研究成果が雲散霧消するとまではいわないが、影響は相当深刻だ」(大塚初重・明治大名誉教授)というのが正直なところなのだ。

 

教科書出版会社 帝国書院

弥生時代については、紀元前3世紀頃から紀元3世紀頃までの600年間と捉えています。その一方で、この記述に注釈をつけて、弥生時代の始まりを紀元前10世紀とする新しい研究成果も紹介しています。これまで通説となっていた、「弥生時代の始まり=紀元前300年」は、1960年代に土器編年(土器を地域ごと、型式ごとに前後関係に分類・整理し、年代順に配列すること)や遺跡から出土した中国の青銅器をもとに割り出された年代に、弥生前期のコメや貝を炭素14年代法(遺物の中の炭素の放射性同位体である炭素14の量から年代を推定する方法)で測定したデータ結果を加味して出された説でした。2002年、弥生時代の始まりを紀元前10世紀頃であると発表したのは、国立歴史民俗博物館(歴博)です。歴博は最新のAMS−炭素14年代法などによって測定した結果、九州北部の弥生時代遺跡から出土した、土器に付着する炭化物(コメのおこげ)や木杭は、紀元前900~800年のものであり、紀元前10世紀後半に九州北部で本格的に始まった水田稲作が、約800年かけて日本列島を東漸したとの説を展開しました。水田稲作が九州北部から各地に広がるのに要した年月は、例えば瀬戸内海西部地域までで約200年、摂津・河内までで300年、奈良盆地までで400年、中部地方には500年、南関東には600~700年、東北北部には500年であると推定されますが、水田稲作が、きわめてゆっくりと各地に広がっていったことが、ここから分かります。

 こうしてみますと、従来のように「弥生時代の始まり=紀元前300年」などと、ある一点で区分すること自体、無理があると思われますが、教科書本文では、通説に従った紀元前300年と記述し、注釈で紀元前10世紀という説を示しました。これは現時点では様々な議論があり、また地域によって差があることを踏まえた記述であることを、ご理解いただきたいと考えております。

 

山川出版の高校教科書「詳説日本史」

2023年度から使用が始まった山川出版の高校教科書「詳説日本史」では紀元前8世紀開始になっていると書かれています。教科書執筆者の設楽東京大名誉教授によれば、「現在も論争は続いているが、おおむね紀元前10世紀~前8世紀で学会の評価はかたまりつつある」そうです。

 

 

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次回は 第2回 「稲作の始まり」

 

 

(担当H)

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