『関東の地質的景観』第5回 伊豆半島②(景勝地1) | 奈良の鹿たち

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『関東の地質的景観』

第5回

伊豆半島②

(景勝地1)(東伊豆・西伊豆)

 

 

伊豆半島は元々南海の火山島でした。それが、そのまま北上し、日本列島に衝突して伊豆半島になりました。だから、伊豆半島は全地域、火山で成り立っているのです。

 

~東伊豆エリア~

<一碧湖>(いっぺきこ)  東伊豆エリア・伊東市吉田

一碧湖は「伊豆の瞳」とも呼ばれる周囲4kmの湖。「伊豆東部単成火山群」の一つで、約10万年前に出来た「火口湖」。マグマが地下水と急激に反応し水蒸気マグマ爆発が起こり、その激しさから周辺が吹き飛ばされて、火口壁はわずかな高まりが残るだけで山体は形成されていません。「マールmaar」と呼ばれます。

門野火山~萩火山~一碧湖マール~沼池マール~梅木平火山は北西~南東方向に一直線に並んだ「火山列」。

約4000年前に大室山から流れてきた溶岩が、一碧湖に流れ込んで小さな島がいくつか形成され、十二連島が出来ました。

一碧湖の遊歩道沿いには、溶岩や「スコリア」の堆積層が露頭しています。「スコリア」とは噴火の時にマグマが砕けて固まったものです。マグマの粉砕物。穴が多くて 白いものを「軽石」、黒いものを「スコリア」と呼びます。色の違いは,マグマの化学成分の違いで,シリカ(二酸化ケイ素)成分が多いほど白く,少ないほど黒くなります。

 

<大室山>(おおむろやま)  東伊豆エリア・伊東市池

標高580mの山頂に直径300mのすり鉢状の噴火口を持つ「伊豆東部火山群」の最大の「スコリア丘(マグマの粉砕物の堆積した丘)」。約4000年前に噴出した「スコリア」や「火山弾」が火口のまわりに降り積もって、「スコリア丘」と呼ばれる山となりました。噴火の後半には、山麓から大量の溶岩が流れ出して、伊豆高原城ケ崎海岸をつくり出しました。

 

<小室山>(こむろやま)  東伊豆エリア・伊東市川奈

標高321mの小さな山は、約1万5000年前に噴火した「スコリア丘」で、「伊豆東部単成火山群」を構成する小型の火山。小室山は「伊豆東部火山群」で最大の5億3000万トンもの多量の溶岩を四方に流出させました。東麓の川奈ホテルゴルフコースはこの厚い溶岩流による平坦面上に造られ、川奈港の入り江もこの溶岩流が海に張り出したことによるものです。

 

<城ケ崎>(じょうがさき)  東伊豆エリア・伊東市富戸

城ケ崎海岸は伊東市の南に、約9kmにわたって広がる溶岩の「末端崖」(まったんがい)の海岸。約4000年前に噴火した大室山のふもとから南東に流れ出した流動性の高い溶岩流は、現在の伊豆高原を埋め尽くし、その先にあった相模湾に流れ込んで埋め立てて、その先端に現在の城ケ崎海岸をつくりました。流れ出した黒灰色の溶岩は、色から玄武岩に見えるが、二酸化ケイ素の比率から、安山岩に分類されます。安山岩にしては、かんらん石結晶と大粒の石英結晶が目立つのが特徴。

その北部の門脇埼付近は、溶岩流の構造や地形形成のメカニズムを見る格好のポイント。門脇つり橋からは溶岩が冷えてゆく際に生じる柱状節理や、すでに冷えて固くなった表層を破壊しつつ溶岩が流れた経過も見てとることができます。富戸海岸(ふとかいがん)の溶岩台地は、約4000年前に大室山などからの溶岩流が造った大地です。城ヶ埼海岸南部にはテーブル状溶岩のいがいが根などの見どころがあります。

 

 

<天城山>(あまぎさん)  東伊豆エリア・伊東市川奈

天城山は、静岡県の伊豆半島中央部の東西に広がる連山の総称。ちなみに「天城山」という名の山はありません。「伊豆東部火山群」に属し、80万〜20万年前の噴火で形成された「カルデラ火山」の「外輪山」で、火山活動を終え浸食が進み現在の形になりました。

(天城火山の地形と地質のあらまし)

かつての天城火山は活状火山の形態をもつ成層火山で、「侵食カルデラ」をふくむ二重火山でもあり、広い範囲に多くの寄生火山をもっていました。万三郎岳(ばんざぶろうだけ)から万二郎岳(ばんじろうだけ)、南の箒木岳(ほうきだけ)に尾根がのび、西方にはカワゴ平、八丁池、三筋山(みすじやま)にのびる陵線が「外輪山」にあたり、それらに囲まれる部分が「中央火口」と考えられています。北西~南東方向に向いて開く馬蹄形の外輪山は、直径約 6~7kmの「侵食カルデラ」となり、南東方で白田川(しらたがわ)の火口瀬によって切り開かれていました。「外輪山」の外側はゆるやかな緩斜面です。「外輪山」の稜線にそって山体の周辺に遠笠山大室山などの「寄生火山」(側火山)が分布し、溶岩流の噴出や噴石丘を形成させました。

 

<錦ヶ浦>(にしきがうら)  東伊豆エリア・熱海市熱海

錦ヶ浦は、約70万年~45万年前に陸上で噴火活動した熱海火山の海側で、約60万年~50万年前に活動した魚見崎(うおみざき)火山の噴出物と考えられます。主に水底で噴火した後に、地殻変動により隆起して、陸上で噴火した噴出物が覆っています。相模灘(さがみなだ)の波濤(はとう)により海食された崖には、波打ち際の「波食台」(はしょくだい)・「波食窪」(はしょくくぼ)や「海食洞」(かいしょくどう)などの奇岩・景勝が見られる観光地となりました。

錦ヶ浦の崖の一部では、溶岩が水で急激に冷やされパリパリと砕けてできた地層が見られます。
このパリパリ溶岩は「水冷破砕溶岩」といい、火山の噴火が海の中で起こったということを示しています。

 

<立岩>(たていわ)  東伊豆エリア・熱海市網代

網代(あじろ)の東に位置する立岩から床根岩(とこねいわ)までのゴロタ浜の海岸には、約70万年~40万年前に、陸上で噴火して成長した網代火山の噴出物(溶岩とスコリア)が三層にわたって形成されました。それらを貫入(かんにゅう)する岩脈(がんみゃく)がいくつも北西-南東方向に雁行(がんこう)しています。
立岩は一番北にあった岩脈が侵食されたもので、立岩の下部には酸化して赤くなったスパター(溶岩のしぶき状の塊)の層が露頭し、後に貫入した岩脈が覆っています。

 

 

~西伊豆エリア~

<堂ヶ島>(どうがしま)  西伊豆エリア西伊豆町仁科

美しく折り重なる白い火山灰層は堂ヶ島の特徴的な景観を作り出しています。堂ヶ島は、約1000万年前から200万年前に活動した白浜層群の海底火山から噴出した水底土石流(すいていどせきりゅう)と、その上に降り積もった火砕物・軽石・火山灰が堆積した凝灰岩が、伊豆半島の衝突で隆起してできました。

亀岩の上部は、主に軽石と火山灰が海底で降り積もった縞々の地層で、何回も噴火した跡を観察できます。下部は、海底に堆積した噴出物が土石流となって、海底の崖などを流れ下って、更に深い海底に堆積した地層です。

堂ヶ島の軽石火山灰の地層は、浸食されやすく、激しい波に海食された洞穴が発達しました。洞穴奥の天井が崩落して天窓ができました。これが海食洞(かいしょくどう)天窓洞(てんそうどう)です。地層を押し分けながら地下深くから上昇してきたマグマの通り道を「岩脈(火山の根)」と呼びます。浮島(ふとう)海岸で見ることができる多数の奇岩は、こうした岩脈群です。地下にあった岩脈群は、伊豆と本州の衝突に伴って隆起し、その後、岩脈のまわりにあった柔らかい地層が浸食され、固い岩脈が背びれのようにして地上に姿を現しました。
浮島海岸にそびえたつ板状の奇岩の一つ一つがかつての岩脈です。かつては、この奇岩の上空に噴火を繰り返した海底火山の火口があったということの証です。

 

<黄金崎>(こがねざき)  西伊豆エリア・西伊豆町宇久須

黄金崎は日没時に、急峻な崖が金色に輝くことから名づけられました。この崖の地層は、かつて白浜層群の海底火山からの噴出物(安山岩)が堆積した層が隆起したものです。その後、約150万年前~60万年前に、噴火した東側の火山のマグマによって温められた熱水(約400℃)が周囲の鉱物を溶かして、地下の噴出物の割れ目を上昇していく途中に、周囲の古い地層を変質させたものです。熱水変質した地層が、空気に触れると内部に含まれている硫黄分と鉄分の酸化が進んで、最初は黄色に変色し、更に酸化が進むと、代赦色(褐色を帯びた赤色)に変色しました。これは「プロピライト」と呼ばれる自然現象です。

根合(ねあい)の海食崖には、黄金崎と同様に熱水変質した崖が輝き、熱水変質した安山岩や凝灰岩が転がっています。

 

 

 

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次回は 第6回「伊豆半島③」

 

 

(担当P)

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